旧約聖書はいつ誰が書いたのか

旧約聖書はいつ誰が書いたのか

この記事の概要

旧約聖書はいつ誰が書いたのかは複数の人物がいることが判明しています。モーセの五書と呼ばれるトーラーはモーセによって書かれたとされていますが、実際のところJ、E、D、Pと言われる四人の人物によって書かれていることが現在では支持されています。文章として矛盾する箇所はありますが、神の教えや物語は破綻していないのです。


ユダヤ人が作った聖書

ユダヤ人が作ったヘブライ語の旧約聖書は、タナフと呼ばれました。旧約聖書は、キリスト教徒とユダヤ人から聖典として扱われています。旧約聖書には、神の言葉が書かれています。
旧約聖書の著者は、神に選ばれ啓示によって書かれたとされています。ところが、聖書(旧約聖書を以下聖書と記載)には、様々な矛盾点が発見され、時代によって文章が変化していることも判明しています。
聖書の著者については、多くの議論がされるほどの謎があります。その謎の一つは、聖書の著者は誰であり、どんな目的で聖書が編纂されたのかです。
永遠のベストセラー である聖書は、誰が書いたものなのでしょうか。聖書は内容が統一されたひとつの本ではなく39冊の書籍がまとめられた合本です。

トーラー

その合本は、1000年以上に渡って複数の著者によって書かれたと言われています。そのうちトーラーと呼ばれる創世記や出エジプト記を含む5章は聖書の中でも核となる物語です。(トーラーは、ユダヤ教の聖書における最初の「モーセ五書」のこと。)
アダムとイブやノアの方舟は創世記に載っているものでトーラーの物語にあたります。このトーラーは、モーセが書いたものだとする単一著者理論が長らく語られて来ました。
モーセは、古代エジプトの奴隷となっていたヘブライ人を率いてエジプトから脱出し、神から十戒を授かったとされる人物です。トーラーはモーセの五書とも呼ばれています。
モーセが神から啓示を受けて言葉を書き写したものだ という伝承が残っているのです。すなわち、トーラーの著者は、モーセだと考えられています。
しかしながら、17世紀頃から単独でモーセが、トーラを著したいう理論に対し多くの宗教学者らが疑問を呈す ようになりました。モーセは紀元前13世紀頃の人物だと言われています。ところが、モーセについては、聖書の中でしか知ることができません。そのため、モーセが実在したかどうかの物的証拠が存在していないのです。
非常に文章が多いため、モーセが一人で神の言葉を書き写すのは現実的には不可能です。だから神の力が及んだのだとも考えられますが、アメリカ、イェール大学神学校の教授である ジョエル・バーデンによれば、トーラーには矛盾した文章が多く、混乱を招いているとされています。
その矛盾の典型的な箇所は、ノアと洪水の物語において、2つのシナリオが混ざっていることが挙げられます。例えば方舟に乗せる 動物の数について全ての動物をつがいで乗せるという文言と清い動物を7つ、清くない動物を一つがいずつ乗せるという文言の2つが記されています。
また洪水の日数についても「40日間だった」とする文言と「150日間」だったとする文言の2つが書いてあり、文章に明らかな矛盾が生じているのです。
神の呼び名も、「ヤハウェ」と「エロヒム」という2つのパターンで書かれていたりします。その理由で設定の矛盾が多過ぎるのです。すなわちトーラーの内容は 1人の人物が書いたものではなく、複数の人物によって書かれた可能性が高いのです。
複数の人物が書いたものを組み合わせたと考えられるのは、そこに情報のズレがあり、矛盾した文章が出来上がってしまったことです。その複数人の人物とは一体誰なのでしょうか。

