この記事の概要
ユダヤ人は日本に同化して一神教を捨てたのです。ヨーロッパ人をキリスト教にしたようにできたはずなのです。日本の神道そのもの、あるいは仏教を取り入れて神仏集合を肯定しました。優れたユダヤ人たちが渡来しても、日本というものを変えることをせず、天皇を守ることを選びました。このことはグローバルユダヤ人も気づいているので日本を潰したがっているのです。
弓月国から大勢のユダヤ人がやってきた
日本には、弓月国から来たユダヤ人達はおよそ2万人ぐらい居たと言われています。渡来したユダヤ人は、日本が受け入れ、各地に分散し、特に関東に行ったのです。
大勢のユダヤ人が日本に移住してくると、そこには一つの国、ユダヤの国ができるはずなのです。日本に彼らが来た証拠として一つは、埴輪です。
領主が死ぬと、その周りには、忠実な官僚達、アドバイザー達の様な人々を象った埴輪が作られ、古墳の中に置かれているのです。死んだ人を中心とした埴輪は、領主のために重要な役割を演じていることになります。領主を中心に組織立てられた人達が集まって、日本にユダヤの国を作ることは、可能だったのです。
日本に同化したユダヤ人
近畿地方の氏族たちの全ての調査がありました。その中では、皇族と神族と諸蕃の3つの氏族たちがいて諸蕃は、秦氏が中心です。
秦氏は、1/3ぐらいおり、諸蕃の中心にいました。これだけの改革好きのユダヤ人がいれば、天皇を倒して、自分たちの政権を作ることもできたはずです。
例えば、聖徳太子の時代に秦河勝という人がいました。彼らは、物部氏を倒しました。このような役割を演じた秦河勝という人たちがいたのですから、彼らの様な人たちが、どうして政権を取ろうとしなかったのでしょうか。それに、彼らが日本に持ち込んだ一神教を日本に押し付けようとしませんでした。
キリスト教のネストリウス派にしてもユダヤ教にしても一神教です。ゼウスにしても、ヤハウェ神にしても、一神教を日本人に持たせようとすればどんどん伝道したはずです。 あのアングロサクソンやヨーロッパ人をキリスト教にしたようにできたはずなのです。
ところが改宗する為の伝道行為を一切しませんでした。日本の神道そのもの、あるいは仏教を取り入れて神仏集合そのものを肯定しました。
つまりそれだけの優れたユダヤ人たちが渡来しても、日本というものを変えることをしなかったのです。変えないばかりか、天皇を守ることを選びました。これは非常に重要なことです。
秦氏が建てた神社
渡来系の諸蕃の中では秦氏が非常に多かったのです。大勢の秦氏が何をしたのでしょうか。応神天皇の時代にちょうど、秦氏がやってきました。
応神天皇は、第15代天皇。『日本書紀』での名は誉田天皇。記紀によると渡来人を用いて国家を発展させたとされ、中世以降は軍神八幡神としても信奉された。実在したとすれば4世紀後半〜5世紀初頭ごろの天皇と推定されている。『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2024年2月4日 (日) 16:48での最新版を取得。
日本書紀では、秦氏は弓月国から応神天皇の元にやってきたと書いてあります。この応神天皇を祀る神社が八幡神社です。八幡神社は「やはた」と書きます。八幡神社とは秦氏が建てた神社と言うことです。
応神天皇が八幡神社の祭主になっています。応神天皇を祀っているのです。日本の神社は、八幡神社と稲荷神社で半分以上占められています。これは、5、6世紀にやって来た秦氏が日本の神社をどんどん建てたのです。
稲荷神社は、今では農業の神です。農業の神、実業の神と言われ、現在、稲荷神社はどこにでもありますが、この稲荷神社も秦氏が建てたと言われています。
稲荷というのはインリという意味(稲荷=INARI=INRI)だと言われています。これはキリストが十字架にかけられたときに十字架の上に記されている言葉が、「 INRI」と書かれたことが言われだというのです。
それが稲荷になったというと、ちょっとこじつけみただと言う人もいます。いずれにしても八幡神社、稲荷神社が、やっはり秦氏によって作られたのです。すなわち、「ユダヤ人によって作られた」と言っても過言ではありません。
秦氏の役割
埴輪には、様々な系統があります。その中の一つに、ユダヤ人タイプの埴輪があります。このことは、日本人は彼らを受け入れたということが事実だと言うことなのです。
日本人が選択する重要な転換期には、常に秦氏が、役割を演じていたということが考えられます。その理由の例として、大仏を作る時です。奈良の大仏は、仏教の法相宗あるいは華厳宗など様々な仏教による鎮護国家をつくるために大切なものでした。
九州大分の宇佐市にある宇佐神宮は、八幡神宮の総本宮です。そこからわざわざ使いがやって来て、「大仏を作るべきだ」と言うことが不思議なことなのです。神社が、大仏の想像を思い描くと言うことが奇異に感じます。
その時 に和気 清麻呂(わけ の きよまろ)が、「それはおかしい」ということで、宇佐の八幡神宮へ行くのです。そして信託を受けました。「やはり天の日継ぎは必ず帝の氏ではなくてはならない」という信託でした。
これは秦氏の八幡神社が天皇を守ったということでもあるのです。このことは、「今なぜユダヤ人が日本人が好きか」と言うことの一つの表れでもあるのです。
ユダヤ人は日本人が好きである
彼らは天皇が好きなのです。天皇という形をとる聖体というものがある意味において、世界の国家というものの聖体の理想ではないかということを彼らは考えています。
ユダヤ人と言うと、狭いイスラエルの人だけだと考えがちですが、それはとんでもないことなのです。彼らは世界のあらゆるところに住んでいます。アメリカにも、中国にも、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国にいるのです。
ユダヤ人は、学者としてほとんどを支配しています。彼らは、あらゆるところに力を持っています。政財界、学会、メディア界など影響の大きいところにです。日本人を助けてくれるのもユダヤ人なのです。
彼らは、非常にユニバーサル(「一般的」「全員の」「宇宙の」)な 考え方を持っています。まさにグローバリゼーションなのです。しかし今やイスラエル国ができていることによって、グローバリゼーションでは行けなくなっています。
秦氏は、まさにそのグローバリゼーションをやめようとしました。日本のやり方を選んだのです。これは、もう 6世紀、7世紀の段階で選択しました。
グローバリズムか、国家第一主義かをユダヤ人たちは繰り返して来たました。現在は、イスラエル国家ができたおかげで 、ナショナルユダヤに向かわなければならないのです。
アメリカ第一と同じようにイスラエル第一で行かなければなりません。そうすると各国ファーストでいいことになります。日本という特色を守るようなやり方がいいのです。
まとめ
今も世界に影響を与えるキリスト教、イスラム教、その大元になるユダヤ教、日本にはユダヤ教とキリスト教の影響を受けていたが、ユダヤ人達は日本に同化する道を選んだ。
ユダヤまたはキリスト教の独立国を選ばず天皇制を選んだ。それは、一神教のヤハウェまたはエホバよりも優れた自然神を選んだことになる。
原始日本人となった大元の人々は、西から太陽を求めて日本にたどり着いたと考えられている。その集団の中には、イスラエルの失われた10支族がいたことも想像できる。彼らは、エジプトにいた間に太陽信仰を選び、来たイスラエル国を失った時に、国を追われ、日本にたどり着いた集団がいたのではないだろうか。
もしかすると、彼らが日高見国の人々になっていたのかもしれない。