この記事の概要
信長が式年遷宮を再開させた伊勢神宮は、神秘性を持つ神社であり「古代イスラエル人の幕屋」なのです。式年遷宮を再開させたのは、祭司としての深い関わりがあった忌部氏の子孫だったからです。信長は、イエズス会の宣教師たちの教えと合致するものも見えましたが、相容れぬものを感じたことも多かったはずです。天下統一が見えてきた信長はすでに海外に目を向けていたのです。
伊勢神宮に置かれている八咫鏡の謎
信長の先祖である忌部氏は、伊勢神宮で神官をつとめていました。その伊勢神宮には、他にも古代イスラエルのとのつながりがたくさんあります。
伊勢神宮内宮の正殿には、八咫鏡と呼ばれる神聖な鏡が置かれています。その八咫鏡は、皇室に伝わる「三種の神器」の一つです。古代イスラエルにも、日本と同様に「三種の神器」があります。それらは、十戒の石板、マナの壺、アロンの杖であり、幕屋の至聖所内に置かれていました。
八咫鏡の裏面には、ヘブル語で文字が描かれていると古くから言われてきていました。その証拠に、明治時代の森有礼(もり ありのり)文部大臣は、伊勢神宮で八咫鏡を見たのです。その裏面に「我ありて在る者」を意味するヘブル語(出エジプト記:3−14)へイェ・アシェル・エヘイェが描かれていたと述べたのです。
神道信者の矢野祐太郎氏は、伊勢神宮の宮司に誠意を尽くして何度もお願いし、密かに見るための許しを得たというのです。
そこで、矢野氏は、鏡の裏面の文字を注意深く模写しました。
特にその中央の円内の七文字はヘブル語であり、古代ヘブル文字に似ているように見えました。「もしこの二段の文字のうち、下段を二回読むなら、『我ありて在るもの』と読めないこともないかもしれない」と述べています。または、「これら七文字はヘブル語の『オール・ヤハウェ』(神の光の意)」と読めるだろうとのことです。
伊勢神宮の警備は古代エルサレム神殿で行われたのと同じ
旧約聖書には、「あなた(ヤハウェ神)の光の内に私たちは光を見る」(詩篇36:9)と記されています。これらの読みは、古代ヘブル文字にする必要があります。グローバリストは、英語で訳されたものが完全に近いと誇っていますが、それは傲りです。全ては、原文が最も正確です。
八咫鏡は御船代(みふなしろ)と呼ばれる箱の中に安置されています。英語でいうアーク(聖櫃)なのです。アーク(契約の箱)にはかつて、イスラエルの三種の神器が入っていました。
日本で10年間、ラビ(ユダヤ教教師)を務めたマーヴィン・トケイヤー氏(マーヴィン・トケイヤーは、アメリカのラビ、教育家。滞日生活が長く、日本通として知られています。)は、次のような逸話を紹介しています。
マーヴィン・トケイヤー氏が若かった頃、東京に赴任してきました。その頃に、イスラエルの主席ラビ・ジュロモ・ゴレン氏が来日しました。
主席ラビが神道について学びたいというので、彼らは一緒に国学院大学の神道講義を聴きに行きました。そこで、授業中、主席ラビは先生に質問をしました。それは伊勢神宮の警備に関してでした。
「神宮の警備員はどこに立ち、どのような順番で巡回し、どのような儀式をして交代するか」などでした。答えを聴きながら、初め主席ラビは、メモをとっていました。
しかしながら、その後、メモを取るのをやめました。トケイヤー氏の方を向いて、その主席ラビは言いました。「君はこの先生の答えの重要性がわかりますか?」
さらに続けてこのように述べています。「警備の仕方は、古代エルサレム神殿で行われていた警備と全く同じです」
信長が式年遷宮を再開させた伊勢神宮、そして信長の先祖である忌部氏が神官を務めた伊勢神宮は、このような神秘性を持つ神社でなのです。伊勢神宮には、「古代イスラエル人の幕屋」なのです。
織田信長と伊勢神宮との深い関わり
その伊勢神宮のすぐ近くには、織田信長が築いた安土城が復元されています。これは何を意味しているのでしょうか。まるで信長と伊勢神宮、そして古代イスラエルの深い繋がりを示しているかのようです。
古代イスラエル人は、伊勢神宮をはじめとする神社に、神道を日本にもたらしました。信長は、古代イスラエル人の子孫だったのです。
信長の先祖が神官をしていた劔神社には、古代に伊部(いべいんべ)という人から劔が奉納されました。それが劔神社の御神体となっているのです。
この伊部氏とは忌部氏のことです。岡山県の備前焼の陶器も別名で伊部(いんべ)焼きと呼ばれています。これは忌部氏由来のことを意味しているのです。(伊部焼きとは備前焼のうち、岡山県備前市伊部で産するもの)
備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市周辺を産地とする炻器。日本六古窯の一つに数えられる。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。
ウキペディア:最終更新 2021年3月1日 (月) 03:39
(忌部氏:古代の朝廷祭事を担当し、
忌部氏は830年に「斎部」(いんべ)と表記をあらためています。徳島江天皇のために麁服(あらたえ)大嘗祭で天皇が着る麻の衣を作ってきた三木家も忌部氏直系です。
忌部氏のち斎部氏は、古代朝廷における祭祀を担った氏族。天太玉命を祖とする流れと、天日鷲命を祖とする流れ、天道根命を祖とする流れの三種が有名で、いずれも神別に分類される。
ウィキペディア: 最終更新 2021年2月1日 (月) 06:50
紀元後にやってきた秦氏は、古代イスラエル人の子孫です。神道は世界の中で、唯一古代イスラエルが神から授かった教えと儀式に極めてよく似ています。織田信長も古代イスラエル人の子孫の一人、忌部氏でした。
織田信長は古代イスラエル人の子孫だった:忌部氏の正体(久保有政氏・解説)
<https://www.youtube.com/watch?v=4Ud_m57lyJY&t=2095s>
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