原爆地上起爆説の信憑性について考察

原爆地上起爆説の信憑性について考察

  • 2023年10月4日
  • 2023年10月10日
  • 歴史

この記事の概要

原爆地上起爆説の信憑性について考察してみました。「原爆地上爆発説」を流してるのはCIAの工作員なのかもしれません。「原爆投下は戦争犯罪、人道に対する罪」という言説が世間に広まりだした頃から、突然「原爆地上爆発説」が流布されるようになりました。機密解除の70何年経って日本人への残虐さが露わになったため、「昭和天皇が軍に命じて地上で原爆を起爆した」ことにしようとしているのです。


原爆投下の理由

原爆地上起爆説が最近話題になっていますが、その信憑性について考察してみます。原爆が投下された目的について、原爆資料館、平和記念資料館展示に基づく原爆投下理由は、次のとおりです。
  1. 広島・長崎に投下した理由は日本人を対象にしていたことは決まってた。市街地へ労働者・住民に対して繰り返し投下する。
  2. 膨大な経費の20億ドルを使った開発費などの周辺費用も含めると現在の感覚では20兆円から30兆円。この費用を政治的な説明で議会・国民に向けて、成果が上がったことを説明する観点で投下した。
  3. 戦後の恐れとして勢力拡大を原爆で抑止するため。戦後の核秩序、核による支配、核による覇権。
逆に言うと核を持ってない国は、独立国ではなくなってしまいます。戦後の世界は核保有する国が世界の中で独立国になるということです。広島・長崎に原爆を落とプランニングは、広島・長崎にとどまらず、日本の都市に十数発、さらにそれ以上の原子爆弾を落とし、成果を認めさせ、戦後の恐怖を作るため、核を保有する国が覇権を握るというのが目的でした。

日本人が皆殺しになっても構わないという発想の原点

そのためには、人種差別が激しい時代、日本人は皆殺ししても構わないという発想でした。
なぜならば、キリスト教国と言いながらも、その裏にはユダヤ教がキリスト教を偽装しており、聖書のヨシュア記6章にもあるように(ヨシュアがイスラエル民族を指導し、ヨルダン川を渡ってエリコの戦いを遂行します。先住民を皆殺しにして約束の地カナンを征服し、シケムで神と再契約する)神の目的であれば皆殺しにしても構わないと思っているからです。
日本人に対して原爆を落とすという目的があったことから分かるように、戦争を終わらせることが、目的ではなかったのです。よく言われるように「本土作戦における米軍犠牲の回避」も目的ではありませんでした。
なぜならば、本土上陸作戦前に、原爆を数発まとめて落とし、日本軍を壊滅させて、そこで上陸を図るということが検討されていたということです。
そしてマンハッタン計画の総責任者グローブス中将は、まさに工兵畑です。原爆畑の軍人である方が仕切っているのですから人道性という考慮は、全くないのです。人道的、非人道的という議論が全くなかったのです。
日本人に対しては差別です。人種差別という言い方もされますが、要するに人道性という考慮をする必要が全くありませんでした。日本人を皆殺しにするという方針に対して、議論に全く出てきていないということです。
日本への原爆投下の実務責任者の会話として8月13日にはこのように述べられています。「広島・長崎県の原爆は絶大な効果を日本人に及ぼした。繰り返し落とすという当初案に沿って3発目は8月19日、9月に4発目、5発目、6発から8発目。10月には1発10日毎に投下できる。日本に、日本人に、そして上陸侵攻前にまとめて投下」ということです。

