偽書とされる竹内文書の歴史の真実について

偽書とされる竹内文書の歴史の真実について

偽書とされる竹内文書の歴史の真実について考察して見たくなる内容が多くあります。神武天皇以前の代々天皇の存在が記されているため、神武天皇を皇租とした為政者にとっては、都合が悪い書だったのです。時の権力者によって、弾圧が始まりましたが、文書を継承した竹内家は、命をかけて文献を守り続けました。


古史古伝

古史古伝とは、竹内文書を含む一群の歴史書を指しています。
古史古伝(こしこでん)とは、古代史の主要な史料(日本の場合なら『古事記』や『日本書紀』など)とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称。種類が多い。また超古代文献超古代文書ともいう。なお、古史古伝は今のところ、いずれも学界の主流からは偽書とみなされている。日本の『武功夜話』や『百輪中旧記』などのように中世以後の歴史を記した偽書もあるが、古代の特に古い時代に無関係な文献は古史古伝とは呼ばれない。
ウキペディア
正史とされているのは、古事記・日本書紀です。正統派の歴史書に対して、世人を惑わす似非書物のレッテルを貼られ、アカデミックな学会・学者からは、つまはじきにされてきた書物が、竹内文書です。
竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書天津教文書ともいう)は、古代の文書を装ったとされる偽書。神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。原本が存在する立場からは、後述の裁判に提出されたのちに焼失したと主張される。
にもかかわらず、それらの文書は、心ある人々の手によって連綿と伝えられてきました。

歴史とは勝者の記録

英語で歴史をhistoryと書きます。his sotory なのです。彼の記録。彼とはいったい誰でしょうか。この世の君です。今、この世を支配しているのは誰でしょうか。この世の中には、本当の歴史が教えられていません。勝者にとって、都合がいい記録に改竄されます。
近代の東京裁判を思い出してください。あれが裁判だったでしょうか。勝者の裁きでした。東京大空襲、原爆投下の無差別殺人が裁かれなかったのです。歴史はこの世の君の記録です。

竹内文献

竹内文書とは、越中にあった皇租皇大神宮で代々館長職を世襲している竹内家に伝えられてきた書物です。書物といっても1冊にまとまったものではなく神代から伝わる歴史資料の総称です。
その構成は、天神時代より神武天皇までの神代皇統譜、数十種類を数える神代文字の表太古の世界地図、竹内家の家系図などです。内容は空間的には、宇宙にまで及び、時間的には、宇宙創生から現代に至るほどのスケールの大きなものです。
文書以外にも次のものがあり、それらを総称して竹内文献とも呼びます。
  • ヒヒイロカネで作られた剣と鏡、
  • イスラエル人に対する十戒を刻んだ「表十戒石」、
  • 世界の万人に対する十戒を刻んだ「裏十戒石」、
  • 天空浮舟(あめのうきふね)のひな型など

竹内文書の原点

竹内文書は、神代文字で記されていました。それを皇統第二十五代武烈天皇が命じて、漢字とカタカナ混じり文に書き直したものです。
武烈天皇は、日本の第25代天皇。 名は小泊瀬稚鷦鷯尊・小泊瀬稚鷦鷯天皇、小長谷若雀命。漢風諡号である「武烈天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。暴君として伝えられているが、実在した人物かどうかについては議論がある。 ウィキペディア
ことに当たったのは竹内宿禰の孫である平群真鳥(へぐりのまとり)でした。
平群 真鳥(へぐり の まとり、生年不詳 – 498年)は、雄略・清寧・顕宗・仁賢朝の大臣。父は平群木菟。子に平群鮪がいる。 概要[編集]. 雄略天皇の御世に大臣となり、平群氏の全盛期を迎えさせる。 ウキペディア
竹内文書に記された皇統は天神七代、上古二十五代、不合朝(ふきあえずちょう)七十三代、そして現在の天皇につながる神武天皇を開祖とする神倭朝(かんやまとちょう)です。
天神七代
記紀神話で、国常立尊くにのとこたちのみことより伊弉諾尊いざなきのみこと・伊弉冉尊いざなみのみことに至る七代の時代、また、その神々の総称。 伊勢神道の説で、地神ちじん五代(天照大神あまてらすおおみかみより鸕鷀草葺不合尊うがやふきあえずのみことに至る五代)に対していう。コトバンク