トーラーは複数の人物によって書かれた

はっきりしたことは今はわかっていませんが、4人の人物が関与していることが推測されています。1人目が、J です。聖書にはヤハウェとエロヒムの2つの呼び名が登場しています。
Jは、神をヤハウェと書いた著者だとされています。神をエロヒムと書いたのが2人目のEとされる著者です。3人目はDと呼ばれ、申命記の著者だとされています。4人目はPと呼ばれ聖職者だったと考えられています。
どうして4人の著者に絞ることができるかというと、トーラーの文体が4パターンに分かれているからです。それぞれ 違う時代のヘブライ語で書かれ、言葉の選び 方も異なっているのです。
例えばPが書いたとされる箇所では、50回使われていた言葉が、JやEが書いたとされる箇所には一度も登場していないのです。これらは文書仮説と呼ばれトーラーを研究する上での基盤になっています。
文書仮説(もんじょかせつ、ぶんしょかせつ、英: Documentary hypothesis, 独: Urkundenhypothese)とは、モーセ五書(旧約聖書のうちの最初の5文書)は、元々それぞれ独立・完結している諸文書をのちに編者が組み合わせることによって、現在見るような形として成立したとする説である。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2023年11月22日 (水) 17:54での最新版を取得。
神学者ユリウス・ヴェルハウゼンは4人の出自について次のように述べています。
ユリウス・ヴェルハウゼン(Julius Wellhausen、1844年5月17日 – 1918年1月7日)は、19世紀のドイツの神学・聖書学・東洋学・言語学の学者。トーラー(モーセ五書)の批判的研究(文書仮説)で著名。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2023年12月10日 (日) 02:25での最新版を取得。
  • Jの箇所は紀元前950年頃にユダ王国で作成。
  • Eの箇所は紀元前850年頃に北イスラエル王国で作成。
  • Dの箇所は紀元前7世紀のユダ王国の宗教改革時に作成。
  • Pの箇所は 紀元前550年頃のバビロン捕囚以降に作成。

4人の詳しい人物像は分かっていません。これは仮説ですが、現在でもこの説が研究の資料として使われています。それでは、トーラー以外は誰によって書かれたのでしょうか。


聖書は39冊から成り立っている

トーラーは人間が神からの啓示によって書かれた神の言葉ですが、それ以外の34 冊の書籍は性質が異なります。それぞれ、歴史、部族、作者が異なっています。

それぞれの時代の出来事を記した年代記、詩や格言が書かれた詩篇や箴言などがあります。このは34冊の著者についても詳しい特定はされていません。

ダビデ王やソロモン王が書いたとされる箇所が特定されていますが、彼らが全て一冊を書いたということではなく、複数の著者がいるということなのです。

ルツキ記やサムエル記などは、人物名が題名となっています。この箇所は、その人物が原文を書いているとも思われていました。ところが、実際は、別の人物が書いている可能性が高いとされています。
サムエル記の著者は、サムエル、ナタン、ガドとされていますが、歴史家だと言われています。また歴代誌の著者は、エズラとされていますが、ダビデ王の宮廷にいた歴史家だと言われています。しかしながら、それぞれの歴史家の名前までは特定できていません。今後も特定することは難しいと言われています。
聖書が一冊の本になるまでには、何人もの人物が関わっています。ところが、その人物がどんな役割を持っていたのかは記録が存在しません。そのため、聖書の著者の追跡は非常に難しいのです。
聖書には複数の著者が存在していたことが判明しています。その聖書がどのようにして一冊の本としてまとまったのでしょうか。例えば、トーラーは、4人の著者の言葉を並べれば物語になるというわけではありません。文章として矛盾する箇所はありますが、神の教えや物語は破綻していないのです。

聖書の編纂者はエズラだった

それを考えるとそれぞれの著者の言葉を噛み砕き一つの物語として成立するように編纂した編集者がいるということなのです。聖書の編集を 行った人物は、エズラだという説があります。
エズラとは紀元前5世紀頃、ユダヤ人がバビロニア地方で捕虜となっていた時代のユダヤ人指導者です。捕虜となっていたユダヤ人がエルサレムに戻ってきてから再び宗教的な伝統を築こうとエズラは神の教えなどを他のユダヤ人に向けて教えていたと言われています。