原爆地上起爆説

この恐ろしい原爆投下の予定が、ジョージ・マーシャル・リサーチ・ライブラリにある一次資料に明記されているのです。そしてこれが機密解除の70何年経ってから、機密解除されたので露わになりました。
このことがあまり公になってはお困りの勢力があるのでしょうか。こところ、ネットを中心に「原爆地上爆発説」が流布しています。原爆地上爆発説を流してるのはCIAの工作員なのかもしれません。「原爆投下は戦争犯罪、人道に対する罪」という言説が世間に広まりだした頃から、突然地上爆発説が流布されるようになりました。
不謹慎な言い方ですが、ネット上で流布された内容では、「昭和天皇が軍に命じて地上で原爆を起爆した」という説なのです。
原爆事地上起爆説では、「米軍が投下したのではなく、昭和天皇が起爆した」とネットでは流布されています。それを信じている人が多いのですが信じている人々は、ネットに出ていることを鵜呑みにして、一時資料を自分で調べようとはしていません。原爆地上起爆説では米軍は何も行っていないと言うのです。
当時海軍航空隊少尉だった本田稔氏によりますと、8月6日朝、姫路市の川西航空機の工場で、新しい「紫電改」に搭乗し、長崎海軍大村基地に向けて出発しました。途中、広島上空にて原爆によって広島の街が消滅する瞬間を目撃しましたが、「B 29は、どこにもなかった」と述べています。
さらに、空中から爆弾を落としたと思っていないのです。「下から爆発してなんで何が爆発したかと思って」と証言しています。
しかしながら、地上起爆であると多くの犠牲になった人々との証言と違いが生じます。上空600メートル付近で炸裂した理由として、「原爆が600メートルで爆発したのは、爆発の威力に最適な高度であり、高度が低いと威力は強いが、面積は狭くなる。高度が高いと威力は低いが、面積は広くなる。15キロトンの爆弾の場合、最適な高度は600メートルなのだ。」とも言われています。
原子爆弾は、投下から43秒後、地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には半径200メートルを超える大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。
ヒロシマ・ピース・サイト(広島平和記念資料館ホームページ)

空中で爆発する理由

核爆弾が、空中爆発するように設定されている理由は、爆発により最大限の破壊と殺傷効果をもたらす為です。地上600m辺りで起爆するように仕組まれると爆発高度と破壊効果の関係は、原爆製造前の研究段階で知られていました。

通常の砲弾や爆弾の様に着弾で信管が作動する方式ですと、高高度から投下される爆弾は、大きな位置のエネルギーを伴って地上に到達し、地面に一定の深さで食い込んでから、爆発ししますが、破壊効果が及ぶ範囲が著しく狭くなります。最悪の場合、不発弾になる可能性もあります。

その理由で、核爆弾は標的物への着弾ではなく、空中爆発するように仕組まれていたのです。


原爆が空中で炸裂する目撃者の存在

原爆が空中で炸裂する原爆の目撃者が存在します。このような人々の多くは、おそらくもう亡くなられているでしょう。

長崎の被爆者は、空中で炸裂する火球の目撃者で、生存できた人です。失明はしてしまいましたが、空中で爆発する原爆を裸眼で目視し、奇跡的に生存し、火球を証言しえた世界で唯一の人がいたのです。証言は、虹のような光線が目に痛いほど飛び込んできたなど印象的な表現でした。

上空600メートルの地点で炸裂した時の強烈な閃光と爆音から、その後多くの被爆者達は原爆を「ピカドン」と表現しています。炸裂と同時に空中に直径約100mの火球ができ、それは約10秒で消滅したのです。

原爆投下を目撃したほとんどの人々が亡くなり証言する人がいなくなった時に「原爆地上起爆説」が流布され始め、「原爆投下はなくアメリカが行ったのではなく、やったのは日本人だ」と加害者をすり替えはじる工作が始まっています。


核爆弾は巨大で飛行機では運べなかったのか?

