地球は宇宙の刑務所

地球は宇宙の刑務所

この記事の概要

地球は宇宙の刑務所なのです。こんな苦しみの世界に送り込まれたのには訳があります。私達がこの世界に来る前にその世界に「行きたいか行きたくないか」という選択の権限はありませんでした。これは裁きだったのです。生命がこの星に誕生した時が不幸の始まりになってしまいます。な地球は命を奪わないと生きていけない環境です。


命は最も大事なもの

生命にとって、地球は美しくて非常に残酷な場所なのです。「人の命はこの地球より重い」と言った人もいますが、あらゆる生命が平等だと言っても、実際はそうではありません。

命は皆重要であり平等だと考えると、生命がこの星に誕生した時が不幸の始まりになってしまいます。なぜならば、地球に生存する全ての動物が命あるものを食べないと生きていけないからです。

人間を含むあらゆる動物が食べているのは、全て命です。動物の命、虫の命、植物の命。つまり地球に誕生・進化した動物たちが自分の命を維持するためには、必ず他の動物や植物の命を奪わないと生きていけないのです。
人間の世界において、命は平等だと言われていますが、それは人間にとって生命がもっとも大事なものだからです。健康体で寿命を全うして人生を終えることが最も幸福なことです。
動物たちにとってもそれは同じです。いくら知恵が低い動物でも大自然の中で命を落とさないためには、どんなことでもやりますし捕食されないためには、種族全体が生き残るために努力して進化しています。

命を奪い合う

動物たちは、生きていくために多くの命を奪うでしょう。命を維持するために種族全体が進化し続けています。
何でも簡単に手に入る現代の人類にとって、一生に一度も体験できないことが自然界にはあります。たった水を一口飲むために動物は命をかけなければなりません。
生まれて目も見えていないのに他の動物に食べられるかもしれません。昨日まで元気に走っていたのに怪我をして獲物が捕らえられなくなりすぐに餓死するかもしれません。
美しく見える地球、大自然はもっとも大切なものである命の奪い合いの場です。他の星にも、もし命が誕生し、知性の高い生き物ががいるのであれば、地球の植物のように太陽光とその星の大気だけで生命を維持するための十分なエネルギーを獲得できているのかもしれないのです。
高度な星では、残酷な命の奪い合いはないと思います。そうなると、その星の生命体は意識だけの存在で、肉体に依存していないのかもしれません。

地球刑務所

アメリカの生物学者のエリス博士は、「地球刑務所説」を唱えています。博士によりますと、「人類が地球上で最も進化した生物であれば、人類はどの種族よりも地球の環境に適合しているはずだ」と。
しかしながら、現在のところ人類の体は地球環境にそれほど適合していません。例えば動物界において体のサイズが大きい動物であれば、ほとんど四足歩行です。なぜならば、地球の重力の下で体のサイズがある程度大きくなると四足歩行が最も体に負担が少ない歩き方だからです。
ところが人類だけが他と違っています。体が大きいのです。それにもかかわらず二足歩行です。さらに四足歩行から二足歩行に変わるのは進化の過程において徐々に起きるものだと思われていましたが、アフリカで生まれた初期の人類であるアウストラロピテクスの化石から、彼らは400万年前から既に二足歩行をしていたことが分かっています。
霊長類は進化の過程を省いたように突然地球上で現れました。人類は二足歩行と地球の重力に適していないようです。そのせいで腰痛という生理現象が起きます。
このような生理現象は地球上で人類にしか起きていません。
さらに人類の皮膚は長時間太陽光にさらされると傷がつく構造になっています。また人類の自然分娩が非常に難しいのです。多くの人が数多くの慢性疾患を患うことから、エリス博士は「人類はどう見ても地球環境に適していない」との見解です。
人類は、どこか別の場所から来た種族の可能性があります。人類は数百万年前から誰かによって地球に送り込まれたのです。その地球は刑務所です。人類は、刑務所に送り込まれた囚人だということです。
これほど生き物の命を奪いあう人類です。わずか1%の富裕層だけが富を独り占めしてしまう人類。人口削減などを平気で考える人々は、看守なのでしょうか。こんな不幸な地球に存在しているのは、刑務所の檻の中にいると考えてもおかしくありません。
地球上における動物たちが生きていくための手段は、太陽光や大気からではなく他の動物や植物を食べることです。すなわち他の命を奪うことです。
これによって食物連鎖が存在し、人類はこの連鎖の頂点に立っているのです。これは非常に残酷です。その残酷な命の奪い合いから脱出していることから別に人類は何も宇宙の囚人としての要素がないと思うかもしれませんが、人生がいくら幸せだとしても意識が肉体の中、即ち監獄に閉じ込められているため幸せではありません。

