第一次世界大戦の中東の分割とアラブの運命

第一次世界大戦の中東の分割とアラブの運命

この記事の概要

第一次世界大戦の中東の分割とアラブの運命は、オスマン帝国の崩壊とアラブの独立運動が複雑な関係に翻弄されました。この記事では、イギリスとフランスが中東の分割を画策し、アラブの指導者たちとの交渉によって中東の国境が定まった経緯を探ります。イギリスとフランスの陰謀、アラブの指導者たちの葛藤、そして中東国家の形成について解説します。


第一世界大戦が始まった経緯

第一次世界大戦で、オスマン帝国が崩壊することになります。長い間、オスマン帝国にロシアが侵略しています。オスマン帝国とっては、ロシアは敵なのです。ヨーロッパでは、ドイツと ロシアが戦争になりました。これが、第一次大戦です。
トルコ人から見ると敵の敵は味方なので、オスマン帝国は、ドイツ方につくのです。第一次世界大戦は、イギリスとドイツも戦争になります。イギリスから見ると敵のドイツに味方しているオスマン帝国は敵になります。そこで、オスマン帝国を崩壊させるために、ユダヤ人やアラブ人の独立運動を利用したのです。

アラブ人のリーダー

アラブ人の中で誰が独立アラブのリーダーになるかという問題が起こりました。候補者が2人いました。ハーシュム家の夫フサインという人とサウード家のイブン・サウードという人です。
ハーシュム家の夫フサインは、家柄が最高に良いのです。イスラム教を開いた預言者ムハンマドの家系です。日本に例えたら皇族です。 イスラム教の聖地メッカーの州知事を長い間行っていた方です。フサインが、本当はイスラムの中心になるはずなのに、なぜ、外国人のトルコ人に抑え込まれていることが、不満でした。
メッカのフサインのところにイギリスが、外交官を派遣します。ヘンリー・マクマフォンという人物です。マクマホンは、このエジプトを治めていた外交官でした。
彼はフサインに対してこのように述べています。「フサイン殿、のあなたはハーシュム家の高貴なお生まれです。本来ならば、アラブ人のリーダーとして、オスマン帝国から独立するお立場です。よろしかったら、イギリスが軍事援助をしますので、オスマン帝国と戦いませんか」と。
それでフサインが、この話に乗ってしまったのです。それでアラブの反乱テロが起こってしまいました。この時に、フサインの頭の中にあったアラブ国家とは、「エジプトはイギリスが抑えてるからトルコ側で、アラビア半島辺まで、統一アラブ国家になり、自分がそのリーダーになる」ということを考えていたのです。イギリスとハーシュム家との協定をフサイン=マクマホン協定と言います。

もう一人のリーダー

もう一人は、イブン・サウードです。サウード家は、サウジアラビアの砂漠地帯に本拠地がありました。サウード家の家柄は、特別な血筋ではなく地方豪族です。しかしながら、彼は、イスラム教の聖典コーランに忠実で、コーランの教えをガチガチに守っているグループなのです。
これは、ワッハード派に属しており非常に厳格なのです。そのため、サウード家から見ると、ハシーム家は、いい加減で、コーランの掟も守っていなく、飲酒をし、異教徒と付き合い、この様なふざけた連中が外国人のキリスト教徒と手を組んで、自分がアラブのリーダーになる事に対して「ふざけるな!」と思っていたのです。
今度はハシーム家に対して、サウード家が反乱を起こすということになりました。この辺りからぐちゃぐちゃになります。 イギリスが、オスマン帝国を分割するために、アラブ人たちをけしかけて武器を送って戦わせるということを行っていたのです。

イギリスの指揮官

ところが 惨敗します。アラブ側の武器は貧弱でお話になりません。先祖伝来の刀などを振り回し、乗り物はラグダです。オスマン帝国は、 飛行機を持っている、戦車も持っていたので全然歯が立ちません。アラブ軍が全滅かと思われた時に、イギリスは「ああ失敗した」ということで、フサインに対して「アラブ軍の指揮は、イギリス軍が取りますから」と述べて、トーマス・ロレンスを送り込んできます。
彼はイギリス陸軍の将校で、アラビア語がペラペラです。彼はアラブのファッションに身を包んで、アラビア語を使ってアラブ軍の士気を取ったのです。
これが有名なアラビアのロレスです。これでやっとハーシム家はオスマン帝国に勝てたのです。初めから最後まで、全部イギリスがお膳立てしていたのでした。
そうするとハーシム家は全くイギリスに頭が上がりません。 一方、イギリスは、本来の目的であるアラブの分割を実行します。 フランスと ロシアと秘密協定を結び、オスマン帝国領のアラブ地域のうち現在のイラクとヨルダンをイギリスが預かったのです。
フランスにはその北側のシリアとレバノンを渡します。この様な秘密協定を結びました。これをサイクス=ピコ協定と呼びます。 現在の中東の国境線とは、この時に決まっ たのです。
同じアラブなのに、なぜ細かく分かれているのかは、イギリスとフランスが分割統治するためにオスマン帝国の領域に線を引いたのが現在のさまざまなアラブ諸国なのです。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=kg2fKwUgzNo>アクセス日:2023年10月19日

まとめ

第一次世界大戦が勃発すると、オスマン帝国はその崩壊に直面し、アラブの独立運動が浮上しました。アラブの指導者たちは、それぞれ異なる選択肢を検討し、外国勢力との交渉に巻き込まれました。ハーシム家のフサインとサウード家のイブン・サウードが主要なプレイヤーとなり、イギリスとフランスが中東の分割を画策しました。結果として、中東の国境が現在の形になり、アラブ諸国は分かれる運命をたどりました。この歴史的背景が、現代の中東情勢に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。


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