天皇陛下の心を動かし開戦した軍令部総長の演説

天皇陛下の心を動かし開戦した軍令部総長の演説

この記事の概要

天皇陛下の心を動かし開戦した軍令部総長の演説によって日本は泥沼に向かったのです。永野軍令部総長は、戦わずして滅びてしまったら日本人の誇りは粉々に砕けこの国は立ち上がることができないと思うことを奏上しました。しかしながら、真珠湾だけには絶対攻撃をしてはならなかったのです。


大東亜戦争の本当の歴史

太平洋戦争は日本人にとって非常に大変なことでした。沖縄の戦いでは、日本軍将兵が11万人、沖縄の人たちが20万人も命を落としています。非常に悲惨な出来事でした。
ある意味において、私たちの命は、沖縄の人が戦ってくれたおかげでもあるのです。太平洋戦争は今から80年近く前に終わりました。私たちが今、命があって、生きているということは、私たちのお父さん 、お母さんが頑張ってくれたから、今生まれてここにいるのです。
原点として、太平洋戦争に移行される前の大東亜戦争の本当の歴史について学ばなければならないと思います。1941年の年はどういう年だったかと言うと、第1次世界大戦が終わってしばらく日本には平和な時代が続いていました。

日本人だけは皆殺しにしなければならない

その後、だんだん中国との間がうまくいかなくなりました。中国とのいざこざがあり、非常に難しい国際情勢になって来ます。一方では、アメリカを中心とした白人のグループは、有職人種で1つだけ独立して残った日本を、なんとかして植民地にしようとしていました。
アメリカのルーズベルト大統領が述べた言葉を直接引用すれば、「日本人だけは皆殺しにしなければならない」と。アジア人の中で、日本人だけは皆殺ししなければならないことを強調したのです。
「日本人だけは皆殺しにしなければならない」ことを本当に考えていたのか?と思えて来ますが、これは本当でした。アメリカ軍は、本土上陸作戦前に、原爆を数発まとめて落とし、日本軍を壊滅させ、上陸を図るということが検討されていました。マンハッタン計画の総責任者には、人道性という考慮は全くありませんでした。
日本人に対しての人種差別です。日本人を皆殺しにするという方針に対して、議論に全く出てきていないほど、人道性など全くなかったのです。日本への原爆投下は絶大な効果を日本人に及ぼしたので繰り返し落とすという当初案に沿って3発、4発、5発、6発から8発、10月には1発を10日毎に投下する予定でした。

やむ追えず戦争に突入

日本はやむ追えず戦争に突入したのです。その戦争に突入したのは、1941年12月8日でした。その前の11月に最後の御前会議が行われました。当時の御前会議は、天皇陛下が中心になって、政府は、首相や関係の大臣、軍では、陸軍、海軍から代表者が出ます。およそ、全部で12名ぐらいです。
その会議で日本の大きな方針を決めるという御前会議でした。様々議論した挙句 、その当時の昭和天皇は、なんとかして戦争を避けたいという思いがありました。
あらゆる手段を使った交渉を外務大臣に命じましたが、万作尽きて戦争に突入することになってしまいました。後になってなぜ日本が、陥ったのかというと、主とし てその頃、ソ連の共産党の国際組織コミンテルンのスパイが、アメリカの国務省や日本の近衞内閣などの中に潜入し、日本とアメリカが争い合うようにもって行ったのです。
日本とアメリカが戦うことによって、普通に考えれば日本は、負けます。そうなると、日本は無政府状態になり、その隙に日本を共産化しようという基本計画でした。
この基本計画に沿って動きました。このことは歴史的なことなのでアメリカの国務省の誰が、どのような行動をしたとか、内閣の中の誰がスパイだったのか、その時の日本共産党がどのように動いたといったことが分かっています。当時の風見 章と言う人物が日本を共産化しようとしていた首謀者の一人だったようです。