広島で投下された原子爆弾について、「核爆弾は、とても巨大で、飛行機に搭載できるようなサイズではない」とリトルボーイが巨大な爆弾としてネットに出回っていますが、その写真は、広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」ではないのです。

1945年7月16日に行われた世界最初の核実験「トリニティ実験」で使用するためにつくられた「ジャンボ」という格納容器です。「ジャンボ」が作られたのは、核爆発が失敗した場合に備え、ガジェットを封じ込め貴重なプルトニウムの損失を防ぐためのものです。

ジャンボは全長約7.6メートル、直径約3メートル、重さ約200トンです。トリニティ実験の後1945年8月6日に広島に投下されたリトルボーイは全長3.2メートル、直径71センチ、重さ4トンです。広島で原爆を投下したB-29爆撃機(「エノラ・ゲイ」)は、全長30.2メートル、全幅43.1メートル、最大爆弾搭載量は9トンでした。

ジャンボの重さではB-29に搭載することはできません。実際に投下されたリトルボーイはB-29の最大爆弾搭載量を下回り、搭載可能な重量だったのです。写真上がB29に搭載されるリトルボーイ、下は格納容器のジャンボ


昭和天皇が原爆の特許を持つ?

ネットでは一次資料らしきものを見せて「昭和天皇が原爆の特許権を持っている」と述べられていますが、これは本当でしょうか。

昭和天皇は原爆の特許を持っていたという話があるようです。戦前 日本もかなり原爆の開発を進めていたことは知られています。

しかしながら、日本が米国よりも先に原爆を開発していたとしても、連合軍が最初に行ったことは、日本を武装解除することです。天皇家が原爆の特許を保持することをGHQが認めるはずがありません。もし天皇家がそのような特許を持っていたとしたら、他の核保有国がそれを知らないはずはないのです。


エノラ・ゲイの飛行経路

もしかしたら、地上起爆説を広めている中心人物は、天皇を悪人に仕立て上げ、日本を破壊する工作員なのかもしれません。
なぜならば、機密情報が解除された後の本当で正確な情報が広められては困るからなのでしょう。そのような動きを感じます。彼らが主張する一つの訴えの中で、例えば原爆を投下したエノラ・ゲイ(Enola Gay)が飛行航路上に確認できていないというのです。
「原爆を搭載した爆撃機は飛んでいなかった。だから地上で起爆したのだ」という言い方をする人が非常に多いのです。その背景には、長谷川博さんというジャーナリストの研究から引っ張ってきた地図があります。
広島に向かうエノラ・ゲイの飛行航路が計画されました。これはアメリカ軍の資料に残っているものです。歴史に残る大作戦なので、計画も事後報告も非常に精緻にきっちり残しているのです。
原爆を搭載したエノラ・ゲイは、太平洋から徳島に入って、香川県、香川から瀬戸内海に入って広島という航路です。8時15分を目指したということです。ところが、先ほどの原爆地上起爆説は、空中ではなく、地上で起爆したという方の話にも出て来ますが、この飛行経路でエノラ・ゲイは確認されていないのです。
日本の防空体制は、1万メートル上空にエノラ・ゲイが来たとすると、高射砲は届きません。だから、彼らは自由に来ることができます。その意味では、安心して日本上空を飛んでいたわけなのですが、日本の監視体制は非常に万全です。レーダーではなく、目視です。軍人もいれば、ボランティアもいます。青少年も含めたボランティアが何百箇所で、365日24時間監視しています。
だから補足できる体制にあったのですが、エノラ・ゲイが確認されていないのです。そのため、「地上起爆説だ」と主張する人がいます。実は、8月6日の朝に確認されています。それは、別のルートです。その記録を長谷川氏と他の研究者たちが取りまとめているのです。
それによると、九州・四国の豊後水道を通って、広島に向かっています。原爆投下は、8時15分でした。広島には、7時前に飛来しています。そして一旦東の方に抜けて、岡山県の児島半島で旋回し、新居浜へ行って、そしてまた戻って来ました。
広島に戻って来て、8時15分に原子爆弾を投下したということです。これは、目視されたり、日記に証言が残っています。多くの資料はかなり焼却されていますが、それでも残っているものを辿ると、確実にそうだという研究なのです。
写真の出展:参考文献:ユーチューブ、エノラ・ゲイはなぜ一旦広島上空を通り過ぎ、引き返したのか [これが本当の近現代史#115]URL<https://www.youtube.com/watch?v=4rsyTcHrXSw&t=182s>アクセス日:2023年10月1日

