空気中にある栄養素と光を皮膚から取り入れる

空気中にある栄養素と光を皮膚から取り入れる

この記事の概要

空気中にある栄養素と光を皮膚から取り入れることによって生き、残りの4割は食べ物のエネルギーです。身体の中で内側から入ってくるのが食道の器官による食べ物の栄養です。しかしながら、現代人は「食べ物でお腹いっぱいにしなければいけない」と思って生きているのです。


素量の中の栄養を吸収する

カタカムナとカタカナの違いは、カタカナには「無」という言葉が入っていないことです。この「無」という言葉は、深さや見えないものを感じる力を表します。これが現在では失われてしまっているで非常に深く、神秘的な世界がその向こう側にあるのです。

現代人の思い込みは、食べ物によってエネルギーを得るという考え方が、8割から9割ぐらいになっています。本来の天然である栄養の吸収の仕方とズレが生じています。

食べ物によって生かされてはいますが、食べ物によるエネルギーは、4割ぐらいで残りは、空気中にある水やタンパク質など、全部この素量( ある物理量において存在し得る最小量)の中にあるのです。

身体の中で内側から入ってくるのが食道の器官による食べ物の栄養です。しかしながら、実は皮膚や身体の周りの空中から栄養を摂っているのです。

身体の周りの空気中から摂取していることを忘れてる人たちは、「食べ物でお腹いっぱいにしなければいけない」と思って生きているのです。


食べすぎる現代人

そのため人々は皆食べ過ぎています。その食べ物も奪い合っています。でも食べ過ぎたらどうなるのでしょうか。消化の方にエネルギーを取られ過ぎて、自分の体や自分の頭、自分の心を見る暇がないほど消化のため時間を取られ過ぎています。そのため食べ終わったり、ちょっと眠たくなって寝ます。

その様な行動パターンが続き、身体の内臓は、一生懸命消化してようやく消化し終わったと思ったら、お腹が空いたと思うので、起こされて、また食べるのです。その様な生活が人間の脳を劣化させ、直感脳を退化させています。食べては寝かされ、食べては寝かされる人間は、まるで家畜の様です。がんは、人間と畜産で育てる牛、豚などとペット以外にがんはないのです。

確かに食べるスピードが早すぎて必要でないものまで無理に食べるので、消化にエネルギーを取られて本来の生き方ができなくなってしまいます。


皮膚から栄養素を摂り入れる

しかしながら、食べないで空気中にある様々な栄養素を皮膚からいただける状態にすれば元気になれます。アジアの中でも修験道のような方はたくさんいます。

食べることに関して、西洋文化の現代の価値観で人は食べ物によって生きる方向に傾いています。その様に勘違いしているのであって、本来は、その比率は20%が光からです。光のエネルギーによって生きることになれば、良いバランスになり、非常に生きやすい状態になり、楽になれるのです。

世の中を見ると、いらないものがたくさんあります。どこ行っても買う必要がないような食品が多くあります。食べない習慣は、現代では、非常に特別なことの様に感じます。断食道場に通ったり、断食をするということ自体がとても特別な感覚ですが、元々日本人は1日2食であり、粗食で過ごしていました。特に縄文時代は何日も飯を食べないことが普通にであって、何の苦もなく生きていました。

特に火を使う前の生活は、天然の植物でした。動物を食べるようにもなりましたが、動物は自然循環の連鎖が悪いのです。動物を犠牲に捧げる習慣がユダヤから入ってきました。動物は必要以上に食べる必要はないのです。

動物をあまりたくさん食べない生活になれると、少なくとも食べるよりは食べない方が快適になってきます。食を減らすことで、生活が快適になってしまうと、食の楽しみがよく分かります。全く食べないわけではありません。4割は食事をしているので、食の楽しみもあります。食事が楽しいことも生きることの中でも大事なことの一つでもあります。


生体エネルギーを分かち合う

しかしながら、食事は楽しみ程度に食べて、自分の生命を維持するのには他のところからエネルギーを得ることが、本来の宇宙のあるべき姿なのです。日本の文化と西洋あるいは大陸の文化等の大きな違いは、食べる時の幸の見つけ方が違うという点です。

西洋や中国では、貴族あるいは豪傑のような人たちが自分のところにだけ美味しい料理をいっぱい並べます。例えばもう中国では、3日ぐらいかけてひたすら食べ続けます。

それだけ食べることができるのは、権力者にだけに与えられた特権です。一般民衆は、ほとんど食べる機会がありませんでした。「食わなくなって構わないんだ」という考え方であったのです。それに対して、日本人はそうではなく、縄文の昔から食材をどの様に食べていたのかが縄文式土器の中に食べ物の数が残っていた中から明らかになっています。

縄文人は非常に食べ物が好きだった様でした。食材を見ると非常に鍋物が好きだったのです。村中みんなで集まってみんなでツッツキ、ゲラゲラ笑い、ニコニコしながら集団で食べる時に生体エネルギーがお互い近くにいることによって発生しているのです。

みんなで集まって食べるころに一つの大きいエネルギーが発生します。その笑顔のエネルギーも振動して周波数として食べていたと思います。

縄文時代の人たちは、素食であったとしても、笑顔がそこにたくさんあったらそれ自体がものすごいご馳走になることを知っていたのでしょう。

笑顔は、本当の意味で体のエネルギーになるのです。笑顔のエネルギーが、自分の栄養になってきていることを縄文時代になんと1万4000年の長きにわたって我々の祖先は続けてきたのです。


発酵食品の文化

炊くことによって発生する発酵があります。発酵文化は、日本の特殊な文化です。発酵食品は、少ないエリアしかありません。日本には、ほとんどのものに発酵食品があります。

これは、その時の記憶を忘れていないからです。臭い物を日本人は、結構好きです。傷んだもので本来であれば食べ物にならないようなものを食べ物に変えてしまいます。

傷んだ食材を50年とか100年とかあるいは500年1000年ぐらいの短い期間ではなかなかそこまでたどり着きません。その食べ物を発酵させてより工夫して食べるというのは何千年、もしかすると何万年という単位の技術の蓄積と実績があるので安心して食べることができます。だから古い食材はすぐ分かります。例えば大豆です。大豆の加工職人は、いろいろな種類があります。

漁にしても、とれた魚を持って帰えります。味は落ちてしまいます。でもそれでも持って帰って子供たちと一緒になって楽しく食べるということを学んで行きました。

縄文時代の文明の中にカタカナムナ文明と呼ばれるものが一番根底の思念としてあったのです。


参考文献:ユーチューブ、縄文人は皮膚から栄養を取っていた|天野成美×小名木善行

URL<https://www.youtube.com/watch?v=Vy9fQZDiKfs&list=WL&index=23&t=488s>アクセス日:2023年8月1日


まとめ

前文明であるタルタリアの建物にはトイレが無い。それらの建物は、フリーエネルギーが出る仕組みになっていて皮膚から栄養素を取り入れたと思わせる。食べるという行為をほとんどしなかったのではないだろうか。

動物や植物を殺して食べる必要もなかったと思われる。


紹介欄

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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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