安土城は神殿だった

安土城は神殿だった

この記事の概要

安土城は神殿だったのです。安土城は琵琶湖の東海岸にありました。琵琶湖はイスラエルのガリラヤ湖に形がよく似ています。ガリラヤ湖は古代にはキンネレテ湖すなわち、ハープの湖の意味でした。古代イスラエル人の血統を受け継ぐ信長は神殿を建てる場所を意識していたに違いありません。


天下統一への野望

織田家は忌部氏の子孫でした。宗教的儀式を行う家系だったのでしたが、のちにサムライになりました。しかしながら、織田家は神道の信仰を持ち続けたのです。

大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場した織田信長は、織田信秀の嫡男正妻の長男として生まれたことが描かれていました。彼は、今日の名古屋地域尾張国の城主となっています。

戦国時代となった主な原因は、室町幕府に強大な軍事力を維持していなかったためです。武家が天下を取り平穏な日々を送ると、汚れごとの軍事力を捨て、公家の生活に溶け込もうとします。汚れ仕事は忌み嫌われるからです。

戦国の世にしないためには、絶対的が軍事力を持つ政権が必要なのです。そうしないと、あちらこちらで戦いが起き始めます。それが、応仁の乱だったのです。その後、戦国時代へ突入します。

そのため、信長は戦国時代終わらせるために、天下統一の道筋をつけようとしました。信長は幼少の頃から勇敢で大胆、野望に満ちていました。さらに頭脳明晰だったのです。信長は、世界史級の天才でありサムライでした。

2万とも4万とも言われる今川の大軍と戦った時も、まず熱田神宮名古屋に参拝し、その後わずか4千の軍勢で立ち向かい勝利しました。日本での勝利とは、大将の首を取ることです。

聖書に登場してくる古代イスラエルのダビデ王の勇士たちに、信長は比較できるほど勇敢なサムライなのです。

信長は、日本で最初に鉄砲を大量に整備した人物でした。鉄砲を日本に最初に持ち込んだのは、フェルナン・メンデス・ピントと言う「マラノ」(強制的にキリスト教に改宗させられたユダヤ人)及び、他の二人のポルトガル人でした。


信長の安土城

信長が最も恐れたのは、正親町天皇でも、将軍足利義昭でもありませんでした。一番恐れたのは、一向宗本願寺の円如でした。死んだ後に人は救われるという思想が最も恐ろしいのです。多くの庶民が円如を崇めました。

そのため信長は、神を意識しました。自分自身が神として崇められるようにするために、神殿が必要だったのです。

織田信長は琵琶湖の辺りに安土城を築きました。その城は、標高199mの安土山に築かれた山城です。 山頂には、天主、本丸、二の丸、三の丸が配置され、自然の地形を活かしています。

安土山の麓から天主に向かって、約180mにまっすぐ伸びる幅広い大手道があり、それらはすべて石段で造られています。他の城では見ることのできない壮大な城なのです。しかしながら、築城の三年後には、焼け落ちてしまいます。今ではその場所には、復元されておらず、幻の名城とも言われています。

安土城は琵琶湖の東海岸にありました。琵琶湖はイスラエルのガリラヤ湖に形がよく似ています。ガリラヤ湖は古代にはキンネレテ湖すなわち、ハープの湖の意味でした。琵琶の形とハープの形ということで意味は同じだったのです。

信長の安土城の屋根は金で覆われ、上層階も金の部屋がありました。その部屋は壁から天井、床に至るまで全て金で覆われていたのです。

日本は当時豊かな金の産出地で、遠いヨーロッパでも有名でした。安土城を見たカトリック宣教師のルイス・フロイトは、母国ポルトガルへの報告書の中で次のように書いている。

「安土城の巨大さ、偉容(威厳)、堅固さ、また豪華さは、ヨーロッパの最も大きな城に勝るとも劣らない」

安土城の屋根の両脇には鯱鉾がついています。鯱は魚身虎頭の想像した動物で装飾および魔除けとして使用されています。信長は、鯱を城の最上部に取り付けた最初の人物でした。この鯱は白全体を角のある兜と鎧姿のサムライに見立てる効果を持っていました。


清潔さ

世界には有名な城があります。フランスのベルサイユ宮殿、イギリスの城、中国の紫禁城などは壮麗で非常に豪華な城です。しかしながら、それらの城には、トイレが無かったのです。どこにもそれらしい場所がありませんでした。そこでその白を使用するときは、皆、「おまる」(携帯トイレ)を使ったり、適当にそこらへんで用をたしていました。

そのために、城の美しさとは違って、便の悪臭が漂っていたのです。一方で、日本は清潔でした。安土城には、便所が備わっていました。

便所は、古事記や日本書紀にもよく登場します。便所は、古代から日本にあったのです。便所が日本にあったことを知って、外国人の多くの学者が非常に驚いています。

古代から日本に便所の布教されていたことは、清潔さを重んじた古代のイスラエル人以来の伝統なのです。また、ヨーロッパや中国の支配者たちは、風呂にほとんどか、全く入リませんでした。一生風呂に入らなかった人々も多くいました。しかしながら、日本では天皇、公家、武士、庶民に至るまでよく風呂に入ったようでした。

現在の風呂は、室町以降の文化です。それまでの風呂とは、焼き石に水をかけたスチーム状の風呂でした。ちょうど、現代のサウナのようなものでした。

風呂に入るのは、身を清潔に保つためです。信長も結構風呂付きだったらしいと言われています。信長が京都に作った二条城からは、信長の設(しつらえ)た風呂場の遺構が出てきています。


参考文献:織田信長は古代イスラエル人の子孫だった:忌部氏の正体(久保有政・解説)

<https://www.youtube.com/watch?v=4Ud_m57lyJY&t=1653s>アクセス日:2021年3月24日


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