出雲大社と伊勢神宮の力が一つになるかごめの唄の予言

出雲大社と伊勢神宮の力が一つになるかごめの唄の予言

  • 2019年12月14日
  • 2020年6月17日
  • 歴史

この記事の概要

出雲大社と伊勢神宮の力が一つになるかごめの唄の予言が成就しようとしています。かごめ唄に出て来る亀は籠神社のシンボルです。伊勢神宮の別格である伊雑宮の神話の中には真鶴が出ています。鶴と亀なのです。鶴と亀が統べったという構図になるのです。


60年ぶりの遷宮

2013年には出雲大社と伊勢神宮が遷宮で綺麗に建て直しになりました。同じ年にです。これには、どんな意味が隠されているのでしょうか。

伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮が行われています。隣の敷地境内のところに御神体を移し、社殿を新しく建て直します。

出雲大社の場合は何年と決まっていませんが、古くなった社殿をその同じ場所に建て替えるというのが行われてきました。

60年前にも一度この伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が重なることがありました。再び、60年ぶりに、同じ年に式年遷宮が行われたことで注目されています。

伊勢神宮と出雲大社は祭っている神様も含めてどんな意味合いがあるんでしょうか。この違いには、大きく二つの違いがあります。それは、天の神と地の神です。


天神地祇

天神地祇(てんじんちぎ) と言います。それは天津神と国津神で、 すべての神々のことです。 一般に、天神は高天原(たかまがはら)に生まれた神、あるいは葦原の中つ国に天降った神です。地祇はこの国土の神とされています。

高天原に住んでいる天津神それが伊勢神宮に祀られている神であり神道の最高神の天照大御神なのです。

それに対して国津神は、出雲系で筆頭は、須佐之男命(スサノオノミコト )であり、その子孫の大国主命(オオクニヌシノミコト)、が出雲大社で祀られています。

現在は、大国主命ですが、中世においては須佐之男命だと言われてた時期がありました。いずれにしても、その出雲族となる国津神の代表として須佐之男命と大国主命がいるのです。


鍵となるのは

2013年に行われた式年遷宮を、日本の童謡が予言していた内容だと言う説があります。それはかごめ唄にです。「後ろの正面だーれ」と言うのが式年遷宮を表している解説になっています。

鍵となるのは、丹後にある伊勢神宮の外宮と内宮の元伊勢である籠と書いて籠(この)神社です。

先ずは、出雲大社と籠神社から見てみます。

出雲にも元出雲の概念があります。出雲大社の元になったところがあるのです。丹後方にも元出雲と呼ばれるところがあるのです。

それとは別に本当の元出雲は籠神社であるというのです。出雲大社は変わった神社構造をしています。拝む時、拝殿と本殿というのは正対しているのが普通です。

ところが出雲大社の場合は、北に向かって拝むのですが、本殿は西を向いています。西が本来の正面なのです。正面の後ろへ線を引っ張っていくと東に延びて籠神社まで行き着くのです。

