真珠湾攻撃は陸軍も海軍も反対だった

真珠湾攻撃は陸軍も海軍も反対だった

この記事の概要

真珠湾攻撃は陸軍も海軍も反対だったのです。アメリカ人から見ても、真珠湾攻撃は愚策です。愚の骨頂でした。何故あんな馬鹿なことを決裁したのか、不思議でならなかったはずです。国際金融資本が戦争を仕掛けるためにハーバード大学留学組やルーズベルトをはじめアメリカの民主党を利用したのです。


永野修身氏の重大発言

永野修身氏は、巣鴨プリズンにおいて寒風に晒され、急性肺炎に罹患し、近くの陸軍病院に移されて数日後に亡くなっています。永野氏は日本で唯一、海軍大臣、連合艦隊司令長官、軍令部総長も経験したことがあるのです。重鎮中の重鎮です。

永野 修身は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍の三顕職である連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長を全て経験した唯一の軍人。千葉工業大学の創設発案者。

ウキペディア:最終更新 2022年1月11日 (火) 10:55

軍令部は、日本海軍の中央統括機関である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼(ほよく:補佐)する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。

ウキペディア:最終更新 2021年1月19日 (火) 01:08

経歴ではアメリカと非常に関係があります。1913年アメリカ駐在、ハーバード大学へ留学しています。共産主義、グローバリズムの温床になっているハーバード大学です。

ロックフェラーは膨大な資金をハーバード大学へ寄付しています。彼らの直轄の大学です。永野氏は1920年、在米大使館付き武官になります。1921年にはワシントン会議全権随員でした。このようにさまざまな会議でアメリカと交流がありました。

当時から永野氏は、アメリカ通であると言われていました。山本五十六氏もハーバド大学へ留学していたのです。

永野軍令部総長は、山本氏が「真珠湾奇襲をやりたいやりたいと駄々をこねていて、真珠湾奇襲をやれば、アメリカはギャフンとなって立ち上がれなくなるだろう」というロジックの元、準備をし、裏方で、海軍や陸軍を恫喝していたのです。

そのような山本氏を永野氏は、連合艦司令長官として継続させたました。永野氏は、初めから山本氏に真珠湾攻撃をやらせるつもりであったことがわかります。

永野軍令部総長は、戦犯容疑で国際検事局に捕まり、巣鴨プリズンに入れられました。そこで尋問を受けています。

国際検事局の担当者も不思議でした。アメリカ人から見ても、真珠湾攻撃は愚策です。愚の骨頂(この上なく愚かなこと。 最もばかげたこと。)でした。

何故あんな馬鹿なことを決裁したのか、不思議でならなかったはずです。永野前軍令部総長に何度も尋問しています。

その時の尋問調書が、英文として残っています。その日本文が、東京裁判における永野氏の弁護士の方が日本語に訳しました。それを戦後、随分経ってから、弁護士の遺族が非常に重要なものであるということを悟り、永野氏の高知の家族を探して送ったのです。


尋問調書

尋問調書の日本語訳は国会図書館にあります。それは、「東京裁判における国際検事局の尋問調書永野修身」です。その内容の趣旨は、つぢの通りです。

海軍最高責任者の重大証言、

海軍省も軍令部も「複案」であり、真珠湾攻撃には反対であった。私も「複案」の方が理にかなっているので賛成であり、そうではない真珠湾攻撃に反対だった。

アメリカという国は戦争をする気がないのだから、日本がフィリピンをとっても、返すという戦略でしたが、それでもアメリカが戦いに来るとしても待てば良いのだ。

マリアナ諸島あたりに要塞をつくって何年も待てばいいのだ。それは海軍の伝統的戦略でもあった。そういった腹案に賛成であった。理にかなっているので、海軍省も軍令部も腹案で行うつもりであった。

このように、「真珠湾攻撃には反対であった」と述べています。永野氏自身も複案の方が理にかなっているので賛成でした。「そうではない真珠湾攻撃には反対であった」と軍令部総長は述べています。

ちょっとずるいと思うのは、山本司令長官にやらせておいて、「海軍省も軍令部も真珠湾攻撃は反対であった」と重大な証言を残している点です。

証言の続きの要約:

山本は、自分の計画が承認されなければ辞職すると脅した。

艦隊の司令長官が辞職するのは反対だったので、一番良いのは真珠湾攻撃の承認だと思った。

山本氏は、「自分の真珠湾攻撃が承認されなければ辞職する」と脅しています。これが正規の一時資料の中で述べられていました。これは事実です。

おそらく東條英機陸相も間接的に脅されていたと思います。「艦隊の指揮者が辞任するには反対だったので」それはそうです。

昭和16年10月、11月に連合艦隊の指揮者が、海軍の中核が、海軍の戦略のほとんど全てが、ぶん投げて辞任するには、「反対だった」これは日本の戦争が成り立たなくなってしまうからです。

これをはっきりと述べているのです。「そこで一番良いのは真珠湾攻撃の承認」だと思ったのです。

永野長海巣鴨プリズン国際検察局(IPS)尋問調書より、

永野氏は軍令部総長でしたので天皇の直轄でした。永野氏は、とっさの譬え話で有名でした。

1941年(昭和16年)9月3日、大本営政府連絡会議の冒頭で提案理由

・・・・・また開戦時機を我方で定め、先制を占める外なし、これによって勇往邁進する以外に手がない。

時機を逸して数年の後に自滅するか、それとも今のうちに国運を引き戻すか、医師の手術を例に申上げれば、まだ、七、八分の見込みがあるうちに最後の決心をしなければなりませぬ。相当の心配はあっても、この大病を治すには大決心を以て国難排除を決意する外はない。思い切るときは思い切らねばならぬと思います。

天皇が「絶対に勝てるか?」と尋ねた際には

絶対とは申し兼ねます。事は単に人の力だけでなく、天の力もあり、算があればやらなければなりませぬ。必ず勝つかときかれても奉答出来かねますが、全力を尽くして邁進する外はなかるべし。外交で対米妥結といっても、一年や二年限りの平和では駄目で、少くも十年、二十年でなければなりませぬ。一年や二年の平和では、第一国民が失望落胆すべし。

このような内容を見てみると、真珠湾攻撃が前提であったことが理解できます。


参考文献:ユーチューブ、Ch桜大学】真珠湾攻撃は、陸軍も海軍も永野修身も反対していた~重大証言 #9

<https://www.youtube.com/watch?v=Sf1e8um5cj8>アクセス日:2022年1月23日


まとめ

真珠湾攻撃は陸軍も海軍も反対だった。永野修身は反対の証言をしていたが裏では山本司令長官に真珠湾攻撃をさせた。


紹介欄

日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは

文庫 ルーズベルトの開戦責任 (草思社文庫)

 

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