原爆といえど防空壕にいたら助かる

米軍は、広島から80キロ圏内は飛行禁止しています。(原爆投下のために、米軍は広島から80キロ圏内の飛行を禁止しました。これは、原爆の威力を測定するために広島を温存したためです。)
最初に気象観測機の1機が、飛んで来ます。続いて、エノラ・ゲイには、2機の飛行機が随伴していました。1機は、諜報飛行機で、要するに日本の無線を傍受する飛行機です。もう1機は気象観測と記録をする飛行で合計4機が飛んで来ました。
これら4機が、7時前に広島の上空に来ていたのです。エノラ・ゲイに随伴する3機が東の方に行って、旋回して8時15分に広島に戻って来ました。これはなぜこの飛行経路を取ったかと言うと、広島市では前の晩から何回も空襲警報が出たりして、空襲警報によって、防空壕に入ってまた出てきたりといった行動を繰り返していたからです。
広島上空7時前にエノラ・ゲイと他3機が来た時も、空襲警報が一旦出ました。警戒・警報か空襲警報を出したです。防空壕に入った後エノら・芸を含めた飛行機は、岡山県側の東へ行ってしまったので空襲警報が解除されました。
防空壕と原爆との関係において、米軍はあらかじめ研究していました。恐ろしい原爆ですが、投下された最初の強力な威力とは、熱線と爆風、放射線は、地下の防空壕に入っていた場合、かなりの程度防げるという研究結果が出ていました。
事実、8月6日の投下の時に、防空壕に入っていた少女たちは、ほぼ無傷で収まっていたので、広島市外に逃げて行ったところを目撃されています。それが放射能の影響はあるかもしれませんが、ほぼ無傷でした。防空壕に入っていなかった多くの人々が、に無残にも黒焦げになったり、一瞬で消滅してしまったり、肌が破壊されて垂れ下がったり、内臓が出たりという恐ろしい状態になってしまいました。
米軍の狙いは、できるだけ被害を大きくし、多くの日本人が犠牲になることでした。大きければ大きいほどよかったのです。原爆の効果が大きいというのは被害が大きい方がいいと言うことなのです。それによって、原爆の恐ろしさを見せしめ、核による支配が可能になるからだったのです。

午前8時15分を選んだ理由

被害が、大きければ大きいほどいいとは具体的には、いかに多くの人々を殺傷したかです。一瞬にして殺戮できたかということです。そのためには、それが示すために検証されなければならないと言うことです。原爆投下の理由を先の1から3に示したことを実現するために1点に集中する必要がありました。
事前の研究成果を踏まえると、この時一番投下目標としてふさわしかったのは、実は京都でした。盆地状になっている事と、人口が非常に多かったからです。
その次が広島でした。しかしながら、周りが山に囲まれているので、できるだけ多くの人間を一発で殺傷する効果が高いことを示すためには防空壕に避難してもらっては困るわけなのです。
8時15分という時間帯を選んだのは、現代でも勤務時間です。働いたり学校へ行ったりするためには防空壕に収まっていてはできません。人々が地上に出ている時間帯です。日本人を一瞬にして殺戮するためには、人々を地上に出す必要がありました。
そうしないと戦後、核による脅威を示すことができず、核の覇権を握ることが叶わなくなるからです。そこまで計算して、日本人を殺戮したのです。繰り返し何度でも原爆を投下しても良心が痛まないのは、彼らの「神の命令によるものだ」と信じている以外考えられません。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=4rsyTcHrXSw&t=182s>アクセス日:2023年10月1日

まとめ

機密解除がされてから、原爆は日本人に繰り返し何度でも落とす計画が露わになって来た。原爆投下が人道に対する罪であることがようやく理解され始めて来た今日に、「原爆地上起爆説」が盛んに流布され始めている。

これによって原爆を実行したのが「アメリカ人ではなく日本人である」とネット民を信じさせようとしていることが考えられる。


紹介欄

特攻兵器「原爆」

偽装された原爆投下 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討

原爆は京都に落ちるはずだった

 

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