中東へのイギリスの役割とユダヤ人国家の誕生

中東へのイギリスの役割とユダヤ人国家の誕生

この記事の概要

このブログ記事は、中東へのイギリスの役割とユダヤ人国家(シオニズム)の興隆についての興味深い歴史的背後にある物語に焦点を当てています。イギリスの中東政策の動機、スエズ運河の建設と取引の重要性、ユダヤ人の迫害とシオニズム運動の起源、そしてユダヤ国家建設におけるイギリスとユダヤ財閥の協力など、歴史的な出来事と背後にある要因を詳細に探求します。中東の地政学や国際政治に関心をお持ちの方にとって、中東の複雑な歴史を理解するための貴重な情報を提供します。


イギリスの中東政策の背後にある動機

ユダヤ人が中東に国をつくって様々なトラブルが起こっています。ユダヤ人という少数民族がどうして2000年ぶりに国を再建できたかというと、それには強力なバックアップをした国があったからです。その国とは、イギリスです。イギリスの世界戦略、イギリスの中東政策を見ていかないと全く理解不能になります。
19世紀の中東は、今と比べると非常にシンプルです。オスマントルコ大帝国一つでしたが、相当弱っており人間に例えると、老人のような国でした。大帝国で支配層はトルコ人です。
トルコ人が住んでるのは現在のトルコだけです。バルカン半島には、キリスト教徒が住んでいましたが、ここから南側はアラブ人が、住んでいました。 実は、トルコ人とアラブ人も仲が悪いのです。
非常に国内の収拾がつかない状態です。そこで、ヨーロッパ列強が、オスマン帝国の民族紛争を利用して手を突っ込んでくるのです。例えばロシアは、主にバルカン半島のキリスト教徒を支援するという名目で、軍隊を送ってきて、ここをどんどん奪い取っていくのです。
逆にイギリスが何を考えていたかというと、植民地インドを持っていますので、イギリスが当時世界ナンバーワンの工業国で、産業革命に成功するとで、作り過ぎた工業製品の綿製品をマーケットのインドに売り込んでイギリスを支えていたのです。

スエズ運河の建設と取引の重要性

そのために、イギリスの貨物船が、インドに行くのです。そうするとエジプトのカイロ近くである現在のスエズ運河の当たりが邪魔になります。ここが最短距離になります。地中海を通ってエジプトを通って紅海に抜けることができるです。
紅海は、何故、赤い意味かというと海が赤い分けではありません。赤は暖かい象徴で、南の海は暖かいので紅海と名付けられました。北にある海は冷たいので黒海と名付けられています。
紅海に出ることがイギリスにとって、インドに行く近道のルートです。そうなるとエジプトのカイロの辺りが邪魔なのです。そこで考えたのは、ここに運河を造ることです。そのために、オスマン帝国からエジプトを切り離して植民地にすることを企てました。そして、エジプトをオスマントルコからから 切り離すことに成功しました。
スエズ運河は、フランス人フェルディナン・ド・レセップスが建設しました。レセップスは、1859年に建設を開始し、10年後の1869年に開通しました。1875年にはイギリスが会社株を買収し、エジプトを支配しました。スエズ運河は、スエズ運河公社によって運営されています。
1本だけのルートでは不安なので、もう1本のルートとして、地中海からレバノン、イラク辺りを通ってペルシャ湾に出て、インドに向かうルートも考えていました。

シオニズム運動の起源と展開

エジプトが、アラブ人のオスマン帝国に反発していました。そこで、エジプトの支援をするふりをして、エジプトを乗っ取ってしまうのです。これと同じように、この地域のアラブ人を支援してオスマン帝国から切り離し、イギリスの支配下に置くことをイギリスは考えていました。
この地域には、ユダヤ人が絡んできます。もともとユダヤ人が住んでいたのが現在のイスラエル地域です。19世紀の時代は、オスマン帝国つまりイスラム教徒が治めていました。
イスラム教徒のオスマン帝国は、ユダヤ人迫害を行なっていませんでした。実はこの国は、非常にゆるい国でした。異教徒は、税金を払えば、宗教は自由でした。パレスチナのユダヤ人はユダヤ教を守っていました。問題は、ヨーロッパのユダヤ人です。
ヨーロッパのユダヤ人が、様々な迫害を受ける中で土地を奪われ、財産を奪れ続けた結果、金融業で生き残ったのです。すなわち、財産を全部宝石や金貨にして、すぐに持ち逃げできるようにしました。
逃げた先で、それらをお金に変え、金貸し業を行いました。それによって生計を立てることができたのです。ユダヤ金融財閥はヨーロッパで発生しました。その筆頭がロスチャイルドです。スエズ運河を買収するときのお金を出したのが、実はロスチャイルド家です。このあたりから、イギリス政府と特にロンドンのユダヤ財閥ロスチャイルドが絡み合って行くのです。

