日本人のルーツは日高見国にあった

日本人のルーツは日高見国にあった

この記事の概要

日本人のルーツは日高見国にあったのです。日高見国と高天原が重なり、神族系である藤原系などの貴族は、全部関東から来ていたと言うことが理解できるのです。日高見国とは、現実にあった国が高天原と呼ばれていました。高天原系の人々はすべて日高見国の人たちだったということが分かっています。


高天原

大和国ができる以前から、日本の東側の壮大な国である日高見国が、縄文時代から続いてきた国なのです。現在の東日本のあたりが日高見国という名前が付けられていました。
その辺りが高天原だと言えば、そのイメージが湧いてきます。高天原と言うのは日本では、何処かの非常に高いところにある意味で、天国のような場所を想像します。日本では富士山の様な高い山の天辺の場所が高天原に思えてきます。
古事記や日本書紀に出てくる高天原が、実際の国であったということを日高見国の著者、田中道英先生は、「見抜いた」と言うのです。
古事記や日本書紀になぜ東北のことが出てこないのかを考えていると、それは高天原のことだったからです。高天原とは、神々の国で語るべき国のことではないのです。

東国にいた先祖たち

一般の国だったら、それは日高見国として言えるのですが、やはり高天原という天国だという事を言ったために、途端にそれが神秘的な国に なってしまい、それはまさに神話となったので、神々がいることになりました。
その神々というのは、日本では 何かと言うと士族つまり古い祖先たちであり、東国にいた祖先たちを神と言ったのです。ここらの新撰姓氏録は、(『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑)8世紀、9世紀の初めにできた日本にいる士族たちを説明した本です。
そこに三種類の日本人がいることが記されています。 一つ目は神族であり、神別です。先に述べた東国にいた先祖たちです。二つ目は皇族であり、皇別と言い神武天皇以降の新しい日本人ヤマト国の人たちです。三つ目は諸藩と言って帰化人たちです。それ以降に来たたくさんの帰化人です。日本人とは、この様な人々であり、おおよそ三等分されるのです。
最初の神別という人たちをよく見ると、ほとんどの人々は関東の人々です。例として、中臣(藤原)、物部、大伴、紀、忌部、土師氏など関東にいた氏族たちが、全部神別として、神として出てくるのです。
その神別の人たちが天照のもとに行った高天原の人たちだということが分かると、高天原とは鹿島神宮や香取神宮の近くに高天原という土地の名前が残っていることから、その人々は関東・東北の人々なのです。

日高見国

岩手県中央部を北から南に流れ宮城県東部の石巻市で追波湾に注ぐ一級河川である北上川は、日高見川をなぞったものです。だから日高神社は、岩手にあったりします。そのことが、日高見国と高天原が重なり、神族系すなわち藤原系などの貴族は、全部関東から来ていたと言うことが分かるのです。
日高見国とは、現実にあった国が高天原と呼ばれていました。高天原系の人々はすべて日高見国の人たちだったということが分かっています。
日高見国が現実的になって来ると、縄文時代の人々がそのような人達だったことが分かるのです。現在は、縄文時代のたくさんの遺跡があり、いろんな土偶や土器がたくさん出土しています。それらには非常に豊かなものも出土しています。
出土された土偶や土器、遺跡や生活様式、さらに縄文人のDNAが上手く重なっていけばね、日本人の故郷が東日本にあったことが分かってきます。
高天原の神々とは、空想の人物ではなく我々の先祖たちなのです。この観点から歴史を語っていかないと、日本という事柄が分からないのです。
縄文遺跡などは90%は東北にあるのです。東北に人々は来ました。東北は日高見国と呼ばれていたのです。日高見国とは、太陽の昇る国、ユーラシア大陸最東端だと思われていました。

日出る国とは

 高く昇るのを見る国つまり太陽が昇る国に人々が最初にやって来たことがよく分かるのです。やはり西から来た人々が太陽が昇る国だと思っていました。フランス語では「(the rising sun 昇る太陽)朝日」 ル ソレイュ ルヴァン(日出る国)(大陸西端の国フランスでは日本のことを日出る国)と呼んでいます。
太陽が昇る国は、日本だと言っています。あれほど西国のほとんどの人々が、太陽が昇る国は日本だっと言っているのです。
日が昇る国と言うのは日本だけが言っているのではなく、世界が認知ているのです。そうすると、西国からたくさんの人々が「太陽が昇る国日本に行きたい」と言うのです。
今では、地球が丸いので、日本が日が昇る国ではないことが分かります。ところが、昔は平らだったと思われていたので、日本こそが、太陽が昇ってくる場所だと信じられていました。その場所で、太陽を造っているのではないかとか、太陽がそこに住んでいるのではないだろうかと言う色々な幻想を抱きながら日本にやって来たのです。日本という場所に、はるばる西方からやって来た人々が日本人なのです。
(地球が丸いことは聖書にはありますが、球体であることははっきりとは記されていません。)
日本の昔の祖先たちは、太陽信仰を求めてやって来た人たちが多かった様です。古来より伝わる大祓詞には、大倭日高見の国という記載があります。
大祓詞は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。もともと大祓式に用いられ、中臣氏が専らその宣読を担当したことから、中臣祭文とも中臣祓詞とも略して中臣祓ともいう。典型は延喜式巻八に六月晦大祓という題名で載る。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2023年11月17日 (金) 22:11での最新版を取得。
みんなが歌う神道の歌において、日本が大倭日高見国と言われていることが、これまで意味が分かりませんでした。全部大和国だろうと思っており、岩山の辺りに太陽が昇る意味として書いたのだろう思っていましたが、とんでもありませんでした。
これは「別の領域別の東国だった」ことが理解できれば、太陽が昇って行く国は関東・東北地方だった事が分かるのです。だから日本の由来が理解できる様になります。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=CTMyuv9c2N8>アクセス日:2024年1月18日


まとめ

日本に住む日本人の先祖たちは、日が昇る国を目指して、アフリカからエジプトシナイ半島を経由して日本に来たと思われている。ある一団は、シベリアを経て南下し日本行きた人々が縄文人になったとも言われている。

他の一団は、イスラエルの神から離れた太陽信仰を持った失われたイスラエルの十支族が来たとも言われている。


参考文献

日本の起源は日高見国にあった: 縄文・弥生時代の歴史的復元 (勉誠選書) 

高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する

日本人のルーツは日高見国にあった
最新情報をチェックしよう!
>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG