新元号「令和」に秘められた言霊の意味

新元号「令和」に秘められた言霊の意味 についての概要

新元号「令和」に秘められた言霊の意味には、元号の始まりとなった大化から今日まで裏で日本を支えてきた藤原氏からの解放です。梅の花の舞台になった太宰府は藤原氏にとって邪魔な存在の菅原道真の怨霊を鎮めるためにあり、関わりが深いものに艮の金神があります。


1. 元号とは

元号の発案は中国でした。皇帝が自らの治世を示すために元号を考案するようになったのが始まりです。日本では、それを受けて元号をつくるようになりました。

それでは大和朝廷では初めから元号があったのでしょうか。大和朝廷の神武天皇に位置付けて考えてみますと、神武天皇の時代には元号はありませんでした。紀元前660年頃には、中国にも元号は無かったのです。

日本では、最初の元号とは何だったのでしょうか。飛鳥時代の政変として乙巳の変(いつしのへん)がありました。一昔前だと大化の改新と呼ばれた645年に起きた政変でした。

大化というのが最初の元号と言われています。令和が最新となります。大化から現在の令和まで、元号は全部で248です。ちなみに一番在位が長い天皇は昭和天皇62年で、続いて明治天皇の45年です。

大化改新とは蘇我氏が朝廷の実権を握っていた時代でした。聖徳太子のちょっと後の時代でしょうか。その頃に権力者争いがあり、蘇我氏があまりにも横暴だということで、ある種の革命的なクーデーターのような変が起きたのです。


2. 乙巳の変

蘇我入鹿と蘇我蝦夷を暗殺するという事件が起こりました。

中大兄皇子、(のちに即位して天智天皇になった)中臣鎌足、(のちに藤原姓をもらい受けるのですが、天皇家の外戚として今日まで続いているのです)等が蘇我氏を天皇の目の前で暗殺してしまうのです。

これが元号の始まりですから、どこか意味深でもあり、ドロドロとしたところがあります。元号が始まった乙巳の変(いつしの変)、とは中臣鎌足つまり藤原氏の歴史の始まりでもあるのです。


3. 藤原氏

京都の冷泉(れいぜ)、近衛(このえ)、九条(くじょう)はみんな藤原氏です。藤原氏とはそもそも名乗らないのです。

実は、藤原不比等は天智天皇の息子とも言われています。藤原鎌足が天智天皇の女性を嫁にした経緯があるのです。

このことは一般によく知られていることで、藤原不比等は天智天皇の落胤(らくいん:身分・地位のある男が正妻でない女にひそかに生ませた子。おとしだね)である、という説です。

父の鎌足は、天皇の妻を「おさがり」で貰ってきて「生まれた子供を自分の子として育てて出世を図る」という手法を行なってきました。長男の定慧は孝徳天皇の子供とも言われています。同様に、次男の不比等は天智天皇から下げ与えられた妻から生まれた子で、実は天智の落胤なのです。

そのため、天智の娘である鵜野皇后(のちの持統天皇)が実権を握ったころから異例の出世をしたのでした。

日本史の人物辞典を見るとほとんどが藤原なのです。藤原氏とは今でもあります。天皇家を裏返すと藤原氏とも言えます。藤はマメ科のフジ属です。蔦のように木に絡まっていきます。天皇という木に絡まる藤なのです。藤原の藤とは、中国にはありません。この字は国字で、日本で作った字です。

このような経緯で最新の令和という元号になりました。これまでは漢籍といって中国の古典から取られていましたが、初めて日本の古典の万葉集から取られたのです。


4. 万葉集

中国大陸の玄関口でもある太宰府に大伴旅人の邸宅がありました。大伴氏は物部氏と並ぶ軍事を司る氏でした。その周辺に住むお役人や知人が集まって宴を催していました。万葉集の梅の花の序文ですが、梅の花の頃、梅の花見をしている時にみんなで歌を読むのです。

歌を詠んだものを集めたものの序文が、今回の引用の典拠になっているのです。

言霊的に令月とはどんな意味合いがあるのでしょうか。元号というのはすべからく願いが込められています。悪いことが起こると不吉な元号は廃止されてきました。戦争が起きたら元号を変えられたのです。変えた事例はたくさんありました。疫病、天災、暗殺などの災いを起こさないために元号を変えてきたのです。