写真引用元:ムーチューブ:知られざる『京都遷都計画』と出雲王朝の復活

出雲大社の正面は西にあり、その後ろは籠神社だったのです。

伊勢神宮の場合は、内宮と外宮があります。それらがほぼ一直線に並びます。外宮の後ろが籠神社になり、内宮の後ろが伊雑宮(いざわのみや)になります。

伊雑宮は近世に物議を醸したところで、「本家本元はこっちだ」と主張をしたらしいのです。伊勢神宮の中でも別宮として扱われるほど由緒がある宮です。

籠神社の社紋に当たるものが、かごめです。ダビデの星のマークです。伊雑宮の社紋もかごめ紋だと長い間、言われてきました。

かごめ唄に出て来る亀は、籠神社にとってのシンボルです。

伊雑宮の神話の中には真鶴が出ています。そうすると鶴と亀なのです。鶴と亀が統べったという構図になるのです。

出雲系の神社や八重垣神社もそうですが、亀甲紋です。すなわち亀なのです。

これも一つの六芒星です。元出雲、元伊勢の関係が見えてきます。籠神社の宮司さんによれば「かごめ唄の意味するところは一つの予言である」と言われています。


出雲と伊勢の霊的な統合

出雲と伊勢の霊的な統合なのでしょうか。神話的には、須佐之男と天照の成婚みたいな解釈です。

出雲国造りの長男千家国麻さんと、女王殿下高円宮典子様がご成婚されました。出雲大社と伊勢神宮が結婚となったのです。

出雲大社は現在では、縁結びの神様として知られています。パワースポットしての観光地としても有名です。出雲空港も出雲縁結び空港として知られています。

西の出雲は縁結び空港で、東の米子はゲゲゲの鬼太郎の空港になっています。出雲大社の昔を見ていくとミステリーの宝庫であることに気がつきます。

古代の出雲大社は大変大きかったのです。

写真引用元:ムーチューブ:知られざる『京都遷都計画』と出雲王朝の復活

とにかく大きいのです。今でも大きいですが。いわゆる古代においてはもっと大きかったのです。「雲太、和二、京三(うんた、わに、きょうさん)」という言葉があり、出雲大社は48メートルあったと言われています。

建築学的にありえないと思われていましたが、掘って調べてみましたら太い三つの柱が出てきたのです。

3本の柱を束ねた大きな柱の跡が見つかりました。そのため本当に48メートルあったと言うのは事実だったかもしれないのです。

現在のアカデミズムの研究では、ほぼ48メートルあったであろうと言われているほどですから間違いないのでしょう。


三つのマーク

三つの柱は三つのマークに似ています。カバラ的には、シャンバラの雰囲気を感じさせます。またニコライ・レーリッヒを思い浮かべます。(ニコライ・レーリヒ(1874~1947年)は、ロシアの哲学者、美術家、画家で、チベットの秘境シャンバラを探し求めた人です)

ダライ・ラマもチベット密教の地底王国の楽園シャンバラは、「ある」と語ってています。「神話ではなく本当に実在している」と証言しているのです。

ニコライ・レーリヒが描いた平和の女神

写真引用元:ムーチューブ:知られざる『京都遷都計画』と出雲王朝の復活 

掲げているマークはシャンバラマークです。

探検をしていたら岩に刻まれたシャンバラマークが見つかりました。中央アジアからシベリアにかけて、まるで道しるべのようにその岩が見つかるのです。

戦争状態になったとしてもお互いに「文化財には攻撃しない」という約束事があります。京都が戦争から守られたのも彼のおかげのようです。

実際、戦争になると何もかもが破壊されてしまいますが、その真相は分かりません。

柱を輪切りにすればこのように見えますが、このマークが三本柱の出雲大社と同じマークだったのは事実です。

エジプトのミラミットと出雲大社には共通点があった

エジプトの大回廊には、エジプトのピラミッドに入ると最初に地下の間に行くように上昇回廊に入って大回廊に入ります。そこでいきなり天井が高くなるのです。

通路はかがんで入らないと通れないくらいの狭さです。入り口から入って下降回廊、続いて上昇回廊といった作りがとても似ているようです。出雲大社はエジプトにも繋がり、シャンバラにも繋がるのです。


国譲り神話

高天原に住む天津神と日本の国土の国津神に分かれます。ある時、高天原に住んでいる天照大御神から見て孫にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)の軍隊が、国津神が治めている国を突然天上からやってきて「慈愛に満ちた国づくりをするから国を譲りなさい」と来るのです。

この交渉にあたったのが建御雷神(たけみかづちのかみ)なのです。最初、大国主のところに行ったらところ、息子の事代主(ことしろぬし)が承諾したら受け入れることにしました。それだけ、息子の事代主を信頼していたのです。事代主は恵比寿様として知られています。

それまでの国が争いにが多かったので大国主にとっては、願ってもないことだったのです。ところが、血を流して国を守ってきた者にとっては納得のいかないことでした。

「国を譲れ」と言ったところ、素直に従ってしまうところがありました。

弟の建御名方神(たけみなかた)が、最後まで抵抗したのです。建御雷神(たけみかづちのかみ)と力比べをして負けてしまい、諏訪大社まで逃げ延びました。

地上の国津神を天孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が支配することになったのです。15:59

