日ユ同祖論が広まった理由

日ユ同祖論が広まった理由

この記事の概要

日ユ同祖論が広まった理由は、日本人としてクリスチャンになった3人が引け目を感じていた故、日本人が偉大な先祖を持っていることを証明したかったことが考えられます。日本人が創造神に選ばれし先祖であるイスラエルの血統を持っているので、日本でクリスチャンであるということに対して劣等感を抱くことはないことを立証したかったように思われています。


日ユ同祖論が広まった理由

日ユ同祖論を最初に主張したのは、明治初期に来日した英国のユダヤ人実業家ノーマン・マクロードでした。日本人のルーツをユダヤ人とする日ユ同祖論すなわち日本とユダヤは同じ祖先を持つということです。
マクロード氏は「日本古代史の縮図」の本を明治8年に著しています。その中で、「日本人は北の10支族の末裔」と主張しましたが、この本は日本語に翻訳されることはありませんでした。
英語が読める人だけが、この情報に触れていたということです。北の失われた10支族論は、聖書的にみると、北の10支族は失われておらず、北の10支族論は間違間違いであることが理解できます。あくまでも聖書的に見てです。DNA的に見た場合は、また別なところで考察が必要です。
日ユ同祖論が広まった理由としてを広めた人物がいたということです。その広めた人物では特に次の日本人の3名が有名です。
  1. 佐伯好郎(さえきよしろう)
  2. 酒井勝軍(さかいかつとき)
  3. 小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)
この3名が、日ユ同祖論と言われているものの形原型を作り上げたと言っても過言ではありません。

佐伯好郎

佐伯好郎氏は、日ユ同祖論を初めて公に広めた日本人だと言えると言えます。彼は、東京専門学校、現在の早稲田大学、英語文学科を卒業してアメリカに渡ります。
佐伯 好郎は、日本の言語学者・英語学者・西洋古典学者・ローマ法学者・東洋学者・東洋宗教史家。キリスト者でもある。英語名は「ピーター・サエキ」。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年7月16日 (土) 10:19 での最新版を取得。
帰国後は教職に就きます。そしてクリスチャンになりました。聖公会の東京築地教会で洗礼を受けてクリスチャンとなりました。
聖公会、アングリカン・チャーチは、イングランド国教会の系統に属するキリスト教の教派。 聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道」の教会であると自認している。 世界各地にある聖公会の諸教会の世界的連合を、アングリカン・コミュニオンという。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年5月3日 (火) 17:22 での最新版を取得。
彼が日ユ同祖論として有名なのは景教(ネストリウス派キリスト教の中国での呼称)の研究です。
ネストリウス派は、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれたキリスト教の一派で、東方教会に含まれる。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年5月16日 (月) 11:19 での最新版を取得。
東京帝国大学より景教研究により、文学博士号を授与されています。
その後東京文理科大学、現在の筑波大学の学長を務めました。日本の学問的発展に随分寄与された方です。彼は1908年明治41年に「太秦を論ず」という論文を発表しました。
「太秦(うずまさ)」という地名があります。その論文の中で彼は、「秦氏はユダヤ人の景教徒である」と主張しました。
秦氏は、渡来人です。紀元4、5世紀頃、朝鮮半島から渡来してきた豪族に秦一族の中心人物が秦氏です。彼は景教徒ですが、人種的にはユダヤ人だという論を佐伯好郎氏は展開したのです。
その根拠として京都には「太秦」という地名が残っています。「太秦」とはもともと何なのかってよく分かっていません。秦氏が信じていた神の名前ではないかという説があります。
景教とは、ネストリウス派と呼ばれるキリスト教の一派が、中国では景況と呼ばれました。
ネストリウス派というのは、紀元431年エペソ公会議(東ローマ皇帝テオドシウス2世の召集によりエフェソスで開かれた宗教会議)において異端とされました。
異端とされた教理が今度は東の方に伝道を展開して中国までやって来たのです。中国では635年頃時の皇帝から厚遇を受けました。
エフェソス公会議は、431年にエフェソスで行われたキリスト教の公会議。正教会の一員である日本ハリストス正教会では第三全地公会と称される。
(キリストの神性を否定したコンスタンチノープルの大主教ネストリウスを異端として破門)
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2021年12月20日 (月) 10:21 での最新版を取得。
そして景教の教義と由来を書いた碑文が発見されました。これが大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)と言われ、781年に建立された碑文が発見されました。
佐伯好郎はこの碑文を研究し、景教の存在を世に知らしめたという学問的功績があります。彼は太秦という地名の語源は、アラム語のイシュ・マシャが鈍って「太秦(うずまさ)」になったと主張しました。イシュは、イエスの略です。
マシャは、メシアから由来しています。イシュ・マシャとは、「イエス・キリスト」という意味ですが、それが訛って「太秦(うずまさ)になったと佐伯氏は主張しました。
佐伯氏による「日ユ同祖論」の問題点は、ネストリウス派が中国に来た年代と秦氏が日本に来た年代が調和しないことです。秦氏は、その前に日本に渡来してます。ですからネストリュウス派が中国に来る前に秦氏は日本に来ているわけです。
秦氏がユダヤ人の景教景教徒だったという説が成立する可能性は非常に低いことになり、論理的無理があるのです。