昭和には平和の「和」が使われていたのに戦争が行われました。元号の願いとは違う時代になっていったのです。現代は、法律によって一代の天皇に一つの元号しか使用できないと制定されてしまっています。昔のように、元号を簡単に変えることができなくなりました。

新しい元号にすることによって今までの災いを払拭しようとしたのです。これは完全に呪術です。昭和も平成も令和も和や平が入って和やかな印象になります。

令和の願いとは麗しく和やかにという願いが込められています。

争いがない天変地異が少ない時代になって欲しいという願いが込められています。元号を読む、聞く、見るなどをして繰り返すことによって言霊として広がるのです。


5. 菅原道真

学問の神様菅原道真の出身は、土師氏(はじし)です。埴輪を作る一族です。大阪には土師という地名があります。埴輪や素焼きの土器を作る専門の人々です。

当時の藤原氏の階級からすると、全く比べ物にならなかったのです。格下でした。ところが、身分とは関係なく菅原道真はとても優秀だったので、どんどん出世しました。

こうなってしまうと周りがとても妬むのです。手を回して陰謀が行われ、失脚して、左遷され太宰府に赴任させられてしまいました。赴任はしたのですが恨みつらみを抱いたまま程なくなく亡くなったのです。

その後に落雷があったり、陰謀を仕掛けた藤原氏の人々が謎の死を遂げていきました。これは怨霊の祟りに違いないということで、怨霊を鎮めるために菅原道真を祀ることになりました。そこで天満宮を作ったのです。菅原道真公を天神様として祀ることで怨霊を鎮めました。これが太宰府天満宮の起源です。

今回の令和は太宰府、梅の花、歌の作者の大伴旅人とは時代は違うのですが、明らかに菅原道真公とオーバーラップしてしまいます。

最初の元号の始まりは藤原氏の始まりでした。この国の藤原氏の支配が始まったきっかけが大化の改新だったのです。

藤原氏が最も恐れたのが天神である道真公でした。その縁(ゆかり)が梅の花の太宰府なのです。今まで封印されていた天神様が、この時代に来て表に現れてきました。梅は太宰府天満宮で、その天満宮は怨霊を鎮めるために作られました。このことと関わりが深いものに艮の金神(うしとらのこんじん)があります。


6. 艮の金神

艮の金神」とは、日本に古くから伝わる陰陽道の言葉です。「金神」とは「祟り神」のことです。「艮」(うしとら)とは鬼門の東北の意味がありもっとも恐れられている方位です。

「艮の金神」とは数ある金神の中でも、もっとも恐ろしい鬼門の方位にわだかまる「猛悪の祟り神」ということになるのです。

 出口なおが受けた啓示として、「この神は三千世界を立替え立直す神じゃぞよ。三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。とどめに艮の金神が現われて三千世界の大洗濯を致し、一つに丸めて万劫末代続く神国(しんこく)に致すぞよ」 という第一声がとても有名ですが、ここで梅の花と繋がるのです。

この宣言には、大本の全精神と全理念が端的に集約されており、救済を待望する民衆の「世直し」の願いが継承されています。

鬼門に封じられた金神様の正体は国常立尊(くにのとこたちのみこと)であり、日本における地球における最も尊い神なのです。

令和というのは天神様を一つ引き合いに出しながらも、その裏にあるものは艮の金神なのです。艮の金神とは人類を救済する救い主すなわちメシア、キリストだったのです。

令和に込められた願いと深く関連があるのは、宗教的関わりもあるようです。


まとめ

元号の発案は中国で、皇帝が自らの治世を示すために元号を考案するようになったのが始まり

日本では、乙巳の変(大化の改新)が元号の始まり

令和の願いとは麗しく和やかにという願いが込められている

梅は太宰府天満宮で怨霊を鎮めるために作られ、関わりが深いものに艮の金神がある


紹介欄

菅原道真 見果てぬ夢新元号「令和」に秘められた言霊の意味大日月地神示【前巻】新元号「令和」に秘められた言霊の意味まんがで読む 万葉集・古今和歌集・新古今和歌集 (学研まんが 日本の古典)新元号「令和」に秘められた言霊の意味藤原氏―権力中枢の一族 (中公新書)新元号「令和」に秘められた言霊の意味
最新情報をチェックしよう!

スピリチュアルの最新記事8件

>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG