この記事の概要
明治維新から植民地支配が始まっていたのです。ロスチャイルドにとっては、日本の国益を考えているしっかりした人物は必要なかったのです。200%自分たちの言うことを聞く人を選び、金と名誉を与えてコントロールするのです。松方正義こそ日本を戦前に国際金融資本のロスチャイルド家とズブズブの関係にし植民地化した張本人です。
明治の最も重要人物
明治の国づくりにおいて、一番象徴的な人は、松方正義です。この方は薩摩下級武士の出身ですが、維新政府では財務畑を歩んだ人です。
松方 正義(まつかた まさよし、1835年3月23日〈天保6年2月25日〉- 1924年〈大正13年〉7月2日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等爵位は贈従一位大勲位公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東[注釈 1]。
明治期の日本において内閣総理大臣を2度(第4・6代)務めるとともに大蔵卿、大蔵大臣(初・3・5・8代)を長期間務めて日本銀行を設立したり、金本位制を確立するなど、財政通として財政面で業績を残した。また、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響力を行使した。独逸学協会名誉会員。日本赤十字社社長。
ウキペディア:最終更新 2021年4月2日 (金) 09:06
彼は早くにパリ万博に行っています。パリ万博の日本の代表団でした。そこでアルフォンス・ド・ロスチャイルドに会いました。彼はパリのロスチャイルド家の二代め当主です。
アルフォンス・ド・ロチルド男爵(Le baron Alphonse de Rothschild、1827年2月1日 – 1905年5月26日)は、フランスの銀行家、貴族。
パリ・ロチルド家(英語読みでロスチャイルド家)の第2代当主。ジェームス・ド・ロチルドの長男。
ウキペディア:最終更新 2018年7月24日 (火) 15:19
アルフォンスの子分にセイという大蔵大臣がいました。フランスの大蔵大臣です。その祖父はセイの法則で有名な経済学者です。
セイの法則(セイのほうそく、英: Say’s law, 仏: Loi des débouchés)は、「非貨幣市場の総供給と総需要が常に一致する」という原則である。 フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイによって発見され、「セイ法則」、「販路説」などとも呼ばれる。
ウキペディア:最終更新 2019年7月2日 (火) 07:25
供給は需要をつくるというデタラメで大嘘の原則を流布した経済学者です。それをうまく利用したのです。
日本に中央銀行をつくった
アルフォンスやセイから、松方は指導を受け、命令を受けて日本に中央銀をつくることになりました。そして日本に金本位制を導入することになったのです。
日本はずっと銀でした。命令を受けてその通り行っているのです。日銀をつくったのは松方正義です。
ロスチャイルド家はこれより前に、イギリス、ドイツ、フィランス、ロシアで自分の息のかかった者を入れて、あるいは自分を株主になって、中央銀行にし、金本位制にしているのです。それはアメリカでも同じことです。
世界中の金の鉱山を抑えた上で世界中で流布していたのは銀でしたが、本位貨幣を全部金に変えてしまいました。それを独占しているのはロスチャイルド家です。それを日本で行い、中央銀行をつくり金本位制を取り入れたのは松方正義です。
その事に対して、伊藤博文は反対していました。「そんなことをやったら、金融と経済は牛耳られる」と。しかしながら、松方は財政家であり、彼の精神はアルフォンスにズブズブでした。
戦争を仕掛けた男とは
日清戦争は、日本から仕掛けました。これにはいろんな考え方がありました。日清戦争で勝って日本は、近代化に弾みをつけました。
そういう歴史的評価は大きいのですが、「本当の大アジア主義者にとっては、清と戦う事はなかった」、「もっとうまい手があっただろう」、「清と組んで黄色人種として白人と対抗する方法もあったはずだ」、「うまくいかなかったかもしれないけど、そういう道もあったはずだ」という意見です。
日清戦争を開戦する前は、国内ではものすごい対立があったのです。