これらの経験による辛さや痛みはどれでも喜びの程度を超えているようです。
たとえそれで他の人が傷つき、命を落としても自分には関わりがないと思う人が大勢います。表向きは食物連鎖から脱出していますが事実上また別の残酷な連鎖の中に入っているのです。上級国民と下級国民のピラミッドの中に。あらゆる組織のピラミッドの苦しみ。
こんな苦しみの世界に送り込まれたのには訳があります。私達がこの世界に来る前にその世界に「行きたいか行きたくないか」という選択の権限はありませんでした。これは裁きだったのです。
これらの人生における多くの苦しみは意識が肉体の中に存在しているから起きたものが多いのです。もし私たちが意識だけの存在であれば苦しみがなくなるのかもしれません。
肉体と高度な知恵を持つと殆どの人間は肉体がもたらす欲に支配されてしまいます。
限りないものが欲望です。仕事で成功し名声を得たい。もっとお金が入ってくるようにしたい。好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。健康でいたい。でも、それらが少しでも欠けたら人はすぐに落ち込みます。健康を失えば、苦しみ悩みます。すべてを満たしたとしても、またもっと上の欲を求めます。
他の命を奪う行動が残酷で悲しいことなのですが、夕ご飯に肉を食べます。職場のランチには、焼肉弁当を食べました。肉体にはタンパク質が必要で、お金を出せばすぐに手に入る肉を食べてしまいます。
動物の苦しみを理解しながらもお肉を食べてしまいます。肉体と高度な精神を持つ人間にしか理解できない苦しみの一つなのでしょうか。それとも、食べられる側は、痛みを感じないで肉を差し出しているのでしょうか。

肉体のない意識体

もし宇宙の生命体の形が肉体のない意識体であれば、「意識体が空間と時間の中を自由に行き来できる」いくつかの異なる次元にまで行き来することが出来ます。
人間社会では、自由を奪うとき、その人を牢屋に閉じ込めます。その人の移動できる範囲を制限することで自由を奪います。しかし意識体は移動範囲だけでなく時間と次元においても自由に移動できます。このような意識体から、空間・時間・次元における自由をすべて奪う方法は意識体を肉体に閉じ込めることなのです。
意識体を肉体に閉じ込めて、惑星に送り込めば彼らは重力でなかなか星から離れることができなくなります。もし仮に離れたとしても宇宙空間においてはその肉体は長く生きられません。これで移動制限をし、肉体の中に閉じ込めておけるのです。
次に時間において肉体は未来という一つの方向へしか移動することができません。肉体を持つ限り過去に戻ることはできないのです。
次元においても同じく肉体がある限り3次元以外の次元には進入できません。肉体に閉じ込めることで意識体として存在していた生命体にとっては十分に過酷な罪なのです。監獄という肉体に生命を閉じ込め、地球に住まわせました。そこは、命を奪い合わないと生きられない環境なのです。
ではこれらの意識体はなぜこんなにもひどいは罰を受けたのでしょうか。
一つの可能性としては懲罰が原因です。私たちの人間社会の懲罰と同じく罪を犯した意識体が受ける罰は肉体に閉じ込められることです。

地球外生命体

また旧約聖書に堕天使の一団にはウォッチャーという名の天使が存在しています。その名前の意味も文字通り番人です。
旧約聖書では、番人たちは地上の人間が禁じられた知識があります。例えば武器の作り方などを地上の人間に教えました。その結果地上には様々な悪行が横行することになりました
人類はすでに100年近く地球外生命体を様々な方法で探してきましたが、現在でもはっきりとした地球生命体が存在する証拠が認められていません。実際には、あるのです。
惑星の数から宇宙人は絶対に存在するはずです。しかし、そのような形跡を隠しています。この膨大な星の数と地球外文明の証拠が見つからない事実の間にある矛盾を物理学者のエンリコ・フェルミ氏が最初に指摘しました。
その指摘とは「宇宙人はどこですか?」です。
これがフェルミのパラドックスと呼ばれるようになりました。フェルミのパラドックスに関する解釈つまり「宇宙人はどこですか」という質問の答えは多数あります。
つまり私たちを地球に閉じ込めた誰かが私たちを他の文明とコンタクトさせないようにしています。しかしながら、実際にコンタクトしている人もいます。それは夢か幻だったかは分かりませんが。例えばアダムスキーです。彼によりますと、地球外生命体は、全く地球の人々と大きくは変わらないと述べています。
ほとんどの人々は、いくら頑張っても彼らが作ったこの牢屋の外の世界にはいけません。外の世界を観察することすら許されていないようなのです。牢獄と言っても、軟禁状態の人もいれば、特殊監獄のような地獄のような場所もあります。
既にこの世界に生まれた以上私たちは生きていくしかありません。今の人生が終わったら何かが私たちを待っているのかも知れません。何もないかもしれません。
最終的に意識も肉体とともに消えていくのであれば今のうちにできる限りのやりたいことをやっていくのは最も賢い生き方かもしれません。

参考文献:ユーチューブ、「地球刑務所仮説」:人類は宇宙の刑務所にいる?【真実の目】

<https://www.youtube.com/watch?v=EUv1u_g55KM&t=675s>アクセス日:2022年4月11日


まとめ

地球で肉体を持って生きていくためには、他の生命を奪わないと生きてはいけない。


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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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