この記事の概要
新嘗祭から見えてくる太陽神の存在ですが、GHQの策謀により勤労感謝の日に変わってしまいました。新嘗祭とは11月23日に宮中と全国の神社で行われる収穫祭です。天皇が、その年に収穫された新穀、特に稲を太陽神である天照大神をはじめとした神々にお供えし、五穀豊穣を感謝します。
GHQに隠された日本の神事
アメリカやカナダでは感謝祭があります。(アメリカでは毎年11月の第4木曜日、カナダでは毎年10月の第2月曜日。日本のプロテスタントでは、収穫感謝日)
日本では、11月23日は勤労感謝の日です。憲法27条1項には、「勤労の権利を有し、義務を負う」とされています。勤労感謝の日とは、勤労を尊び、生産を祝い国民が、互いに感謝し合います。
11月23日が何故、働いている人に感謝の気持ちを伝える日なのでしょうか。11月23日は、勤労感謝の日ではありませんでした。もともとは日本の古来から続く宮中祭祀の日だったのです。その祭祀とは、新嘗祭(にいなめさい)です。
新嘗祭とは、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ:天つ神と国つ神。 すべての神々。 一般に、天神は 高天原 (たかまがはら)に生まれた神、あるいは葦原の中つ国に天降った神。地祇はこの国土の神。)に供えて感謝の報告を行います。
そして、これらの供え物を神からの賜り物として自らも食せる儀式のことです。
新嘗祭が、勤労感謝の日と変更されたのは、日本が敗戦した1945年です。日本国内でGHQが総力戦で、日本を弱体化させる政策が始まります。
GHQの占領下では、国家神道の色が強い新嘗祭の祭日を排除することにしました。そこで、違う名前の祝日にするよう提案がなされました。制定された名称が「勤労感謝の日」でした。
戦後に生まれた子どもたちは、この経緯を知らされなかったのために、新嘗祭について理解できる人々が徐々に影を潜めて行きました。日本古来から伝わる新嘗祭は、GHQによって隠されてしまいました。それは日本人が何者であるのかを消すためでした。
新嘗祭と太陽神
新嘗祭から見えてくるのは、日本にとっても重要な太陽神の存在です。新嘗祭とは11月23日に宮中と全国の神社で行われる収穫祭です。天皇が、その年に収穫された新穀、特に稲を太陽神である天照大神をはじめとした神々にお供えし、五穀豊穣を感謝します。それとともに天皇自らもこれを食べる共食の儀式です。
新嘗祭の目的には次のようなものがあります。
- 鎮魂祭(前日):天皇の霊を強化する
- 新嘗祭 賢所・皇霊殿・神殿の儀
- 神嘉殿の儀
の3つの儀式で構成されているということです。
新嘗祭が行われる前日11月22日に鎮魂祭があります。鎮魂祭では、新嘗祭に臨む天皇の霊を強化する意義があります。鎮魂祭で天皇としての霊を強化し準備が終わると11月23日の新嘗祭、14時に宮中三殿において、 新嘗祭 賢所、皇霊殿・神殿の儀が行われます。
鎮魂祭では新嘗祭を始めることを天照大神をはじめとした神々や歴代天皇の御霊に報告します。この儀式自体は、天皇ではなく掌典職と呼ばれる宮中祭祀を担当する部門が天皇に代わって神饌(しんせん:神様や神棚にお上げする供物のことで)と幣帛(へいはく:神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のものの総称)をお供えし代拝を行います。
新嘗祭の夜、新嘗祭の主要な神嘉殿の儀において、天皇は新穀を神にお供えし、天皇自身も食す共食(きょうしょく:一緒 に食事をする)が行われるのです。
つまり新穀によって神様をもてなすだけではなく同時に天皇自らも新穀を食すことによって新たなる力を次の年の豊穣を約束する祭事が新嘗祭でもあります。
新嘗祭の起源
新嘗祭の起源は稲作が始まった弥生時代にまでさかのぼると考えられています。古事記や日本書紀において、新嘗という言葉が出てくるほど長い歴史をもつ祭祀なのです。
ここで重要なのは、新嘗祭は、旧暦の11月13日から24日の間すなわち旧暦11月中旬頃に行われていたということです。旧暦の11月は、冬至があります。新暦では11月下旬から1月上旬ごろに当たります。 11月の別名は霜月(しもつき)です。
冬至は平均すると旧暦の11月15日頃です。新暦では12月22日頃が冬至です。新嘗祭は、冬至の時期に行うことに重大な意味が込められています。
冬至とは1年で一番太陽が出ている時間が短く、夜が長い日です。その冬至を境に太陽の出ている時間は長くなっていきます。冬至以降が1年の始まりと考えられていた時代もありました。
冬至とは太陽の力が一番衰える日であり、再び力を取り戻し始める日と考えられてきました。新嘗祭とは、太陽神が復活するため新穀を食す儀式だと解釈できます。この儀式において、太陽神アマテラスは、重要な位置づけとなります。
宮中祭祀である新嘗祭のルーツの一説では、対馬にある赤米神事にあると言われています。
赤米とは古代米の一つで、対馬ではこの赤米の穀米を神格として祀る赤米神事が、今もなお行われています。対馬の南東には壱岐の島があります。
古くから対馬には日神、壱岐には月神が鎮座していると言われてきました。実際に対馬には阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)があります。そこには太陽神である天日神命(あめのひみたまのみこと)が祀られているのです。
一方で壱岐には、月讀神社(つきよみじんじゃ)がありそこには月讀命といった月神が三柱祀られているます。
もし太陽神の復活の儀式としても解釈できる新嘗祭のルーツが対馬であるとすれば、新嘗祭によって復活する太陽神とは、本来は対馬の日神、天日神命のために行われた祭祀であったと解釈できます。
天日神命(あめのひみたまのみこと)
天日神命とはどのような存在なのでしょうか。
一般的に天日神命とは対馬県主等の祖神であり、太陽神饒速日(ニギハヤヒ)が天降った(あまくだった)際に防人(きさきのもり)として随伴された32柱の神々のうちの1柱だとされています。
ところが、一説によれば、この天日神命とは、太陽神を示しているとも解釈されています。
それを紐解くヒントとなるのは阿麻氐留(あまてる)神社に刻まれた天照という言葉です。全国には、鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)、天照玉命神社(あまてるたまのみことじんじゃ)、木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)などこの漢字を「天照(あまてらす)」ではなく「あまてる」と読む神社がいくつかあります。
これら天照(あまてる)の神社の祭神は何も天火明命(あまのほあかりのみこと)つまり饒速日(ニギハヤヒ)なのです。阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)の阿麻氐留(あまてる)もまた饒速日(ニギハヤヒ)ことであると言われています。
ここに祀られている祭神天日神命(あめのひみたまのみこと)もまた、饒速日(ニギハヤヒ)を示していたとも言われています。11月22日とは饒速日(ニギハヤヒ)の命日であるとも言われています。このことから、新嘗祭によって復活する太陽神とは、饒速日だったのかもしれません。
参考文献:ユーチューブ、【GHQが隠した歴史】日本人が今知るべき-11月23日-に秘められた神
<https://www.youtube.com/watch?v=pgmRahXJ5yU&list=WL&index=136>アクセス日:2021年11月28日
まとめ
GHQが新嘗祭を隠蔽したのは、日本人にある真髄を無くし骨抜きにするためでした。