神話というのは御伽噺(おとぎばなし)なのでしょうか。それとも、史実に基づいたものをオブラートに包んであるのでしょうか。その点では、出雲では史実に基いたことが適応されているのです。

高天原天照大御神を象徴するある勢力が大国主に対して迫り国を譲らされたのではないのでしょうか。

古代出雲王朝(おおくにぬし)とヤマト王権(あまてらす)の対立

天孫族というと九州の勢力みたいな話になるのですが、高千穂に降臨した邇邇芸命(ににぎのみこと)が、それとは別に出雲そのもの、勢力図が大きく東と西に分かれます。

(出雲国家と天皇家の関係写真)

写真引用元:ムーチューブ:知られざる『京都遷都計画』と出雲王朝の復活

出雲国造の出雲大社宮司の千家のルーツは天穂日命(あめのほしひのみこと)は、天照大御神から見ると息子なのですが、邇邇芸命(ににぎのみこと)から見ると伯父なのです。天孫族であり天皇家なのです。

ということですから出雲大社を守っていたのですが、長い間、出雲大社を守ってきたかと思っていたら、天照大御神側だったのです。

天照大御神の子供である天穂日命(あめのほしひのみこと)の天孫族側の千家、今日の千家が出雲神である大国主命を祀っているということです。

出雲は東と西では、神社の勢力図が違っています。八重垣神社も神魂神社(かもすじんじゃ)も東側なのです。

出雲大社は西にあるのですが、大きく広げていくと物部神社は石見国(いわみのくに)に近いところがあるのです。大雑把に言うと、元々は物部氏という古代豪族がいて、そこに天孫族である古代天皇家の勢力が覆いかぶさり最終的に征服の様な統治することになったのです。

その代わり征服された側の大将である大国主命を神社で祀ることによって、その土地の先住民たちを納得させるということなのです。

ある意味封じ込める意味があります。敵の総大将を祀ることによって政治の統合を果たしたのですが、これはよくあることです。

征服する側が征服される側の王家と婚姻関係を結んで、土地を征服して治めます。外から来た征服者は、地元の民を収めるにはその方法しかないのです。

少数の征服したよそ者が来たからといって、地元の人は簡単に納得しないです。東京から鞍替えで選挙で来たという感じです。


縁結びの力が一つになる

縁結びの神として出雲大社に行きますが、こんな深い意味があったのです。縁結びは大国主命の祖先である須佐之男命が一番古い和歌を詠んだのです。

歌の内容が妻である櫛名田比売(くしなだひめ)を思い、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と歌っていることが、縁結びとして、夫婦としての理想形として縁結びとなったのです。

当時は一夫多妻です。天皇家と出雲国造家が婚姻をしたのかというと一度、天皇家の現状に帰るのです。

後継者であるお世継ぎは皇族の方が少なくなってきているため、危機的な状況にあります。そこで旧宮家の復活が議論されています。

3.11以降地震、放射能の問題が起こり、皇室の機能を京都遷都計画が立ち上がっているのです。

高御座がどこにあるのかは、現在の京都にあります。東京に首都が置かれるようになったのは明治天皇の時からです。都を東京にするときに遷都という言葉を使っていますが、東京奠都(てんと)と言う方が正確のようです。

京都の人に言わせると天皇は一時的に東京に行っているだけだと感じています。そのうち戻って来る。今でも都は京都だと思っています。

天照伊勢神宮と出雲(須佐之男命+大国主命)両方のパワーの力を受け止められるところはどこなのでしょうか。それがかごめの唄の予言にもなってくるのです。

参考文献:ムーチューブ:知られざる『京都遷都計画』と出雲王朝の復活


まとめ

60年ぶりに、同じ年に式年遷宮が行われた

天神地祇(てんじんちぎ) は天津神と国津神ですべての神々

「後ろの正面だーれ」とは式年遷宮で鍵となるのは籠(この)神社

出雲と伊勢の霊的な統合

出雲大社はエジプトにも繋がり、シャンバラにも繋がる

征服された大将である大国主命を神社で祀その土地の先住民たちを納得させる

縁結びの力が出雲と伊勢の力を一つにする


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