日本は高天原系と秦氏系が相互に国を治めている

日本は高天原系と秦氏系が相互に国を治めている

  • 2023年11月24日
  • 2024年3月3日
  • 歴史

この記事の概要

日本は高天原系と秦氏系が相互に国を治めているのです。源氏は日高見国系です。平家は秦氏系です。織田信長の鼻が高く非常に乱暴な一面がありますが秦氏系なのです。彼らの天下は非常に短いのですが徳川の世になると長くなりました。これが高天原系が強くなると安定した時代になります。この繰り返しがあるのです。明治以降は毛利と島津です。つまり長州・薩摩が支配します。今の世の中は秦氏系なのです。


日高見国

東北に蝦夷がいるという事は、つまりユダヤ人が、遠くにいたことが分かります。東北北部の秋田、青森になぜ美人が多く体が大きい人が多いということも理解できるのです。身長の高い大谷選手も岩手県出身です。あれほど大きな人が日本にいるのでしょうかという思いがします。東北地方には、端正な顔立ちをした美人が多いのです。安倍氏も清原氏もユダヤ人系だということが分かってきます。
顔の彫りが深いとアイヌ系だと思われますが、アイヌの人々は、まだ新しく、12 世紀に来た人たちです。オホーツクから追われて来た人たちなので、決して日本の原住民ではありません。
彼らは縄文人ではないのです。縄文というのは暖かい北海道にいた人たちで、それは日本人と同じなのです。その理由で、北海道に縄文遺跡を見に行くことができるのです。たくさんの縄文遺跡があります。まだ未開の発見されていないものがあるのです。
日高見国が北海道にありました。日高という地名が北海道にあります。北海道にまで日高が延びていました。日高見国は長く、名古屋や三重辺りにまで開かれていたのです。飛騨の名前は漢字は違いますが日高なのです。
九州大分県には、日田市があります。これは日高であり明らかに天孫降臨した後、日高見国の人が、日田に着いたのです。そのためにものすごいエリート意識を持っています。
九州の日田市の人々がエリート意識を持っているのかというと関東・東北から来 たという誇りがあるのです。すなわち、それは高天原から来たのだということなのです。北九州・出雲地方は秦氏系、あるいは朝鮮から来た人たちとは違うという意識を持っているのです。
鹿児島は海軍が多く、島津藩であって今、分かるのはこれが秦氏なのです。そして長州も大内氏などの秦氏なのです。これらのことが日本の歴史全体にあります。

関西と関東の違い

関西と関東は、なぜ地下鉄に乗ると東京は左側に、関西は右に並ぶかは今も違っています。東京の人が関西へ行くとみんな間違えてしまいます。
右側というのは、西洋が右側、右側通行なのです。右側とは、関西方面の文化は、結局西洋から来たことが分かります。そしてそれが関西・九州に入ったのです。
だからといって彼らが対立関係ではなく、同化しているのです。同化しているから関西の漫才も面白いのです。
左側通行の国:日本、英国、豪州、インド、インドネシア、アフリカ
右側通行の国。米国、EU、ロシア、南米、中国、韓国、台湾、他
結局、関西も関東も同じレベルで日本人感覚を持っています。しかしながら、西洋に行く人はみんな関西の人が多いのです。出しゃばりが多いし、いつもガンガンものを言ったり、関西のおばちゃんというのは、みんなそのような感じなのです。
ヨーロッパに行くと、ほとんどの人が関西人ばかりです。関東の人は、静かに歩いているだけです。日本には2種類の人々がいることが分かるのです。

高天原系と秦氏系

ある時は秦氏が強くなったり、ある時は、長い年代、例えば江戸時代、平安時代、これは全部関東系なのです。藤原氏は、富士山の富士です。藤原とは富士原なのです。藤原は、中臣から来ています。千葉・茨城のあたりの鹿島から来たのが中臣氏なのです。
中臣先祖は、天石戸祭祀にも登場する天児屋命(あめのこやねのみこと)代々鹿島神宮の神官だった家系とされます。
中臣氏が奈良に行っているので、春日大社に鹿がいるのです。で春日大社は全部、武甕槌神(たけみかづちのかみ)であり、鹿島・香取の神が春日大社にいるのです。その理由で、奈良は関西ですが、関東から来た人たちが支配しているのです。それが藤原氏です。藤原は、藤原鎌足から始まっていますが、中臣鎌足が、蘇我氏を断絶したのです。
蘇我氏を断つ事によって、ユダヤ人の野望を終わりにしたのでした。すなわち、ネストリウス派で聖徳太子が、「厩戸皇子だ」と。これほどの名前をはっきりつけたのです。「聖徳太子は、キリストだ」と。(ネストリウス派は、古代キリスト教の教派の1つで、コンスタンティノポリス総主教ネストリウスによって説かれたキリスト教の一派)
そして蘇我氏の名前は、我蘇りと書きます。我蘇り、厩戸皇子とは、 イエス・キリストそのものではないですか。この時代に、蘇我氏は、日本をキリスト教にしようとしたのです。