ユダヤ人の迫害とシオニズムへの動機

特にロンドンのユダヤ財閥ロスチャイルド家が、「ヨーロッパのユダヤ人をどこかに移したい」と。つまり、ヨーロッパがあまりにも迫害がひどいので、ヨーロッパ以外にユダヤ国家を作ろうという運動に彼らが、資金提供します。このユダヤ建国運動のことを「シオニズム」と言います。
英語では、「ザイオニズム」、ZION、これはシオンという地名です。エルサレムが丘の上に建っています。その丘の名前が「シオン」と言います。 シオンの丘=エルサレムなのです。「エルサレムにヨーロッパのユダヤ人を戻そう」という運動です。これが始まったのは、はっきりしています。
ちょうど日清戦争の年の1894年、フランスにおいて、ドレフュス事件がありました。ドレフュス事件は、1894年にフランスで発生した政治スキャンダルです。フランス東部のアルザス出身のユダヤ人であるアルフレッド・ドレフュス将校が、ドイツのスパイ容疑で逮捕され、終身刑に処されました。ドレフュスは無罪を主張し、1906年に無罪となりました。
結局、彼は無罪でした。真犯人は別にいたのです。なぜ、彼が捕まったかというと、彼の祖先がユダヤ人だったからでした。フランスに何百年も住んでいて、完全にフランス語を話しており、フランス国籍を持ち、フランス陸軍の地位で頑張っていました。
「お前はユダヤ人だ」というだけで、「反ユダ意識」が植え付けられてしまいました。それは、汚いユダヤ人で、すぐ裏切るユダヤ人というレッテルが貼られて有罪になってしまったのです。
ドレフュス事件の取材をしていたテオドール・ヘルツルというジャーナリストがいました。ヘルツルは、ドレフュス事件を取材中に、根強いユダヤ人に対する偏見に遭遇し、ショックを受けました。また、モーゼス・ヘスの影響も受け、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こしたのです。
この事件の取材の後で本を書きました。1896年、シオニズム運動のさきがけをなす著作『ユダヤ人国家(英語版)』を出版しました。ここでは、ユダヤ人国家像と国家建設のプログラムを詳細に記されているのです。
結論は、もはや我々ユダヤ人は、ヨーロッパに住むべき国はない。フランス革命によって自由、人権を大事にするフランスで さえユダヤ人が叩かれているのだからヨーロッパに住むのを諦めて、他に移住しようとしました。

イギリスとユダヤ国家建設

移住地は、2000年前にローマ全国に破壊された古代イスラエル王国になったのです。これがシオニズムの始まりです。1890年代は、 当時イスラエルがオスマン帝国領でオスマン帝国が、ユダヤ人に対して、イスラエルを「独立国家」として認めるはずがなかったのです。だからこの運動は、全く夢物語で、実現するにしても100年後、200年後と思っていました。そんなファンタジーだったのです。
元々はこの話は、中東を分割しようとしているイギリス政府が、これに乗ってユダヤ人を利用し、イスラエルに国をつくったのです。要するにイギリスのロボットにすれば通路ができるのでプラスなのです。
そこに投資をしようと思っていたロスチャイルド家が、乗っかるということで本来は純粋なユダヤ難民の救済として始まった運動が、結局この帝国主義勢力と金融資本によって、うまく利用されてしまったのが実態なのでした。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=kg2fKwUgzNo>アクセス日:2023年10月16日

まとめ

この記事では、中東における重要な歴史的出来事に焦点を当て、その背後にある要因や動機を明らかにしました。イギリスの中東政策の根底にある経済的要因や植民地インドとの関連性、スエズ運河の建設と取引の重要性について説明しました。また、ユダヤ人の迫害とシオニズム運動の起源、その後のユダヤ国家建設におけるイギリス政府とユダヤ財閥の役割についても探求しました。これらの要素が中東の歴史と現代の状況にどのように影響を与えたかについての洞察を提供し、中東における国際政治の複雑さを理解する手助けとなるでしょう。


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