日本人がインカ帝国を築いた

日本人がインカ帝国を築いた

この記事の概要

日本人がインカ帝国を築いたのです。地元のインカの人々はケチュア語を使いますが、王族の言葉は違います。インカというと古代をイメージしてしまうので2000年以上も昔に思えてしまいますが、日本では鎌倉時代に相当します。蒙古襲来の時に船が難破して流されてしまいました。その何隻かを奪い取って万人を率いる武将が南米に行って王となったのです。


「インカ帝国を築いたのは日本人だった」というのは、日本ではあまり知られていない様です。

インカは、太陽神と関わりがあります。日本も同様に太陽神天照大神を祀っています。インカと太陽の崇拝には多くの寺院があります。建築や祭りなど、インカの生活の多くの側面に影響を与えました。また黄金の国です。ジパングも黄金の国と言われました。

クスコに住んでいるペルーの人に聞くとインカ帝国、特に王家は日本人という噂がありますが事実だそうです。インカ帝国の王様は日本人です。これはペルー人の常識です。特にインカ帝国の支配層、王族は、日本人なのです。

貴族の人たちの言葉はインカの言葉ではありません。言語が違います。インカの方々は、ケチュア語を使います。王族の言葉とは全く違います。王族がつけた地名とか名前は、ケチュア語では全然意味を成しません。違う言語体系だからです。

例えば、チチカカ湖です。これはケチュア語では意味がありません。意味を分析できないのです。日本語では意味を解析できます。チチカカ湖は父と母の湖です。チチカカ湖から人類が生まれた伝説もあります。日本にあるイザナギ・イザナミみたいなものです。


インカ帝国の時代

インカというと古代をイメージしてしまうので2000年以上も昔に思えてしまいますが、日本でいうところの鎌倉時代に相当します。

鎌倉時代であれば、海を渡って行けそうです。蒙古襲来の時に船が難破して流されてしまいました。その何隻かを奪い取って南米に行った様なのです。

インカの初代王様の名前は、マンコ・カパックと言います。このマンコとは、数字の万を意味しています。蒙古襲来時において、一個師団などの軍団の中に千個の将、万個の将がいました。万人を率いる武将の肩書の様なものでした。

黒潮反流に乗って実際に1年半で行けるのです。これはペルーでは常識です。ペルーの常識、日本の都市伝説とも言われています。

黒潮反流は、日本の沿岸に沿って東ないし北東に流れる黒潮の沖側に、逆の西ないし南西に向かう幅の広い弱い流れがあります。海洋中にある 種々の中規模の渦のため、海水は常に一方向に流れるとは限らず、連続した流れというよりは、平均場に現れる海流です。黒潮の沖側の縁にある時計周 りの渦の南西に向かう部分も黒潮反流の一部を構成しています。

駐日ペルー大使は、「インカの王族は日本人である」と、本まで書いています。有名な本がありそれをみんな読んでいます。その本のタイトルがマンコ・カパックなのです。

大使であるフランシスコ・ロワイヤサさんの説によると、マンコとは、眼(まなこ)のことです。カパックとは、河童のことなのです。

駐日ペルー大使の方が書いた本の表紙が、目のカッパと書いてあります。河童が好きであったのか、もしくは、関白であったのかです。関白とは五摂家の中でも最高位です。(関白:関白(かんぱく)は、成人の天皇を補佐する官職です。令外官であり、また、実質上の公家の最高位でした。)

ペルーに渡った武将は、王様だったのか、関白であったとしたらどの様な目的を持っていったのでしょうか。自ら行ったのか流されたのかは分かっていません。

インカの子孫の伝説によりますと、海岸線に漂着し、上陸して、内陸部に街をつくって進みました。インカ帝国であるクスコの様な街を形成しました。そのため、相当な人数がいた様です。それであれば、意図して行ったとしか考えられません。

インカ帝国のミイラ

インカ帝国ではミイラが発見されています。一般人のミイラを分析したところ、遺伝子的には、地球上で一番近いのは縄文人です。

ということは縄文時代から南米に日本から行っているのです。さらにはアイヌの方にも似ていると言われています。熊襲(クマソ)とか隼人とか言われた人にも近いらしいのです。

ペルーの人に、「インカの人は日本人なんでしょう?」と聞いたら「そうだよ」と回答がきます。日本から来た人々には徳があったのでしょう。

始祖の方々というのは文化を教えたという話があります。それが創造神のビラコチャに硬くされているのではないかととてもいい人だったのでしょう。(ビラコチャとはインカ帝国でスペインによる侵略とキリスト教の布教がされるまで信仰されていた神)

インカには文字がなかったとも言われています。文字がないと言われていながらも石に刻まれたものが見つかっています。

キープは、藁を結んで文字がわりにしました。これは、日本の縄文以来の文化にあるのです。昔の日本人は、縄とか数字とか、今でも沖縄与那国の方では、藁算というのが残っています。(古代ペルー(インカ帝国)のキープquipuと沖縄の藁算(わらざん))

間違いなくインカの王様は日本人です。ペルーのどこかの集落は、明らかに日本人で、日本人の名前を持っている人がいます。平家の様に平のなんとかという人です。結構、昔から南米に行っているのです。王族と一般人と混じり合って、三種の神器もあるかもしれません。


参考文献:ユーチューブ、インカ帝国を築いたのは日本人だった!! MUTube(ムー チューブ) 2021年9月号 #5

<https://www.youtube.com/watch?v=tHOgx8prjxs>アクセス日:2021年8月25日


紹介欄

興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯

 

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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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