この記事の概要
古代日本人の起源は縄文人と考えられています。現在の日本人となったのは、もともと日本に定住していた畑作と狩猟を行なっていた縄文人と中国の南から稲作を伝えた弥生人が平和的に混血を繰り返し現在に至ったようです。それだけではなく、樺太からアイヌ民族、中東からは古代ユダヤ人が来たことも推測されています。
日本人はどこからきたのかについては、様々な意見があり、よく分かりませんでした。なぜ人類の起源の順番がわかったのでしょうか。猿人、原人、旧人、ホモ・サピエンス(新人)と人類が変遷しています。
なぜこれがわかるかというと頭の骨で分かります。頭の骨が化石になって残っている場合があり、骨の形が微妙に変わってくるので、それを並べていくとこれが古いと順番づけをしていました。しかしながら、この方法は基本的にいい加減なのです。
これが人類学の学問であって、始まったのが19世紀後半の幕末維新の頃です。それまで、人類学が学問として成り立たなかったのは、キリスト教があるからです。人類の起源については「アダムとエバから始まった」と聖書に書いてあるから必要ないという考えでした。
今の生き物はアダムとイヴを含めて、犬も猫も馬も牛も熊も羊も鳥も鯨も魚も虫も草木も全て創造主によって創られて始まっている解釈です。これは、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の解釈なのです。この教えの根本は旧約聖書に基づくものだからです。
イギリスにダーウィンという学者が現れて、ガラパゴスという島に行きました。
チャールズ・ロバート・ダーウィンは、イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築し進化生物学を発表した。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。
ウキペディア:最終更新 2022年2月8日 (火) 07:50
その島には、島ごとに亀が住んでおり、亀の形が島ごとに違うのです。首の長い亀と首の短い亀がいて、「自分が住んでいる島の環境に応じて、首が長くなったり短くなったりするのではないのか」と思い始めました。
首が長い亀が住んでいる島は、草が少ないので木の葉っぱを食べています。そのため首の短い亀は絶滅しています。
動物たちは、単純な形からだんだん環境によって変化します。人間の場合には、頭蓋骨がどんどん大きくなり、脳が大きくなって行きました。それが可能になったのかは、二足歩行ができたからです。
四つ足だと頭が大きいとバランスが悪くなります。空いた前足を使って道具として使うことができます。手を使うと頭が進化します。
様々な原人たち
例えば北京近くの洞窟から、北京原人が見つかっています。北京原人が電車に乗っていたら見た目が変なので直ぐに通報されます。動物園に行く可能性があるほど変です。彼らは既に火を使っていました。
北京原人は、中国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類である。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。2015年現在はホモ・エレクトス の亜種として扱われる。北京原人を含むホモ・エレクトスが生きていた時代は更新世中期である。
ウキペディア:最終更新 2021年12月8日 (水) 11:15
ドイツで見つかったネアンデルタール人、ほぼ現在の人間と同じ感じですが、ひとまわり大きいのです。
ネアンデルタール人は、約4万年前までユーラシアに住んでいた旧人類の絶滅種または亜種である 。彼らは、大規模な気候変動 、病気 、またはこれらの要因の組み合わせによって絶滅した可能性が高い。彼らは完全にヨーロッパの初期の現生人類に取って代わられた。
ウキペディア:最終更新 2022年2月17日 (木) 10:52
彼らが髭を剃ってスーツを着て電車に乗っていたら、アスリートのように見られます。
クロマニヨン人は現在のヨーロッパ人の顔をしています。
クロマニョン人とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。1868年、クロマニョン 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ・ラルテによって研究された。その後、ヨーロッパ、北アフリカ各地でも発見された。
ウキペディア:最終更新 2021年4月30日 (金) 11:30
アジア人なった人種は、北京原人が見つかった近くで発見されています。北京原人が見つかった洞穴の上の洞穴で見つかったので上洞人と呼ばれます。北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこのように呼ばれます。これが現在のアジア人そっくりなのです。
上洞人は、中国で発見された化石人類。「山頂洞人」とも言う。北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこう呼ばれる。ヨーロッパのクロマニョン人や日本の港川人と並ぶ化石の現生人類と考えられる。
ウキペディア:最終更新 2021年2月20日 (土) 22:31
北京原人が進化して周口店上洞人となって、現在の東アジア人である日本人も含め、モンゴロイドと呼ばれています。昔は黄色人種と呼ばれていましたが、これも変な言い方です。別に黄色くないので、最近はモンゴル人種、モンゴロイドと呼ばれます。
ネアンデルタール人が進化してクロマニヨン人になりました。白人とは白い肌とは限りません。インド人はヨーロッパ人の顔に似ています。顔は黒っぽいです。白人という言い方もおかしいのでコーカソイドと呼ばれます。
コーカソイド とは、身体的特徴に基づく歴史的人種分類概念の一つである。これに分類される人々の主要な居住地はヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インドである。「西ユーラシアン」ともいわれる。
ウキペディア:最終更新 2021年11月21日 (日) 09:15