乙巳の変は日本を取り戻す革命だった

645年6月12日に乙巳の変(大化の改新)が起きました。これは日本を取り戻す国政改革だったのです。中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)、藤原鎌足らによりこの改革が成し遂げられました。蘇我氏を抹殺した以降は、天皇中心の政治になったのです。
宮中大極殿にて皇極天皇の御前で暗殺されました。 その時に首を刎ねられたことから、「入鹿の首塚」と称されるものが各地にあるのです。 小網町の隣の曽我町には、首が飛んできて落ちたという「首落橋」がかつてあったとされます。
これほど見事に、はっきりとユダヤを異教徒を、完全に切った後に秦氏が残ったのです。蘇我氏は、名前を変えて生き延びます。それと同時にキリスト教徒に日本人を改宗させようとする野心はなくなるのです。
そうすると秦氏が残って秦河勝が、乙巳の変の状況を見て「ああ、日本人は強いんだな」ということが分かり、秦氏は一斉に日本人化するのでした。

国譲りとは高天原系の人々に従うことだった

日本人化するということは何かというと、関東・東北系の高天原系の人たちに従うということです。これは、出雲国譲りもそうです。大国主命の時に武甕槌神が行って「国を譲るように」と言ったのです。
荒神谷遺跡の銅剣(こうじだに・出雲市)で発掘された358本の銅剣には×印の刻印が刻まれており謎を呼んでいますが、それは明らかに「銅剣を捨て従います」という意思表示なのです。制作年は紀元前1世紀前後と言われ弥生時代と言われています。
これは、鉄剣方に国を譲りますということなのです。鉄剣を持ったのは、関東・東北の武士たちです。これが非常に強い力を持つわけです。

高天原系は安定し長く秦氏系は躍動的で短い

関東・東北の武士たちの影響力は、平安時代、藤原氏 、徳川なのです。徳川がなぜ250年も安定した関東の政治を行ったのかというと、背景には関東・東北のの武士たちがあるからなのです。
源平の戦いも源は鎌倉に政治の拠点を構えました。これ何かというと、これこそが日高見国系なのです。だから源氏は、関東・東北武士の人たちです。平家は、関西・九州・倭寇の人たちがいるのです。
これが平家の欲求が短い理由なのです。織田信長、豊臣秀吉について見てみると、織田信長の鼻が高く非常に乱暴な一面がありました。これが秦氏系なのです。彼らの天下は非常に短いのです。
徳川の世になると長いのです。これが高天原系が強くなると安定した時代になります。このような繰り返しがあるのです。
明治以降は、毛利と島津です。つまり長州・薩摩が支配します。これが秦氏系なのです。今も秦氏系が続いているのです。安倍元首相も長州です。秦氏系の人たちがいまだに続いているのです。これはなぜ必要かというと外のユダヤ人と繋がりを持たないと世界に押し流されてしまうからです。

グローバリストユダヤは日本にユダヤ人がいることを知っている

第二次世界大戦が太平洋戦争と言われていますが、服部時計店が火災で崩壊していないのです。攻撃されていませんでした。服部時計店は、まさに銀座のど真ん中にあります。あの建物がやられれば銀座はもう壊滅という感じがします。
ところ破壊されませんでした。なぜ破壊されなかったのか。偶然だと思うでしょうか。また皇居もやられていません。 皇居が破壊されなかったのも天皇を初めから殺す気はなかったのです。
このことは日本にいる秦氏について、アメリカのユダヤ人が知っていたということなのです。つまり、服部時計店は、なぜ破壊されなかったのというと、服部時計店は諏訪から来ました。諏訪の時計店が銀座に来て商売をしているのです。そこは銀座の一等地です。
これは秦氏系で商売が上手いのです。日本とユダヤの組み合わせは非常に面白いのです。一方はおっとりとしていて温厚で自然に溶け込んで自然で生きていけばいいというのと、秦氏のような全く逆の人が自分たちはいつも戦いながら活動している人々です。
安定しない人たちが日本に来て、土地をもらって安定すると商売で頑張るのです。平和的なことで頑張り始めます。そうすると文化を作ります。京都の文化は非常に洗練されたものです。要するに商売になることをやるわけです。
この人たちがいるおかげで日本は、非常に助けてもらっているのです。なぜ朝鮮や中国と日本は違うかというのは、秦氏の影響力があることである程度分かると思います。