そこを何が何でも開戦の道を選んだのが松方正義でした。日清戦争に勝ちました。賠償金で金をもらいました。これで日本は金本位制を始めます。その金を松方は日本に持って来なかったのです。
事前にロンドンに口座をつくっていました。その金を全てロンドンに持って行ってしまったのです。そのような日本の金本位制です。真の賠償金はロンドンに行ったのです。そこに預けた形にしました。松方は徹底してロスチャイルドに忠実でした。
ロスチャイルドにコントロールされた者が日露戦争でロシア革命を助けた
日露戦争はけんけんがくがくでした。伊藤博文も反対していました。これも日本は結局勝ちましたし、ロシアの南下も食い止められたし、歴史的評価はプラスが多いのですが、イギリスから見ても、ロスチャイルド家から見ても、ユダヤ人を迫害するロシア帝国を倒したかったのです。日露戦争はロシア革命の一環でしたが、ユダヤ人の迫害から守る要因がありました。。
日本人はそのような事はつゆも思いません。イギリス、ロスチャイルドから見たら、あれはロシア革命の一環でありユダヤ人を守るためだったのです。ユダヤ人と言っても真の血統的なユダヤ人ではありません。ユダヤ教に改宗した主に白人の人々です。
レーニンも日露戦争は、ロシア革命だと言っています。何がなんでもロシアと戦争をし、日本から仕掛けると強力に政府内で主張したのは、松方正義でした。
彼はその前に、日英同盟を結びました。国際金融資本家らお金を借りなければ軍艦を購入できませんでした。ロスチャイルドの子分ジェイコブ・ブッシェブからお金を借りなければ日露戦争は成り立ちませんでした。
「とにかく成り立たなくてもいいから始めろ」と言ったのは、松方正義でした。同時代の人たちの評価は、「こんな人は大蔵大臣になる人ではない」と低評価でした。
維新の活躍した人物は実は言うことを聞くポチだった
たまたまパリに行ったのでそのポストを受けられたのです。ロスチャイルドにとっては、日本の国益を考えているしっかりした人物は必要なかったのです。
200%自分たちの言うことを聞いて、金と名誉を与えてコントロールするのです。松方財閥と言われて子供が何十にもいます。これによって、人生を楽しんだはずです。
松方正義の親戚には、牛場友彦や松本重治、戦後のアメリカ大使だったライシャワーの奥様である松方正義のひ孫にあたる松方ハルがいます。これが戦後のアメリカ占領体制にそのままにつながっていくのです。
渋沢栄一も似たような者で、一緒にパリに行ってるのですが、そんなの問題ではありません。松方正義こそ日本を戦前に国際金融資本のロスチャイルド家とズブズブの関係にし植民地化した張本人です。
これは歴史の真実であって、全否定しているのではありません。善悪を評しているのでもありません。これだけ大事な話が埋もれているのです。この人を表に出さないということが歴史のレンズを歪曲しているのです。
明治の元勲たちは、自分たちが国際金融資本の下請けであることが分かっていたはずです。そこから日英同盟が解消されて、第一次世界大戦後の満州事変が起こるまでは、孫請けから下請けに上がって、元請けの近くになろうと思っての流れだったのです。
(1921年(大正10年) – 日本とイギリス、アメリカ合衆国、フランスとの四カ国条約により日英同盟の廃止を決定する)
条約改正が成功して、治外法権と関税自主権を取り戻したのは素晴らしいことでした。有色人種でこんな階段を登ることができたのは他にはないのです。
これで半独立まで持って行ったわけです。半独立まで来たところで、英米特にその背後の金融資本が「日本はちょっと生意気だ!」と思ったのです。
その風向きを感じて陸軍などが、日本は半独立からまた彼らに従属するのではなくて、独立に向けて動かなければならないということで満州事変に進んで行ったのです。そのためそれで彼らとの対立構図に向かってしまいました。
構図的にはソ連を育てたのは、国際金融資本であり、今の中共も国際金融資本の力です。日本も同じようにやられたのです。
参考文献:ユーチューブ、【林千勝先生登場vol1】「東京裁判と明治維新の虚構を暴く!」
<https://www.youtube.com/watch?v=EIgP9ftTEsY>アクセス日:2021年4月3日
紹介欄
日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは── 単行本