日本人の主要民族は古代イスラエル人だった

日本人の主要民族は古代イスラエル人だった

この記事の概要

日本人の主要民族は古代イスラエル人だったことが理解できるようです。アジアを各地を旅行した人やユダヤ人と長く暮らしたことがあるヨーロッパ人が、江戸時代、明治時代に訪れて驚いたのは、日本人はユダヤ人の顔にそっくりだということでした。現在では混血が進みモンゴロイドに近い顔立ちになっていますが、昔はヨーロッパ人のような風貌だったようです。


日本人の顔立ち

アジアを巡る旅して来た人が日本に訪れると、一言で日本人と言っても、色々な顔があるように映るようです。普段日本に暮らしている日本人は、単一民族だと思っているので、あまりこの事に気がつきません。

日本人はアジア諸国の中では、顔立ちの面でかなり多様性に富んでいるようです。日本に住むあるアメリカ人は、日本人に対して、このような思いを持っていました。

「日本人の顔を観察してみると、この人は北方系の顔だ。あの人は弥生系の顔だ。この人は縄文系の顔立ちをしている。東北地方には、白人のような顔立ちの人もいる」と。それだけ、日本には、多様な顔立ちの顔があるようです。

例えば、アイヌと呼ばれる人が日本には昔から住んでいます。その中には、混血度の低い人ほど、彫りが深く、白人のような顔つきをしています。中には青い目をした人も多いのです。

明治時代に撮影したアイヌの人々の顔つきは、白人系の顔をしていました。しかしアイヌの間でも混血が進んだ現代では、日本人と変わらない顔、すなわちモンゴロイド系の顔つきの人が多くなっています。

アイヌ以外の人々を見ても、身分制度が取り払わられ、平等になった近代では、好きな人と自由に結婚ができるようになりました。そのため混血が進んだのです。

皇室にも同様なことが起きています。昔の皇族は、皇族の間でしか結婚が行われませんでした。それが上皇陛下が皇太子時代に、初めて民間人の美智子様と結婚されたのです。これは天皇系の歴史から見たならば、あり得ない出来事でした。このようにして天皇家に民間人の血が交えられました。

民間人の間には、江戸時代や明治時代の初期頃までは、「士農工商」という身分制度があったので、身分が異なる間では、混血が進みませんでした。


日本人は中近東から来た

その理由で日本人の顔つきは、現在よりも、非常に多様性に富んでいました。このことは、17世紀である1690年から1693年の江戸時代に長崎の出島に滞在したドイツ人医師ケンペルが書き残しています。

ケンペルは世界の様々な国を旅して見た後に、日本に訪問しています。ケンペル医師は非常に博学な人物だったようです。

彼はヨーロッパに戻り、日本に旅行したときの体験をまとめて出版したました。その著書の中で、日本人の言語、言葉遣い、生活習慣、風習、土着の宗教などは色々な点で、近隣諸国とは大きく異なっていると述べています。

日本人の主要民族は、中国や韓国から渡来して来た民族ではなく、バビロニア地方から直接渡って移住して来たに違いないようです。その意味では、聖徳太子の時代の人々は、ペルシャ語を使用していた痕跡があることが納得できます。

バビロニア地方とは、中近東のことです。そこはかつてイスラエルの10部族の捕囚の地となったアッシリア帝国のあった場所でした。アッシリアは現在のイラク北部を占める地域です。アッシリアはチグリス川とユーフラテス川の上流域のメソポタミアの北部を指し、メソポタミア南部は一般にバビロニアと呼ばれています。

彼が見た江戸時代の日本人の外見について次のように述べています。

「日本国内の場所によってはっきりとわかるほどに著しい違いがある。これは日本人がもともと、一つの主要民族のもとに色々な他の民族が次第に加わって形成されたことが実証されている。

最も尊く最も古い家系の人々や大名、高官などの人々は、一般に才力が敏捷で、容姿は他の者よりも美しく、威厳があり、鼻も少し高くて、ヨーロッパ人に似ている。

薩摩、大隈、日向人々は、身長は中位だが、強厚で言語、資質ともに男性的であるが、そのほか、日本の各地の人々の形態や性質に大きな違いがある」と。

日本人の根本的な最初の起源は、一個の独立の民族であことに確信が持てるようです。その由来は、中国人から別れ出たものではないと、認めなければならない。

しかしながら、日本人の起源が一個の独立の民族であるならば、日本人は何故ヘブライ語を話さないのでしょうか。確かにヘブライ語に似た日本語が多く受け継がれてることも確かです。日本語が全てヘブライ語に似ているのであればわかりますが、日本語はやはり日本語です。