秦氏は日本に同化することを選んだ

秦氏は、最終的には彼らの才能を捨てているのです。捨てているとは例えば、すごい神輿があります。これも秦氏の影響なのです。
富岡八幡宮の一宮神輿は日本一の大神輿で有名です。高さ4メートル39センチ、重さ4.5トン。金額にして10億円の神輿とも言われている黄金の神輿なのです。(住所. 東京都江東区富岡 1-20-3 )
しかし秦氏は完全に日本化しています。富岡八幡宮の境内には鹿島神社があります。品川にも鹿島神社があります。この関東になぜ秦氏系がいるのでしょうか。鹿島と秦氏が一緒にいるのかは、大国主命が国譲りの時になかなか譲りませんでした。
この時、最後に建御名方神(タケミナカタノカミ:大国主(出雲)の子。国神、諏訪大社の主祭神)に相対した建御雷神(タケミカヅチ:鹿島の神、武の神、天津神、鹿島神宮の主祭神)は、鹿島が戦わずに勝つのです。

諏訪に逃げます

鉄剣と銅剣ですから戦わずして勝ったのです。そうして建御名方神は何と言ったかというと、「 諏訪に逃げます」と言ったのです。
この諏訪とは、服部時計店です。つまり「逃げます」と言った時に諏訪に秦氏がいたのです。諏訪にはミシャクジ信仰とユダヤのイサク信仰があるのです。旧約聖書ではアブラハムが息子イサクを生贄とする「イサクの燔祭」が諏訪地方で受け継がれているのです。この儀式は江戸時代まで続けられていました。(ミシャグジは、縄文時代の原初的な自然崇拝であるアニミズムが残存した神であると考えられています。)
ユダヤ人の儀式が行われている場所を秦氏は知っていたのです。そこに行けば、ユダヤ人に会えるということを。それで「諏訪に逃げます」と言って諏訪に戻ったのです。しかしながらそれは象徴的なことで、出雲の人たちが全て国譲りの時に諏訪だけではなく日本の関東・関西に来たのです。

天皇を支えることを選んだ

多くの場所に、氷川神社が近所にあります。氷川神社、大國魂神社、諏訪神社は全て出雲系ので神社です。そのため出雲とそっくりなのです。
八幡神社は応神天皇(第15代)が祀られています。応神天皇と秦氏には深いつながりがあります。お侍さんたちの神社です。
徳川も侍が祀られている神社ということで八幡神社を非常に大事にするのです。日本はおよそ8世紀から完全にユダヤ人たちを従えたのです。そして高天原系の天皇をずっと続けるのです。
天皇を支えるのが秦氏たちです。秦氏は、惟宗(これむね)という名前に変えたり、高橋と書いたり林に変えたり、全部名前を変えたのです。
そのために、それ以降、秦氏はいなくなってしまいました。特別な存在ではなくなっていくのです。しかしながら、血だけは残っているので、ユダヤから引き継がれた秦氏の才能が花開くのです。
秦氏系列の姓:羽田、波田、畠、畑、秦野、波多野、服部、八田、羽鳥、林など、
秦氏系の末裔とされる支族:惟宗(島津、宗、神保)、長宗我部、松尾、東儀、赤松、川勝、勝、松下、大蔵(高橋)など。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=c0-icKPlnUI&t=4s>アクセス日:2023年11月20日


まとめ

日本は二つの国から成り立っている。高天原系の日高見国と秦氏系の国である。

秦氏系は商売が上手である。安定しない人たちが日本に来て、土地をもらい安定すると商売で頑張り平和的なことを行い文化を作る。
秦氏系の人々がいないと外のユダヤ人と繋がりを持てず世界に押し流されてしまう。動乱の世の中には秦氏系の人々の助けが必要。
一方はおっとりとしていて温厚で自然に溶け込んで自然で生きていけばいいという高天原系の人々。本来の日本人が主導権を握る時代は長く安定した国家となる。

紹介欄

日本の起源は日高見国にあった: 縄文・弥生時代の歴史的復元

高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する

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