酒井勝軍

佐伯氏が主張した「日ユ同祖論」は比較的緩やかなものでした。ところが、酒井勝軍氏の主張は非常に過激です。彼は若い頃、アメリカに留学し、そこでクリスチャンになっています。
酒井 勝軍は独自のキリスト教伝道者、日ユ同祖論者、オカルティスト、「日本のピラミッド」発見者である。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年7月20日 (水) 06:20 での最新版を取得。
明治35年に帰国すると、讃美歌伝道に従事しています。その後シベリア出兵に通訳として従軍し、そこでユダヤ陰謀説に出会ったと思われています。「シオンの長老の議定書 」に出会ったのです。
『シオン賢者の議定書』は、「秘密権力の世界征服計画書」という触れ込みで広まった会話形式の文書。1890年代の終わりから1900年代の初めにかけてロシア語版が出て以降、『シオンの議定書』『シオン長老の議定書』とも呼ばれる。この記事では「議定書」とも省略する。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年6月19日 (日) 08:52 での最新版を取得。
その本に出会い、ユダヤ陰謀説を仕入れて帰って来ます。彼は大正13年に、「猶太(ユダヤ)民族の大陰謀」を発表しました。その中で彼がこう述べています。
「日本人こそ失われた10支族である。正しいシオニズムは日本回帰運動である。つまり日本人は失われた10支族の末裔である。今いる現在のユダヤ人は選民として本分を忘れたいうユダヤ人である。つまり非正統的なユダヤ人である。正統的なユダヤ人は誰か?日本人だ。だから日本回帰運動こそ、正しいシオニズムなのだ」と。これは、とんでもない論を展開したのです。

小谷部全一郎

小谷部全一郎氏もまた、渡米しています。エール大学を卒業し、大学院に行きました。最後は博士号まで取得し、1898年、明治31年に彼が帰国しています。

小谷部 全一郎(おやべ ぜんいちろう、1868年1月17日(慶応3年12月23日) – 1941年(昭和16年)3月12日)は、日本の牧師、教師、アイヌ研究家。また義経=ジンギスカン説と日猶同祖論の提唱者、北海道アイヌ虻田学園創始者。勲六等単光旭日章を受章。

義経=ジンギスカン説の戦前の著述家である。それ以前にもそれらしいものは存在したが、民衆に浸透させたのは彼が最初であり、『成吉思汗ハ源義経也』は大正末期のベストセラーである。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年6月20日 (月) 06:32 での最新版を取得。

その後組合教会(日本組合基督教会、(にほんくみあいキリストきょうかい)は、戦前のキリスト教会の主流派の一つで、1941年に日本基督教団に統合されて消滅した会衆派の団体。)の牧師になっています。
横浜組合教会の牧師になり、その後北海道に渡りアイヌ伝道に従事しました。アイヌ伝道から東京に帰ってきますが、その後東京皇典講究所と國學院大学の講師になりました。
彼は大正13年に、「成吉思汗(ジンギスカン)は源義経なり」をを刊行しています。この本も相当世の中を大騒ぎさせた空想物語なです。
さらに昭和4年頃に発行したのが「日本及日本国民之起源」という本を発行して日本人はユダヤ人と同じ先祖を持つと主張しました。その本も彼は、語呂合わせに終始しました。
日本語とヘブライ語の語呂合わせをして、「似てるいる」と言うのです。特に彼の語呂合わせの特徴として現れたものは帝(ミカド)という言葉です。帝はガド部族です。
佐伯好郎氏、酒井勝軍氏、小矢部善一郎氏の3人は、「日ユ同祖論」関連の書を読むと必ず出てくる名前です。

まとめ

この3名が、日ユ同祖論の原型を作り上げました。今も日ユ同祖論が新しく論じられています。日ユ同祖論は、すべてこの3人が主張した原型から派生したものです。
日ユ同祖論はこの3人に遡ることができるのです。この3名に共通している点が3つあります。一つ目は海外留学の経験がある点です。3人とも海外留学しています。
つまり日本から外に出て行って、既に反ユダヤ主義が広がっている西洋の考え方を吸収するチャンスがあったのです。海外でユダヤ人に関する情報を得る機会があったということです。
二つ目は、3人ともクリスチャンになってる点です。日本では少数派のクリスチャンであることに引け目を感じるような精神状態にあったという事です。
三つ目は、クリスチャンとして引け目を感じていた故、日本人が偉大な先祖を持っていることを証明したかった点です。
日本人が偉大な先祖を持っているので、日本でクリスチャンであるということは引け目の感じることではないんことを立証したかったのです。
日本人はユダヤ人から出てることを証明したいという動機がありました。この3点は、この3名に共通している動機のように感じます。
日ユ同祖論の弊害についても着目しておく必要があります。酒井勝軍氏、小谷部全一郎氏は、ユダヤ陰謀説と日ユ同祖論をつなげています。
日ユ同祖論がユダヤ陰謀説と硬貨の裏表になりやすい親和性があるということです。この事は注目しておく必要がありす。非常に不幸なことです。
さらに日ユ同祖論者にとっては、イエス・キリストの福音より、「日ユ同祖論」のほうが福音になってしまう危険性があるということです。よく聞くのは日本人が自分たちの先祖がユダヤ人だということが分かったらクリスチャンになる人が増えると言うのです。
それはありません。論理的に破綻しています。日本人がユダヤ人であることを理解したら、イエス・キリストに対して反発を感じるはずです。それがユダヤ人の今の姿です。
人は、自分が先祖か誰かによって救われるのではありません。イエス・キリストを救い主と信じる福音によって救われるのです。
信仰と恵みによってのみ救われます。ですから「日ユ同祖論」が福音になってはいけないのです。この危険性を持っています。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=dJvwqbCx7UY>アクセス日:2022年8月13日

紹介欄

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