イエスをキリストと信じたユダヤ人たちが日本に

イエスをキリストと信じたユダヤ人たちが日本に

この記事の概要

イエスをキリストと信じたユダヤ人たちが日本に来ていたのです。彼らは景教と言われた人々です。景教のユダヤ人が、シルクロードを通って、日本にたくさん来ました。彼らを秦氏と言いました。秦は迫害されて名前を消して行く人々もいました。この人々は秦と名乗れなくなてしまい、今でも秦と名乗っている人々は、古代ユダヤ人と一緒に渡来してきた中国人の子孫かあるいは朝鮮の人々です。


古代ユダヤ人

能は室町時代に観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)という父子により大成されたと伝えられています。世阿弥は古代ユダヤ人です。彼の源流は秦氏なのです。

古代ユダヤの主な人物と出来事を下記の年表にしてみました。

モーセ BC1500

ダビデ BC1004〜971

ソロモン BC971〜931

レハベアム BC930〜913 南王朝

ヤロブアム BC931〜910 北王朝

南北王朝に分裂

ヒゼキア BC726〜697

BC722 北王朝滅亡(アッシリア)

BC586 南王朝滅亡(バビロン)

AD 70 南王朝滅亡(ローマ)

AD 300 景教ユダヤ人


景教ユダヤ人が日本に来ていた

ユダヤ人でありながらイエス・キリストを信じた人がいました。ユダヤ人とはイエスを十字架につけた人々ですが、「イエスこそ救世主であり救い主だ」と信じた一部のユダヤ人たちがいました。その人たちを景教と言いました。

紀元後、イエスを信じたユダヤ人たちが日本に来ました。景教のユダヤ人が、シルクロードを通って、日本にたくさん来ました。これを秦氏と言いました。秦は迫害されて名前を消して行く人々もいました。

聖徳太子を助けた人は、秦河勝です。秦河勝なくして聖徳太子はありません。聖徳太子が建てたお寺が三つあります。

  • 奈良の法隆寺、
  • 大阪四天王寺、
  • 京都太秦の広隆寺、

日本の国宝の第一号は、京都広隆寺の弥勒菩薩です。弥勒菩薩は昔切手にもなりました。あまりにも可愛いので頬擦りして指を折ってしまった人がいました。

これらの建設を全て助けたのは、秦河勝です。聖徳太子が亡くなると、自分の子供たちは山背大兄王をはじめ、全て一族抹殺です。ここで聖徳太子の血は全て絶たれてしまいました。聖徳太子と一緒にいた秦一族も抹殺されてしまいました。そこで、その中心のところから逃れて地方に散っていった人々がいます。

この人々は秦と名乗れなくなてしまいました。今でも秦と名乗っている人々は、古代ユダヤ人と一緒に渡来してきた中国人の子孫かあるいは朝鮮の人々です。

本当の秦は、秦とは言えません。名前を変えています。例えば、原田さんです。原田は秦の子孫です。どうしてでしょうか。名前を隠しています。ハラダの中に、ラを入れて隠すのです。例えば柴田です。シバタ。秦にシを加えています。シハタです。

日本人が自由に結婚できたのは戦後です。江戸時代であれば、仲人がいました。家を調べて結婚相手を見つけていました。これは同じ血筋を守るためでした。古代ユダヤは血を交えませんでした。

能の中心にいる人は、宗家です。世阿弥の宗家。他の血筋とは結婚をしません。これがずっと続いているわけです。650年間、世阿弥の子孫は世阿弥の子孫なのです。歌舞伎の中心の人は、他の人とは結婚しません。これも秦なのです。かつて河原乞食と言われた人たちが歌舞伎の人は秦なのです。追放されたので、自分たちの名前を変え色々な方法で隠してきました。


迫害され秦姓を隠す

横田さん、横川さんは秦です。はた(端)へ行きなさいとは、「横へ行きなさい」の意味です。だから秦なのです。カモフラージュするためにいろいろ工夫してきました。

例えば丹波篠山です。この丹波をひっくり返すと、ハタ(秦)になります。丹波は秦の巣です。例えば波多野、波多さん、これが報じて八田になります。羽田はハネダではなくハタです。

ハタと関係をなくしたのは、幕末維新を動かしたのは薩摩島津です。島津は秦です。400年前、四国を制覇した男、長曾我部元親は、秦です。四国を支配しましたが、のちに山内家が来ました。

彼らは進駐軍と同じです。坂本龍馬や明智半平太は長宗我部家の遺臣なのです。三菱は、河内土佐です。岩崎弥太郎です。これも秦です。古代ユダヤ人です。三井も住友もそうなのです。

世阿弥の父は、観阿弥(かんあみ)です。観阿弥(かんあみ)のお姉さんは楠木正成と繋がります。

南北朝の南朝は古代ユダヤです。幕末維新のスタートは奈良です。奈良の五條です。五条市には、天誅組の本陣跡があります。そこは、天暦年間(947~957年)桜井康成の創建と伝えられる寺院で、天誅組が本陣としたことで知られています。

その奉行を攻めました。吉村寅太郎という人が、その時に一緒に従った人が、十津川の郷士です。百姓ですが、武士です。幕末の1863年(文久3年)8月、吉村寅太郎・松本奎堂(けいどう)ら脱藩士を中心とする尊王倒幕の急進派は、中山忠光を擁して天誅組を結成し、大和挙兵を謀ったのです。

天誅組は17日に五條代官所を襲撃し、代官・鈴木源内らを殺害しました。この寺を本陣として五條新政府を号したのです。

ところが、朝廷の政変により政情が一変しました。そのため、十津川郷士960人の来援を得て高取城に侵攻、敗退しました。その後、追討諸藩兵と戦闘を繰り返し、9月24日吉野山中鷲家口(わしかぐち)にて決死的斬り込みを敢行、壊滅しました。

彼らは先祖以来ずっと勤皇なのです。天皇を崇めたのです。これも秦です。何かあるところには、他のところから秦の血が出てきます。


参考文献:ユーチューブ、宇野正美 古都 奈良で語る古代ユダヤと日本の成り立ち

<https://www.youtube.com/watch?v=L77SRBkfZKU>アクセス日:2021年10月23日


まとめ

古代ユダヤ人たちは3度にわたって日本に来ていた。紀元後に渡って来たのが景教と言われる人々で秦氏たちだった。彼らは聖徳太子の建てた寺に関わっていた。


紹介欄

景教―シルクロードを東に向かったキリスト教

語ることが許されない 封じられた日本史 

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