エズラ(ヘブライ語: עֶזְרָא‎、ラテン文字表記: Ezra)は、『旧約聖書』の登場人物。

『旧約聖書』によれば、アロンの家系の祭司で、エレアザルまたピネハスの子孫(「エズラ記」7:1-5、7:11)。写字生(「エズラ記」7:6)で、ヘブライ語とアラム語も書けたと思われる(「エズラ記」4:8-6:18、7:12-26はいずれもアラム語で書かれている)。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2024年1月27日 (土) 18:03での最新版を取得。

ユダヤ人がその教えを理解できるように、伝承をつなぎ合わせて分かりやすく伝える工夫をしていた結果、 編集という作業になり、エズラの語ったことがトーラーという形でまとまったのではないかとも考えられています。しかしながらこれはあくまで仮説です。
聖書編纂については、さまざまな説がありますが、編纂された聖書は、39冊が集められて1冊になりました。では、誰が何のために行ったのでしょうか。
聖書を編纂するにあたり、どの文章を入れてどの文章を外すのかという決定は、西暦1世紀頃に行われました。西暦1世紀はユダヤ人とローマ軍の間で戦争が起こりました。
戦争で生き残った ユダヤ人は故郷を追われ離散しましたが、律法学者達は集まって、聖書の編纂に取り組み始めたのです。理由は、聖書を築き上げなければ神への信仰が失われてしまうと思ったからです。
トーラー、歴史書、予言書、詩歌などが複数の場所に存在すると歴史の全体像を把握することが難しくなるだけでなく異なった解釈が生まれてしまいます。そうなると、統一されたテーマやメッセージ性を維持できなくなることが予測できます。
たとえ離れた土地に住んでいても、共通の価値観を築けるようにするためには、ユダヤ人の聖書を作ることが重要だったのです。そこで、信仰や伝承、歴史的背景、社会的状況などを考慮した上で聖書に入れる文章を決定し、現在の形になった様です。

七十人訳聖書

聖書は、紀元前3世紀頃に、エジプト王だったプトレマイオス2世が新しい図書館の参考書としてヘブライ語聖書のギリシャ語訳を欲しがったとされています。(プトレマイオス2世ピラデルポスは、プトレマイオス朝エジプトのファラオ)
そこで、イスラエルの12部族から6人ずつ、合計72人のユダヤ人学者たちを集め72日間をかけてギリシャ語訳聖書を作らせたとのことです。翻訳された聖書は、翻訳に携わった学者の数から七十人訳聖書またはセプチュアギンタと呼ばれ、現存する最古の翻訳聖書の一つです。(セプチュアギンタ(Septuaginta)」は「70」を意味し、ギリシア語訳の聖書の中で最も権威がある)
聖書が確立したのは西暦1世紀です。それ以前に聖書に関する文書の翻訳はすでに行われていたということです。ただ 聖書がここまで世界に広がったのは聖書確立後に誕生するキリストの存在があったからです。
キリスト教は、ユダヤ人以外の多様な民族や文化からも受け入れられたため4世紀初め以降は、加速的に広まって行きました。後に作られる新約聖書とともに旧約聖書は、知られるようになったのです。
ところが、この聖書が広まる立役者となったキリストは、実在しない人物なのではないかという説があります。

参考文献:ユーチューブ、【論争】旧約聖書はいつ、誰が書いた?不都合な歴史の真実

URL<https://www.youtube.com/watch?v=-CrCdrMeXxc>アクセス日:2024年2月19日

まとめ

離れた土地に住んでいても、共通の価値観を築けるようにするためには、ユダヤ人の聖書を作ることが重要だった。

信仰や伝承、歴史的背景、社会的状況などを考慮した上で聖書に入れる文章を決定し、現在の形になった。


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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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