日本を陥れようとした国々

有色人種で植民地になってない国は日本だけでした。そこで、白人は最後に残った有色人種の日本、独立した日本をなんとか植民地にしようと考えたわけです。
イギリスは、地球から見れば、日本の反対側にありますが、日本と戦争したのは、アメリカ、イギリス、オランダ、中国でした。このような国々が、日本と敵対するのは、おかしなことです。日本は日本にいるだけです。問題になったのは、周りの朝鮮、台湾、樺太、千島列島、満州といったところです。
ここが日本の勢力ともめたところでした。これに対してアメリカはフィリピンを植民地として持っていましたが、アメリカは太平洋を挟んだ向こう側の国です。
イギリスは、ヨーロッパの一国です。日本とは、ほとんど関係がありません。明治時代には、日・英同盟を結んで、友好国関係にありました。オランダも江戸時代には、日本とオランダの関係は友好的で長崎の出島を通して、日本が白人と交渉していたのは、オランダだけでした。
ところが中国は、白い中国人と言いますが、当時の中国人はとにかく強い方につくという国柄でした。アジアでは、はっきりと白人側についたのは中国でした。中国はアジアの国ではなくて白い中国人と、当時は呼ばれていたのです。
日本がアメリカ、イギリス、オランダ、中国と戦争するということは、相当な覚悟がいるのです。当時、日本は、石油もなく、鉄鉱石もなかったのです。アメリカには、石油や鉄鉱石を70%以上も依存していました。
アジアにおいては、イギリスが、シンガポールに一大要塞を持っていました。同様に香港にもありました。その要塞をテコに強力な軍事力で、東南アジアを支配していました。
いずれも今の基準で考えれば、到底悪な国家でした。それでいよいよ戦争になる雰囲気になって来ました。歴史的に見ればで、完全な共産主義すなわちコミンテルンの陰謀だったのです。

ルーズベルトの策略

ルーズベルトが、なんとかしてアメリカ国民を戦争に引きずり込みたかったのです。そのためには、日本をとにかく挑発する必要がありました。日本人は比較的真面目で挑発に乗るだろうということが予測できました。石油や鉄鋼などの資源を日本には輸出しないようにする包囲網を他国と協力しました。
後にマッカーサーも証言したように日本が戦争をしたのは侵略のためではなく自衛のためだったのです。アメリカ人を戦争に巻き込むことをしないと約束をしたルーズベルトが、約束を破るための1番の方法は、日本にハワイ真珠を攻撃させることでした。
紛争を引き起こそうとしていたコミンテルン、国際金融資本の片棒だった山本五十六をはじめとした人々が、なんとしてでもハワイ攻撃に出たのです。
アメリカは太平洋を挟んだ向こうの国です。資源もたくさんあります。日本を攻める必要は、全くありません。それにしても、どうしてそんなにも日本人を皆殺しにしたかったのでしょうか。それは左翼グローバルユダヤ思想なのでしょうか。国を持たず世界統一政府を樹立するためには、天皇を中心とした最も堅固な国が邪魔だったからです。

天皇は国民と皇統を守らなければならなかった

しかしながら、ユダヤ人も一枚岩ではありません。暴力的な左翼グローバルユダヤから日本を守ったのも日本に同化した秦氏系ユダヤ人です。国体を守るために裏で働いたのです。だから空襲から皇居や大きな神宮、銀座にある秦氏系の服部時計店などが守られたのです。

これは戦いになるかという時に天皇陛下が、最後に御下問(ごかもん:自分より身分・年齢の低い者に対して物事を尋ねること)になります。

戦争以外の方法はないのかと御下問になります。そこで軍令部総長が、立ち上がってこのように述べました。「このままだ と日本は滅びてしまう。アメリカと戦争すれば勝つ見込みは少ないと言っております。戦争をしなくても日本は滅びるし、戦っても日本は滅びる」と。

少なくとも永野軍令部総長は、天皇陛下に御奏上したことは、何だったかとは、「戦わなくても滅びる。戦っても滅びる。」という可能性が高いところに現在の日本はあるということです。
軍部は、戦わなくても滅びる、戦っても滅びるなら日本は、戦争が終わった後、再び日本民族の誇りを持って立ち上がることができるということを考えれば、戦わずして植民地になるより、やはり戦って全力を尽くして、そして、もしも負けて、国が滅びたならば必ずや日本人の誇りが魂に残ってるはずだから、日本は再び再建することができると考えたのです。
しかし戦わずして滅びてしまったら日本人の誇りは粉々に砕け、もうこの国は立ち上がることができないと思うことを天皇陛下に奏上しました。
そこで、天皇陛下はそれをお聞きになり、しばらくお考えになった後に、「仕方がない 」ということで開戦になったというのです。その時にに天皇陛下が歌われた歌は、かつて日ロ戦争になる時に、日本とロシアが戦えば日本が負けるだろういう時、首相だった伊藤博文は、おそらく ロシア軍は日本列島に襲ってくるだろう。
そうしたら、私は一兵卒になって鉄砲を担いで山陰の海岸に行き、そこで日本を守るつもりであると言っております。悲壮な 時代でした。明治天皇が詠んだ「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という歌は、太平洋戦争開戦の決め手になったとされています。
この歌は、日露戦争開戦の際に戦争回避を願う思いを込めて詠まれたと言われています。昭和16年の日米開戦前の御前会議で昭和天皇が引用したことでも知られています。

真珠湾攻撃

日本は平和国家で、できるだけ戦争を極力避けたという状態で1941年12月8日に戦争を開始しました。真珠湾攻撃というのは反日の日本人が 作り上げた嘘の話によると、日本の奇襲と言っていますが全く違います。
アメリカは日本艦隊が千島列島から、ハワイに向かってることを知っていました。警戒も何もわざとさせなかったのです。アメリカ軍の重要な機動部隊である空母部隊だけは、日本からの先制攻撃を避けるために、ハワイ真珠湾から外に出ていました。
「戦って負けて滅びるのと戦わずして滅びるのとでは、やがて日本人が誇りを持ってこの日本を再建する時には、やはり力いっぱい戦って武運拙く破れるということの方を選ぶべきだと言った長野軍令部総長の演説は、その後の日本の状態を見ますと正しかったと思います」と述べていますが、本当にそうでしょうか。
人間は魂で生きるのであって損得などで生けるのではないと言ってくれたことが、昭和天皇の心を動かし、あれだけ嫌がってた天皇が戦争を最後に決断さ れたということだというのです。
しかしながら、真珠湾攻撃をしたら日本は必ず負けることは、天皇陛下をはじめ陸軍、海軍は知っていたのです。アメリカも知っていました。これは定石だったのです。絶対に攻撃を仕掛けてはならない場所でした。

定石通りであれば日本は戦争に勝っていた

日本は追い詰められていましたが、勝つ秘策がありました。林千勝氏によれば、南に行って西に行く。もっといい方法は、北に行ってドイツと共にソ連を挟み撃ちにしてしまう。戦争に勝つ方法があったのです。戦争をしたのは勝算があったからです。
コミンテルンのスパイがいたので、北へ行き、社会主義のソ連を倒されては困ったのでなんとしてでも阻止しました。インド洋に展開するイギリス軍を制圧することは日本軍の力を持ってしては、その当時、容易にできたのです。
これに恐れたチャーチルは、この事態をどうしても避けたく、ルーズベルトに支援を求めています。なんとしてでも真珠湾攻撃をさせなければならなかったのです。やはりここに一枚噛んでいたのは、永野軍令部総長だったようです。永野と山本はグローバリズムの牙城と言われるハーバード大学に留学しています。
任期切れの山本五十六司令長官の任期を延長し、何が何でもハワイ真珠湾攻撃をさせるつもりでした。日本がハワイを攻撃すれば負けることを誰もが知っていたことに対して、永野軍令部総長の演説によって天皇陛下を「仕方ない」と言わしめ、ハワイ攻撃に踏み切らせてしまったのでしょう。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=p46vlmtC0S8&t=900s>アクセス日:2023年12月8日

まとめ

ハワイ真珠湾だけは絶対に攻撃してはならないと言う定石があったにも関わらず、なぜ攻撃したのだろうか。

ハワイを攻撃したら日本は必ず負けることは誰もが知っていた。日本が勝つ勝算は、インド洋に行きイギリスを制圧するか北に向かってロシアを退いつつ挟み撃ちするかだった。

それでもハワイにこだわったのは、ルーズベルトがアメリカ人をどうしても参戦させるためには、日本軍による真珠湾攻撃が必要だった。

永野軍令部総長が、天皇陛下の前での奏上が決め手となったようだ。


紹介欄

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