この記事の概要
世の中は悪の力で支配されているのです。悪魔的なもは、自分だけが幸福で、金持ちになるだけでは、病理は解消できません。自分は金持ちで、他の人は貧乏であることが悪魔的な望みです。この状態になると、悪魔的、神経症的自尊心が達成できます。悪がこの世を動かしているということは、1%の人類が富を蓄え、残りの99%が一般人であるという構造を持っています。
悪の力に支配された世の中
この世は悪の力によって動かされています。悪の力によって不幸本位制の中で消費活動を増大させる仕組みが出来上がっています。それが今息詰まっています。
悪魔的なものが問題なのは、自分だけが幸福になったり、自分だけが金持ちになるだけでは、彼らの病理は解消できないからです。
自分は金持ちで、他の人は貧乏であることが、悪魔的な彼らの望みとするところです。この状態になると、悪魔的、神経症的自尊心が達成できます。悪がこの世を動かしているということは、1%の人類が富を蓄え、残りの99%が一般人であるという構造を持っています。
(神経症:ストレスからくる心の病気ので、誰にでも起こり得る病気。社会に適応できず様々な症状が現れる。)
みんなで豊かになることは意外と簡単にで来るのです。足りないところと余っているところを調和させればいいだけです。
そうすれば、みんなが豊かになることができます。生産物を増やすことによって、みんなが豊かになる方が本当は簡単にできるのです。
悪魔的なことは、「自分たちだけが良くて他は全てダメだ」とする考えです。実は、その方が大変なのです。この様なシステムを作るのは非常に大変でした。その様な意味では、努力家だったのでしょう。この悪の行為というのは、気短に考えず、1世代だけではなく、2代から5代の長きにわたって悪事を考えていく様な人が悪のトップだったのです。
彼らは神経症的自尊心を追求しています。それによってでしか自分たちは救われないという思いを抱くということは、彼らは神経症の人々だったということです。
悪とは神経症であり、神経症的自尊心の恐怖から逃れるために、この世を不幸にする必要があるのです。
悪を克服する方法とは
多くの人は神経症的な人々によって不幸になりますが、問題解決の方法が物理的な方法から、魂の深い領域によってでしか、神経症というのは克服することはできません。
神経症的な悪によて苦しめられながらも我々は開眼しつつあるのです。最後の人類との最終的な戦いとは、神経症との戦いなのです。悪とは死の恐怖を受け止めることができなかった存在です。
この世的な形での王国を築こうとしていたのです。心臓をと取り替えるとか、腎臓を取り替えるとか、彼らが考えるのは悪魔的な方法に行きます。
あくまでも「もの」なのです。「もの」の信仰なのです。腎臓がダメだった場合、人様のをもらうわけにはいかないからこれを受け止めて、「残りの余生を自分なりに生きていく」ということを選択していたら、死の恐怖に対する直面に即菩薩の領域に入っていけるのですが、それをしませんでした。
肯定するしかなかったので、どんどん拡大し、同じ様な人間を増やすことで、物理の戦争へ持ち込んでいこうとしています。
永遠の宇宙は壮大だと思います。それは「もの」の話です。物質の話です。広大な宇宙とは「もの」です。どんなに広くても物質なのです。宇宙を無限界に持っていくことが唯物主義のスタート地点になるのです。
物的なこの世的なものの働きで有意に立ったものが、「上に立つと」という方式になっています。精神的活動・霊的活動がそこに伴わないのであれば、何をやってもこの世で勝ったものが強いことになります。しかしながら、神経症はそれでは治すことができません。
「二人の主人に兼使えることはできない」とイエスが語ったように、「もの」から解放されるべきなのです。
現代人は、多くの「もの」をクラウドに収納できる様にしています。昔のように広いスペースを必要としなくなりました。テーブルは、食卓と居間と勉強机が兼用で使えるようになっています。
情報の入力や閲覧は、ノートパソコンやタブレットがあればどこにでも移動ができ作業ができます。狭い居住スペースでも、多くのことが兼用できる様になりました。
濃厚で物質的な魚座の時代から風の時代に移行する現代は、物から解放されていく移行期です。
参考文献:ユーチューブ、悪とは神経症的自尊心であり、それを克服していない存在のこと
<https://www.youtube.com/watch?v=58NS-9TCucY>アクセス日:2021年9月10日
まとめ
悪魔的な人々は、自分だけ裕福になり、他は貧乏で不幸であることが幸せの源である。