中東系の人もそうです。堀の深い系の人はコーカソイド系です。これはコーカソス山脈がロシアにあり、その辺りから広まったという説があるので、コーカソイドと呼ばれます。
アフリカ人のことはネグロイドと呼ばれます。
ネグロイド(Negroid)とは、身体的特徴に基づく歴史的人種分類概念の一つ。 日本では一般に黒色人種・黒人と同義に理解される。 ドイツの人類学者ブルーメンバッハによって提唱された五大人種説に基づく。 現在でも便宜的・慣用的、またしばしば政治的に用いられる。
ウキペディア:最終更新 2021年9月24日 (金) 03:39
DSN鑑定
世界の各地でそれぞれ違った進化を遂げて、今の我々が生まれたという説が有力でした。ところが最近これがひっくり返りました。この説は嘘だったのです。なぜ判明されたのかは、人間の体は細胞から成り立っているからです。
細胞は周りに膜があって中心に核があり、その周りに小さな粒々があります。これはミトコンドリアです。運動すると体が熱くなるのは、ミトコンドリアが動いているからです。
ミトコンドリアにも細胞核にもそれぞれ、遺伝子情報が入っています。これをDNAと言います。この解析が可能になったのが1980年代です。
例えばネアンデルタール人の骨の化石の欠片を分析すると、ネアンデルタール人のDNAが分かるのです。今までの骨を並べて比べる方法ではなく、DNAで判明できるようになりました。
DNAの解析に真の祖先が判明します。北京原人と周口店上洞人はつながっていませんでした。ネアンデルタール人とクロマニヨン人もつながっていません。
モンゴロイドの祖先とコーカソイドの祖先は実はアフリカにいて、およそ20万年ぐらいまえにアフリカに現れ、ネアンデルタール人と同じ頃にアフリカにいたのです。
今から5万年前ぐらい前に、アフリカを飛び出て長い旅に出ました。これを「出アフリカ」と呼びます。アフリカ単一起源説です。地球上の人類の祖先はアフリカで誕生し、その後、世界中に伝播して行ったとする自然人類学の学説です。
この段階ではアフリカ人のネグロイドの形をしていました。紫外線のギラギラのところで、皮膚を守るために肌が黒くなっていたのです。アフリカを出て、ヨーロッパに行ったら非常に寒く、紫外線が弱くて体調が悪くなります。ビタミン欠乏症になるからです。
だから肌の色を薄くして紫外線を浴びるようにするのです。これが色素の少ない人類が生き残る手段です。色素の少ない人同士が結婚するのでどんどん薄くなっていきます。
そのためコーカソイドが生まれました。アジアのシベリアに行ったらここもまた寒いのです。冬山に行くと非常に寒いので凍傷が起きます。凍傷は指先や耳たぶです。あまりゴツゴツしていると凍傷でやられてしまいます。そのため凸凹がない方がいいのです。
目は寒さと雪の照り返しから守るために、瞼が厚い方が助かります。そのため凸凹がない瞼の厚い平たい顔になって行きました。これがモンゴロイドです。現在のホモサピエンスの祖先とネアンデルタール人というのは、全く違う生物で、しかも同じ時期に住んでいました。
そしてネアンデルタール人は絶滅しました。ホモサピエンスの方が知恵があって、獲物を取るのがうまかったのでしょう。DNAで分かったことは、ホモサピエンスの遺伝子の2%がネアンデルタール人で一部混血だと分かっています。
モンゴロイドが日本に渡ってきたことが推測できます。氷河期だったので、今より海面が低く、北海道と樺太とシベリアがつながっていました。そのため日本は、日本列島ではなく日本半島だったのです。
日本へは歩いて来ることができました。氷河期が終わり、温暖化が始まり、農業が始まりました。日本で農業が始まるのはいつ頃からでしょうか。縄文時代から農業が始まっていました。稲作は弥生時代です。畑作は縄文から行われていました。
作っていたのは主に木の実です。栗やどんぐりなどを作っていました。縄文の遺跡を発掘して栗が出てきました。それが野生の栗か栽培した栗かがどうしてわかるかというと、これもDNAです。
栽培した栗はDNAが全て同じです。野生の栗はバラバラなのです。青森県の三内丸山遺跡があります。そこで見つかった栗のDNAがほぼ同じでした。三内丸山人は栗畑を作っていました。畑作と狩りをしていた縄文人、稲作を始めた弥生人、この関係についてが、実は日本の人類学の一番の謎なのです。
縄文の人骨、弥生の人骨、平均すると、縄文人は背が低くて、骨が太くがっちりしています。顎が強くモンゴロイドにしては、顔の凹凸が激しいのです。
弥生人はすらっとしていて、凹凸が少なく、いわゆる平たい顔です。これは骨で分かります。おそらく違うグループだったのだろうと。
日本人の起源と考えられた3つの仮説
仮説1:征服説
縄文人が住んでいた日本列島に大陸から弥生人が入って来て、縄文人を征服したと言う仮説。沖縄の人が割と小柄でがっちりして彫りが深く縄文人に似ています。その理由で南に追いやられたのではないかという仮説が成り立ちます。
縄文人はどんどん地方に追いやられて最後に残ったのがアイヌという説は明治時代にありました。
日本人がアイヌ人を追いやったという説。
仮説2:変形説
硬い木の実を食っていると顎が丈夫になります。野山を走っていると足腰が丈夫になります。平地に降りて米を食べると足腰が弱まり、柔らかい米を食べているので顎が弱くなり形が変わった変形説です。
仮説3:混血説
元々縄文人がいて外から様々な民族が入って来て、混ざった結果別れたという説です。第二次世界大戦後は混血説が一番有力になっていますが、これはなんとでも言えます。
骨が変化しましたそれは征服なのか混血なのかそれとも変化したのかどうとも言えるので、骨を見比べても分かりません。
1980年代に、DNA鑑定が始まり、全部答えが出ました。
参考文献:ユーチューブ、教科書には無いDNA解析で分かった古代日本人の起源〜前半〜|茂木誠
<https://www.youtube.com/watch?v=VlWW0KpIyEA>アクセス日:2022年2月18日
まとめ
日本の先住民は縄文人で外から様々な民族が入り込み混血を繰り返し現在の日本人になった。
紹介欄
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?