日本国とは、多くの民族、異なる言語、文化が日本にもたらされても、日本という風土の中で全てが包み込まれどうかしてしまう不思議な国なのではないかとも思います。


ユダヤ的な顔つきの日本人

ケンペル来日から200年ほど経て、19世紀にスコットランドからノーマン・マクレオドが日本に来日しました。

彼は、日本に来る前に、ユダヤ人たちと暮らしていました。そのためユダヤ人の顔つきや外見についてはとても詳しかったのです。彼は、日本に来てから、皇族や公家の人々は、ユダヤ的な顔をしていると思ったのです。

彼は、1872年の第一会京都博覧会で、明治天皇と皇族方の姿を見る機会がありました。その会場で、「ユダヤ系の顔をした人々を私はたくさん見た。彼らの顔立ちはユダヤ人の顔とそっくりだった。彼らの顔立ちはかつて私がヨーロッパで見たユダヤ人の顔そっくりだった。

このことは日本に来日したアインシュタインも同様に日本人の顔を見て、ユダヤ人がここに沢山いると述べています。

明治天皇がユダヤ人の顔つきをしていた。天皇陛下の顔立ちは、ワルシャワとセント・ペテルスブルグの裕福なユダヤ人銀行家、エプシュタイン家の人々によく似ていた。若い伏見宮殿下は、写真を拝見した限りでは皇族の中でも、一番イスラエル的な顔立ちをしておられた」と記しています。

マクレオドは、次のように日本人は基本的に3つの異なった民族に起源を持つと考えていました。

  1. アイヌ民族:北方ユーラシアの原住民
  2. 小人族:南方オーストロネシア(台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族)の原住民
  3. 古代イスラエル人(ユダヤ人)

マクレオドは、彼が出版した挿絵集の中で、日本人の色々な顔つきを紹介しています。


顔立ちの変化

顔立ちは、混結が進めば、二代、三代で変わってしまいます。ヨーロッパのユダヤ人は白人系の顔立ちをしています。

アフリカに住むエチオピアのユダヤ人は黒人の顔をしています。

イエメンのユダヤ人は褐色系の顔立ちです。

中央アジアのユダヤ人はモンゴロイド系の顔立ちが多いのです。

北インドやミャンマーに住むシンルン族(メナシェ族)は、古代イスラエル人の末裔と認められた人々ですが、日本人と同様、アジア系の顔です。

中国のチベット近くの山岳地帯に住むチャン族(羌族)も古代イスラエル人の末裔と言われていますが、東アジア系の顔をしていて日本人にとても似ています。

混結すると、どこの地域に住んでいても二、三世代で変わってしまうようです。それでも、ケンペルやマクレオドは、昔の日本人を見て、その中にユダヤ的な顔立ちを多く見出していました。

これは一体どういうことでしょうか。

日本人は古代日本に渡来して来た色々な渡来人の混血ですが、その中には、古代イスラエル人の子孫たちが極めて多かったということです。その明確な理由として、DNAが示しています。

実際に遺伝子から見てみると、日本人(男性)のY染色体の40%近くはアジアでも世界でも非常に珍しいD系統(ハプログループD)であるのです。

このD系統は、中国人(漢族)や韓国人等には、ほとんど見ることができない遺伝子です。

これは極めて非常に特殊なことです。日本人のD系統はユダヤ人に見られるE系統と近縁であり、先祖が同じです。遺伝学がそれを明らかにしました。

DNAで見た場合は、日本人と現代ユダヤ人または古代イスラエル人の末裔は互いに極めて近い関係にあるとのことです。


参考文献:ユーチューブ、ユダヤ人顔の日本人(久保有政氏・解説)

<https://www.youtube.com/watch?v=qIUW9812Ke0&t=971s>アクセス日2021年2月16日


紹介欄

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」

大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族

 

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