この記事の要約
日本は二つの国から成り立っていた古代アラハバキ王国の謎があります。偽書と評価される東日流外三郡誌の中から邪馬台国と対等していた国が存在していました。そのことを裏付ける内容として東日本には土地が肥沃な日高見国が存在していたことが載っているのです。
1. アラハバキとは
アラハバキとは神様の名前です。日本書紀と古事記には、その神様が出て来ません。神様は、日本書紀と古事記に限定されています。アラハバキとは、何の神様なのかがよく理解されていません。
民俗学者の泰斗(たいと:世間から重んぜられる権威者、その道の大家)である柳田邦男先生が調べたのですが、アラハバキの神については分からないとのことでした。これについては、サジを投げてしまっています。どこから来た神様なのかも分かりません。
アラハバキという名を冠した神社はたくさんあります。東日本の宮城県多賀城市に、アラハバキ神社があります。末社とか摂社みたいな境内の中に祠(ほこら)になっていることもあります。アラハバキ神社は結構あるのです。
アラハバキもなまったり転嫁して、洗磯崎神社(あらいそざきじんじゃ:青森県五所川原市)もアラハバキに入るのです。
おそらく地名もそうですが、茨城には荒川沖という地名があります。あれはアラハバキに発音が似ていますので、その類なのではないかという気がします。
そうなると、秋葉原も入ります。茨城県には大洗に、大洗磯崎神社がありますが、それもその一つになるのでしょう。
大洗といえばガルパンの聖地です。ガルパンをご存知でしょうか?(ガールズ&パンツァー)戦車のアニメです。最後温泉に入っていくようですが。
2. 東日流外三郡誌
アラハバキとは一体、何なのでしょうか?この神様についてはっきり書いてあるのが、「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」なのです。
これは民族書、歴史書、風物誌、ただし古史古伝と呼ばれる中では学実的には偽書です。後世の人が勝手に書いたという扱いをされているものです。
本当の歴史書ではない評価を受けています。内容は東の日の流れると書いて東日流(つがる)と呼びます。青森県の西側の津軽半島の古代史です。
そこには十三湖という湖(海水と淡水が混合した汽水湖で、ヤマトシジミの生息する自然豊かな湖)があります。そこに栄えた古代王国の物語であり歴史なのです。
3. 和田喜八郎氏
青森県西部に所在する五所川原市に、文書を継承し保管し世に出したのが和田家なのです。和田喜八郎という人物は、実は、曲者なのです。東日流外三郡誌が、自宅の屋根裏から出て来たという話になっています。
おそらく東日流外三郡誌は、和田喜八郎が偽造したというのがほぼ、定説になっています。
和田喜八郎は、大学まで行っていないのに、偽書と言われる内容でと言っても、そこまで書けるのだろうか、全部創作することができたのだろうかということが疑問になっています。
それだけ内容はしっかりしているのでしょうか。ビックバンとか進化論について書かれてるところもあります。ビックバンとはっきり書いてありませんが大きな爆発と書いてります。
古代には、こんなカタカナ文字が書かれていたのでしょうかと思わせるものもあります。
擁護する方は、これは近代になって見聞きしたものであり、当然ながら、ビックバンという考え方は、発表される前にあったということなのです。
最近も文庫本で斎藤さんがけちょんけちょんにこれでもかというくらいに批判されています。
古史古伝の研究者の中でも東日流外三郡誌をここまで書かれたらもう偽書でいいのではないかと思っている人もいます。もうそのくらいこの書は劣勢なのです。
でも信じている方もいらっしゃるのです。和田喜八郎が写本したので紙の質はそんなに古くはないのです。
本人の筆跡なのですが、原本はどこにあるのでしょうか。原本はあると主張しているのですが、あるけど本当に大事なものは、見せられないというのです。そのため大変怪しまれています。
4. 擁護派の古田武彦先生
擁護派では古田武彦先生がいらっしゃいました。
この先生が最後まで擁護していて、原本もこの方によって世に出たのです。原本が出て来たということで擁護派が盛り返して来たのです。(古田武彦は『東日流外三郡誌』の「寛政原本」を発見したと発表)
それに対して筆跡云々と言うけれどどうせ偽書だよと言う反対派がいます。(従来の和田家文書と同じであると主張)
当初関わって来た人たちは、「もういいと、東日流外三郡誌は触らない。その話はもうやめ」ということにしました。
ただ、これを和田喜八郎一人が創作したのかというと、あまりにも分量が多いのと、テーマが多岐に渡るのと、全部創作したには疑問が残るのです。
5. 伝承の取集者
秋田孝季(タカスエ)という人がいろいろな当時の語り部だとか、江戸時代の昔から伝えられて来た話を収集していくのです。
語り部というのは、東北では、霊能者、いわゆる、いたこなのです。(「いたこ」の意味は霊界と人間との間にたって神おろしや死霊の口寄せをする巫女のこと)
いた子だとかごみそ(カミサマ”とも呼ばれていて、イタコと同じく青森の津軽地方を中心に発祥した霊能者のことです。 イタコと違い、口寄せなどの降霊術を行なわないで、生まれながらにして宿っている強力な霊能力を使って、霊を降ろさずとも死者の霊や生き霊を見ることができ、会話をすることが可能なのです)だとか、地元では神様だとか言われているような、一口で言うと霊能者であり、占い師であり、昔のことを語り継いでいる人たちなのです。
それを沢山書いているわけなのです。その中にアラハバキが出てきます。
東北には阿曽辺族(アソベ族)がいて、そこに津保化族(ツボケ族)がやって来てといった様々な抗争の末に、西の方すなわち、中央の方からいわゆる邪馬台国の王様であった安日彦(あびひこ)と長髄彦(ながすねひこ)という兄弟が東北に逃れて来て、そこを統一してアラハバキ王国と名付けたのです。
6. アラハバキ王国の3神
アラハバキ王国の神様は3つあります。大きな主神は天と地と水の神なのです。この三つの神様を総称してアラハバキといいます。
神様の絵が載っているのです。その絵が遮光器土偶です。この辺りは岩手の作家高橋和彦氏がNHKの大河ドラマ、「炎立つ」のなかで遮光器土偶が出てくるのです。
遮光器土偶を祀って「アラハバキの神じゃ」という場面があるようで、大河ドラマに遮光器土偶が出たのです。
アラハバキ神社のような神社では、御祭神は遮光器土偶が祀られているのでしょうか。それはまだ確認がされていませんが遮光器土偶は縄文時代です。縄文後期としても2千数百年前です。
アラハバキという謎の神については、東日流外三郡誌に書いてあるのです。これだけは事実です。
7. 単なる偽書なのか
ただ単に偽書というよりは、中央で抹殺され封印されたような古代史が反映されている可能性があるようです。
本当に東日流外三郡誌は、和田喜八郎以前にあったのかということです。本当に「あるのか」「ないのか」なのです。この一点が問題です。
和田喜八郎は生まれは1927年です。それから7年ほど遡り、1920年に小説があります。空想という小説があります。
これは田山花袋が書きました。その小説の内容が「東北のG湖にかつて失われた帝国があった」とそう記した書物が出て来たのです。
それは登場人物に代々伝わっている宝物であるというのです。それを見ると明らかに東日流外三郡誌なのです。この書物は、和田喜八郎が生まれる前です。小説という手法をとっていますが、田山花袋は何かしら情報を知っていたのではないかと推測されるのです。
プロトタイプ(後での改良を見込んで、その仕事をする大筋として作る最初の模型)の東日流外三郡誌は存在して、そのことを知って、そのことを元にその小説を書いたのではないかと思われています。
これはまだまだ追求論争してもいいテーマです。和田氏が仮に偽物だったとしても、本物はどこかに眠っているのかもしれないということなのです。
そのような理由で、東日流外三郡誌はまだまだ研究する余地があります。東北の青森には日本中央の碑があります。キリストの墓の伝説さえもあるところです。
8. 日高見
東日流外三郡誌によれば、アラハバキ王国は、大和朝廷にも匹敵するくらいの力があり、初代の神武天皇から後の10代の天皇のうちの何人かはアラハバキ族ではないかと言われています。
日本のルーツは、大和ではないのです。ルーツは東北にあるということが書いてあるのです。これもなかなか凄い内容です。
考えても見ると、これは日本書紀では、武内宿禰が越国(こしのくに)、新潟方面に行った時に、ここから東、北の方に非常に土地が肥沃で、人々がたくさん住んでいる国、日高見国があるというのです。日高見という地名は今でも茨城のところにあります。
特に有名なのは、北上川です。北上川というのは、昔、日高見川と呼ばれていました。
北上川にかかる橋には日高見橋があります。日高見は、昔の東北地方の別な名前であったのです。これは学術的にも判明しています。
この日高見王国こそ、実はアラハバキ王国なのです。日高見国というのは、日高見国へ至る道のことを常陸(ひたち)と言います。大雑把に言うと関東から以北は日高見国なのです。
9. 二つの国からなる日本
もっと大雑把に言うと東日本は、日高見国と言う国です。大和ではないのです。
つまり古代において、日本というのは大和朝廷が支配する倭国とアラハバキ王国である日高見国という二つの国があったのです。
考えてみると、天皇陛下の大嘗祭では、大嘗宮を造りますが、二つ造ります。それというのは日本とはもともと二つ国からなっていたという名残なのではないのでしょうか。
これは実際に中国の唐の時代に、そのことが書かれていました。歴史書というのは後の王朝が書きますが、唐の時代の書物に、旧唐書(くとうじょ)と新唐書(しんとうじょ)の二つの書物がありました。この中に、倭国のことが書かれています。
倭国はいつの間にか日本と名乗るようになったというのです。
もともと倭国、すなわち大和と言っていたのに、なぜかある時日本と名乗るようになったのです。
もともと倭国と日本というのは別の国です。これは面白いのですが、旧唐書(くとうじょ)と新唐書(しんとうじょ)が逆になっているのですが、「倭国が日本という国を併合した」、もう一方は、「日本が倭国を併合した」と書いています。いずれにしても統一したという話なのです。
ここまで調べてみると、日本とは「二本、二つあるという意味合いもあるのではないか」と直感が働いてしまいます。
ということは対等合併のような形で、唐の時代には日本という国ができたのです。
10. 日本はどこから来たのか
では日本という国はどこから来たのでしょうか。由来の名前は日高見国にあります。アラハバキ王国の将軍は、日の下将軍と言われていました。だから青森に日本中央、日の本中央という石碑があるのです。
そのような理由で、日本はもともと東北だったのです。青森こそが日本でした。
東日本は、征夷大将軍の権力と指揮官のもとに征服されてしまいました。実際、歴史的に、北海道と沖縄を別にして、日本列島が一つの中央集権によって、完全に統一されたというのは戦国時代以降なのです。
これをもって豊臣秀吉や徳川家康のような権力者の支配によって、国として一つに纏まったのではないかと推測されています。
関ヶ原の戦いは東軍と西軍に分かれました。相撲も東と西があります。両者とも、東が格が上です。ということは、日本という国になったのは、東の勢力が強かったのでしょうか。
11. 卑弥呼と対等していた国
これは一つの説ですが、大和朝廷は、機内にあったのか九州にあったのかは別にして、大和というのは明らかに邪馬台国の継承国なのです。
魏志倭人伝によると邪馬台国の支配者は女王卑弥呼でした。卑弥呼と対等に戦っていた国があります。それが狗奴国と言います。(狗奴国:くぬこく、くなのくに、くなこくは、中国の三国時代の歴史書三国志(西晋の陳寿の作)のうちの魏書の中の魏書東夷伝に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国)
狗奴国の王様は、卑彌弓呼(卑彌弓呼:ひみここ)です。彼は、「魏志倭人伝」に記録される狗奴国の男王、3世紀の倭国(わこく:現在の日本)の人物)
3世紀の時点で邪馬台国と狗奴国があったのです。九州説に基づくと狗奴国は、鹿児島の方になります。
ひょっとしたら、これは東日本のことではないかという説もあります。東海からずっと東日本は狗奴国だった。そう考えるととてもスッキリします。
今も東日本、西日本と二つに分けてしまう習慣があります。それは、東と西で対等していた邪馬台国と狗奴国の名残かもしれませんが、ちょうごフォッサマグナが糸魚川を境にして文化が違います。(フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味)
日本の東と西では、餅も丸かったり四角だったりします。まさに東北日本と西南日本の境目となる地帯の中央地溝帯をもって邪馬台国と狗奴国に分かれていたのではないでしょうか。
それが、大和と日高見国だったのです。そう考えれば、今は京都に対しては東京があります。京都の神道の中心は伊勢神宮で祭神は天照です。
徳川時代の江戸城は江戸幕府があり、そこから先には日光があります。日光東照宮を訓読みすると「アズマテラス」になります。伊勢神宮は「アマテラス」、日光東照宮は「アズマテラス」です。このように綺麗に対応しています。
もともと日本は二つの国からなっていたのです。東日流外三郡誌はこのことを考える資料でもあります。東日流外三郡誌には日高見国などの挿絵がついています。
これは偽書とは言われていますが、偽書の中にどれだけの真実が隠されているかの資料として読み解くとしたら大変価値があります。
どれだけ埋もれてしまった歴史的事実が残っているかを洗い出す作業、研究は引き続き行う価値があるのではないでしょうか。
一説では皇居の中にアラハバキ神社の祠があるという都市伝説もあるくらいです。もともとは江戸城は、そこにアラハバキ神社が祀られていたとしても不思議ではありません。
神社が祠(ほこら:神を祀る小規模な殿舎)になったとしても大切に祀られているのです。
参考文献:YouTube:MUGENJU CHANNEL、「東日流外三郡誌」の謎と超古代アラハバキ王国 MUTube(ムー チューブ) 2019年10月号 #3
URL<ttps://www.youtube.com/watch?v=7SYruH_I9XM>アクセス日:2019年10月17日
まとめ
アラハバキとは神様の名前
東日流外三郡誌は本当の歴史書ではない評価を受けている
アラハバキ王国の神様は3つある
日本のルーツは東北にあった
卑弥呼と対等していた国があった