最終学歴と偏差値によるブランド化された人間たち

最終学歴と偏差値によるブランド化された人間たち

この記事の要約

最終学歴と偏差値によるブランド化された人間たちは、流される人間として養成されています。政治、大企業、軍隊、宗教組織にとって、この様な人は、好都合な道具です。目覚めた人間は、学歴も偏差値も必要ではありません。必要なのは、己の可能性と志なのです。


1. 悪魔が利用するのは宗教と教育機関

ナポレオンヒル博士の著書「悪魔を出し抜け!」の中で、悪魔が利用するのは、宗教と教育機関です。

この二つの機関を利用して悪魔は、人間をどのようにしたいのか。それは、「流される人間」に仕立て上げることが目的だと述べられています。流されるとは、自分で考える意思を持たずに生きていく人間にすることです。

悪魔が人間に仕向けた学校に行く目的は、単位を取ることでした。

悪魔を出し抜け! Kindle版

大前研一氏の日本の未来を考える6つの特別講義を読んで、心に残るものがありました。それは教育制度についてです。

大前研一 日本の未来を考える6つの特別講義 (大前研一ビジネスジャーナルアーカイブス)

日本の教育改革における最大の障壁は「偏差値」です。この偏差値というものが、日本人を大志を抱けない国民にしてしまったのです。

なぜ偏差値が導入されたのでしょうか。

偏差値を導入した背景には、学生運動の象徴とされる東京大学の安田講堂事件 の後、政府が強い危機感を持ったことに端を発していました。

学生運動時の世界は東西冷戦の最中でした。アメリカ政府は、日本をつくりかえる計画がありました。ロシアや中国と結託し、アメリカが計画していた日本政府を転覆させようと革命を企てる輩がいる事に危惧していたのです。

政府に逆らうような資質、すなわち流されない人びとををあらかじめ封じこめる方法を用いました。それが、偏差値精度です。「あなたは偏差値51」「あなたは偏差値67」というように、その人間の可能性を高校や大学生のときに決めてしまったのです。

10代、20代の頃の若いうちに、人間にたがをはめてしまうのです。
この偏差値の存在が、どの高校、どの大学生を卒業したかで人間の価値を決められてしまい、今の日本の若者と日本全体を萎縮させています。


2. 偏差値は人に「あきらめ」を抱かせるのが目的

偏差値は、自分にある可能性を封じ込めてしまいます。

偏差値によって自分の能力の力は、この数字までだと限界を決め付けてしまうのです。だからそれ以上は、期待しなくなる人間になり、可能性を捨ててしまいます。

可能性を捨てた人間は、おとなしくなり、文句を言わない人間になります。政府にとっては、とても都合が良いのです。

勉強ができる子を測るのは偏差値です。学校で一番偏差値が高かった人間が官僚や政治家になっているから、彼らが間違えるわけがないと思えるようになります。

その一方で、偏差値が高い人間にも問題が生じます。「自分はできる、このままでいい」と思ってしまっています。その結果、高慢が忍び寄り、それ以上勉強しなくなります。こうなると新しい考えを取り入れなくなるのです。

偏差値が高くても低くても、両側で問題が起こるわけです。今の日本が変化できないのは、かつての日本と違い、偏差値教育の下で育った人間が主流になっているからです。

戦後、GHQは、大学を実務ではなく、アカデミックに改造しました。大学は、実務から離れ、学問を追究していればいいという方向に持っていってしまったのです。

3. 大学卒・大学院卒は実務で役に立つのか

高等教育が偏差値の高い大学進学するのが目的になっていますから、大学を卒業して企業に入っても、実務ではまるで役に立たない人材をつくっているようです。

教授は、アカデミックなことを教えていることに加え、できのいい学生は「よくできるから大学院に行ったらどうかね」と言います。大学院に通い始めると、「研究室に残ったらどうだね」と言われます。

大学が、次の教授の後がまをつくろうとしているわけです。できのいい人間は早く世の中に出て活躍したほうがいいのです。その様な意味で、大学教授は、実務離れしている人が多いのかもしれません。

大学を卒業しても入社した人間を一から鍛え直さなければなりません。大学を出て一度就職した後、専門学校に入り直す人が増えています。大学の教育が実社会と実務とかけ離れている証拠なのかもしれません。


4. 国立大学は官僚養成学校

国立大学(旧帝国大学)は、官僚養成学校として創立されています。

決まった仕事を手際よくこなすことに養成され、自発的に考える能力が研かれず、能吏(事務処理にすぐれた才能を示す役人)としての能力に長けるように育てられて行きます。

ところが、「職業訓練学校として機能すべきところ、その役割を担うことなく中途半端にアカデミックな教育を続けているので、国立大学を卒業しても、企業では即戦力として使えない」とこの書の中で述べられていました。

日本の場合、この学校を卒業すれば明日から実務をこなすことができるという大学がないために、きわめて効率が悪いのです。

外国人から見た日本企業の働き方は、だらだらと残業が続けられているのもですから、効率が悪いと指摘されています。このことが次の書にも痛烈に述べられています。

脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術 

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)


5. 学歴と偏差値の劣等感について

自身の学歴や 出身校の偏差値に劣等感を抱いてしまうのには訳があります。

基本的に、人間の脳力には、大きな差はありません。遺伝的にある程度の特殊な脳力に長けていて、学力が優秀だと評価される子供もいれば、学校の教育課目に、得意科目が無かったばかりに偏差値が低いというたがをはめられてしまう子もいます。

これが、得意科目に恵まれた子と恵まれなかった子では、努力の大きさとストレスの負担に大きな差が生じます。

教育に熱心な家庭に産まれれば、ある程度の学力と学歴を得ることができるでしょう。子どもの頃から、教育の機会がなく、小学、中学、高校と時を過ごしてしまい勉強の大切さを知ったときには、勝負あったという状態になる子どももいます。

この様な学問の機会に恵まれなかった幼少期や少年時代を過ごした場合でも、いい師匠に出逢えば、効率的な方法で勉学に励む機会に恵まれたのでしょう。

しかしながら、それの機会にも恵まれず、巡り合わせが悪く、流されるままに三流大学と呼ばれる学校を卒業してしまう人もいます。

このまま、最終学歴として引っ張る人もいれば、頑張って、大学をやり直すか大学院を卒業して最終学歴に箔をつける人もいます。

心の中にくすぶっている学歴の劣等感はどこからくるのでしょうか。これは、この世的な考えからかけ離れたところへ考をシフトする必要があります。

このような考を抱く人は、ほとんどの場合、前世において高学歴だった時代を経験しています。

学歴のない人びとを蔑んでしまい、劣等感という苦しみで償いをしているのです。前世についてご興味があれば、次の書が大変役に立つと思われます。

眠れる予言者エドガー・ケイシー―あなたの魂をみがくスピリチュアル・メッセージ


まとめ

悪魔の目的は「流される人間」に仕立て上げること

宗教と教育機関を利用している

最終学歴と偏差値によるラベリング

人間の可能性は偏差値では測れない


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