上古二十五代

初代神武天皇から第25代武烈天皇までの天皇在位年と西暦との対照表を一覧する。

全て、『古事記』『日本書紀』の(神話的)記述を源に暦を「復元」した日本長暦にもとづくものであり、考古学的な史実ではない。 ウキペディア

「竹内文献」では「不合朝」(あえずちょう)とよび、「富士宮下文書」では「宇家潤不二合須国世」(うがやふじあわすのくにのよ)などという。 ウキペディア
神武天皇以前の代々天皇の存在が記されているため、神武天皇を皇租とした為政者にとっては、都合が悪い書だったのです。時の権力者によって、弾圧が始まりましたが、文書を継承した竹内家は、命をかけて文献を守り続けました。
何人もの神主が、弾圧のために命を落とした記録もあるのです。古いものではコウゾ、ミツマタなどを原料にした動物のなめし皮のように見える丈夫な和紙に、漆で書かれ上から樹脂を塗って補強した物があります。
それを巻物状にし、油紙で包み銅管に入れたものを、さらに大きな壺や甕に収めて地中に埋めるという手の込んだ方法で保管してきました。
湿った土の中に長い間埋め他状態では、カビやシミによってダメージを受けてしまいます。そこで、時々、虫干しを行い数代ごとに書き改めながら保存してきました。ところが、この書き改めの作業が仇となり後世に作られた偽書呼ばわりの基となってしまいました。

竹内文書世に出る

竹内文書を再び世に出したのは養子として竹内家に入った竹内巨麿(たけうちきよまろ/たけのうちきよまろ)氏でした。氏は越中にあった皇租皇大神宮を茨城県北茨城市に移転復興したのです。これが、皇祖皇太神宮天津教(こうそこうたいじんぐうあまつきょう)の成立です。
皇祖皇太神宮天津教(こうそ こうたいじんぐう あまつ-きょう)とは、昭和前期に強勢を誇った御嶽教系の流れをくむ宗教団体である。茨城県北茨城市磯原にあります。ウキペディア
昭和3年、信仰の中心とするべく代々秘蔵されてきた御神宝や竹内文書を含む古文書類の公開に踏み切ったのです。ここで問題が起こりました。公開された御神宝や古文書類が皇祖神を祀る伊勢皇大神宮に対して、不敬に当たるとされ昭和11年4月竹内氏は起訴されました。昭和17年3月、水戸地方裁判所は有罪の判決を下し、裁判は東京控訴院(現東京高等裁判所)に持ち込まれます。
昭和18年1月、東京控訴院でも竹内氏側の敗訴の判決が下ります。しかし昭和19年12月大審院(現最高裁判所)にまで持ち込まれた裁判では、一転竹内氏と神宮側に無罪の判決を下しました。理由は、「この案件は裁判所の司法の権限を超えた宗教上の問題である」とのことでした。
科学的に証明できない宗教上の問題は、裁判では解決できません。この時、竹内氏側から提出された趣意書の中に大審院をもってしても「不敬である」と断ずるには、ためらうものが含まれていたのです。
それは皇祖皇太神宮が提出した。「神宮神祠不敬被告事件上告趣意書」で御神宝含む竹内文書の研究と史跡などの現地調査報告書でした。
大審院を黙らせたものは、神武天皇以前の神朝の存在です。天神七代、神古二十五代、不合朝七十三代、この3つの神朝が神倭朝(かんやまとちょう)の前に存在したことが竹内文書には語られています。
大審院はこれを不敬であると断じ切れなかったのです。現在の朝廷以前の存在を認めるわけにはいかないが、もし本当に存在した場合それを否定してしまうのは、それこそ不敬どころでは済まない話になるのです。
宗教上の話は、司法の権限を超えています。逃げたようにも思えますが、司法では裁きようがありません。

創造神にして現宇宙

竹内文書によりますと、天神七代の初代(元始神)(元無極體主王御神(もとふみくらいみぬしおおかみ))この御方が全ての始まりです。原宇宙(混沌)の創造神にして、現宇宙そのものでありました。
天地身一大神(あめつちまひとつのおおかみ)とも、神隋南無天地人(かんながらなむあもん)と名乗られます。
三代天地分主大神(あめつちわかれのしのおおかみ)の時、天地分離がなされました。現在の宇宙の原型がほぼ、出来上がったのです。七代、この代は二期に分かれますが、この時にそれまで住まわれていた天日国(あめのひのくに宇宙にありました)より皇孫の地球降臨のことがありました。
2期目の親神の皇太子、天日豊本葦牙気皇主身光大神(あめひのもとあしかびきみのしみひかりおおかみ)が諸神を従えて天元根国(あめのむとねのくに、(地球のこと))の、天越根国(あめのこしねのくに、(日本のこと))に降臨された神古初代天皇となられました。
この天皇は、日本だけでなく、地球全てを治められる存在として降臨されたのです。

神古二十五代

飛騨山脈の位山に天下った初代より二十五代までの世を言います。
初代一世天皇は多くの皇子や皇女を地球の各地に遣わされました。この時代地球的規模の異変が数多く起こり、人の肌色に違いが生じましたそれまでは黄人だけでしたが青人、赤人、黒人、白人に分かれたのです。これは五色人(いいろひと)の発生です。
ただし肌の色による差別などは一切ありませんでした。人々は不死に近い長寿を保ち平和な暮らしを楽しみました。
二十五代の中で四代
天之御中主天皇(あめのみなかぬしのすめらみこと)傑出した方でした。万国の祭り元の規範を定め産業を興し文字の制定と量衡の確定などを計られました。
不合朝七十三代鸕鶿草葺不合身光天津日嗣天日天皇(うがやふきあえずのみことみひかりあまつひつぎあめひすめらみこと)は、文字を新しく制定されました。
四代即位後5年、大天変地異が起こり天地泥の海となり常世の五色人、皆かみ去りますという事態が生じます。天皇は万国巡視を行われ各国に鎮台を置き、治安回復に努められています。
この後20第57代の時にも天変地異は起きその都度天皇は復興に努められますが次第に国勢は傾いていきます。天皇の代が下るにつれ神性は薄らぎ、神徳も衰えていくのは仕方のないことなのです。そして不合朝七十三代の時、神朝は終わり、人朝、神倭朝へと歴史は引き継がれます。

竹内文書の予言

竹内文書には、大事なことが書かれています。それは6500年後の地球は荒れ果て、人類が紛争や化学物質の乱用で存亡の危機に陥った時に、もう一度、天神が天降られ、五色人の世からやり直されるというものです。
最初、天元根国にやってこられた頃は人の数も少なく、天皇は直接統治をされていました。しかしながら、人の数も増えてくれば次第に目の届かないところも出てきました。そこで、民王(人間の中から選ばれた王)を任命し、地球各地の支配を任せられたのでした。
時の流れはいつも変化していきます。最初は良い状態でも、次第に、箍(たが)が緩み始めます。締め直ししても繕いきれなくなった時には、再び天から神の降臨が起こるのです。
たがが緩むの語源・由来】 たがが緩むの「たが」とは、竹などを裂いて編んだ輪のことで、桶や樽などの周囲にはめ、堅く締めかためるために用いられる。 このたがが緩むと、胴がバラバラに分解されてしまうことに喩え、感覚が鈍ったり、気持ちや規律が緩むことを「たがが緩む」と言うようになった。言語由来辞典

参考文献:YouTube:竹内文書の真実と予言について


まとめ

古史古伝は、古代史の主要な史料(『古事記』や『日本書紀』など)とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称。

竹内文書とは、越中にあった皇租皇大神宮で代々館長職を世襲している竹内家に伝えられてきた書物。

竹内文書は、神代文字で記されていました。それを皇統第二十五代武烈天皇が命じて、漢字とカタカナ混じり文に書き直したもの。

神武天皇以前の代々天皇の存在が記されているため、神武天皇を皇租とした為政者にとっては、都合が悪い書だった。

竹内氏と神宮側に無罪の判決を下しました。理由は、「この案件は裁判所の司法の権限を超えた宗教上の問題である」とのことで。

6500年後の地球は荒れ果て、人類が紛争や化学物質の乱用で存亡の危機に陥った時に天神が天降られ、五色人の世からやり直される。


Amazonの紹介欄

超図解 竹内文書―地球3000億年の記憶 (超知ライブラリー) 

古事記の宇宙 (青林堂ビジュアル) Kindle版

偽書とされる竹内文書の歴史の真実について
最新情報をチェックしよう!
>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG