ハルマゲドンの予言よりも自分の死が一大事

ハルマゲドンの予言よりも自分の死が一大事

この記事の概要

ハルマゲドンの予言よりも自分の死が一大事なのです。 自分が死んだら、自分にとっての世界はもう終わりです。自分が死んだら今生というこの世は二度と戻れなくなるわけです。自分と世界の終わりは自分が死ぬということです 。「カウントダウンが始まった。皆さん、終末の時は近いですよ」と、そんな悠長なものではなくて、自分の死は、いつ起きるかわからないのです。


一番の大事は己の死

様々な宗教家が「終末は近い、カウントダウンが始まった」と言います。ところが、仏教思想にとって、ハルマゲドンとか終末論は、全く問題にしません。

人間にとっての一番の問題は己の死です。これを生死の一大事と言います。人生の一大事というのは生きてる人間が死ぬことです。これほどの大問題はありません。

一番の大問題は死です。己が死ぬほどの大問題はありません。 自分が死んだら、自分にとっての世界はもう終わりです。自分が死んだら今生というこの世は二度と戻れなくなるわけです。

ちょうど夢を見ている人は、夢から覚めたら夢の中の登場人物や夢の中の景色は全部なくなってしまいます。今、私が生きているこの世界は、少なくとも自分にとっては、あったのか、なかったのか、証明できない世界になります。

そのような点から言うと、死を直面する本人にとっては、全ての終わりの時、終末の時なのです。自分にとっては、親とも子供とも上司とも部下とも今まで 接してきた人もみんな死ぬと二度と会えないのです。

その瞬間に、永遠にそこで関係は立ち切られるのです。この世は死を持って自分にとっては遠い過去になってしまうわけです。二度と戻れない昔になってしまうのです。

それは、現実だったかどうかさえも分からないということになります。そして、死んで一体どこへ行くのか。どこへ行くのかというのは、そのどっちでもいいと思っていた。その世界こそが今度の現実になってくわけです。

だから何が問題かと言うと終末とか、ハルマゲドンじゃないのです。自分が死ぬということが問題なのです。終末にどうなるかどんな大津波がやってくるかとかそんなことを問題にするよりも考えてみてください。

香港で大きなビル火災があって何百人の人が亡くなられました。当事者にとっては、世界の終わりのような惨事でした。また、大津波がやってきて家ごと丸のみして自分の命もその時を持って「もう世界の終わりだ」と当事者は感じたと思います。

自分と世界の終わりは自分が死ぬということです 。「カウントダウンが始まった。皆さん、終末の時は近いですよ」と、そんな悠長なものではなくて、自分の死は、いつ起きるかわからないのです。

カウントダウンどころか、もうこの吐いた息が吸えなくなった瞬間に私たちは死ぬかもしれなません。吐いた息が吸えなかったら待ったなしで死にます。「あと2年、3年のカウントダウンですよ」なんて言っている余裕もありません。

これは、「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」。これは、親鸞聖人が9歳の時、得度を願う際に詠んだとされる歌で、「明日見ればいい」と先延ばしにすると、桜が嵐で散ってしまうように、人生の機会や命も無常ではかなく失われるから、今を大切に仏道に励むべきだ、という「諸行無常」の教えを説く言葉のようです。

「明日がある」と思ってずっと生きていますが、それは 当てになりますか。ちょうど桜の花が満開に咲き誇っていても夜中に吹く一吹きの 嵐で散ってしまうように、人間の命も無常の嵐が吹いたならば、突然死がやってきたならば、その時を持って終わるのです。


あと一週間の命をどう過ごしますか

「何のために 私たちはこの世に今人間として生まれてきたのか、何のために生きているのか」と言う人生究極の問に対して、そこに答えを見い出すヒントをフランスの哲学者パスカルは、「あと一週間の命となったら何をしますか?」と問うています。

「あと一週間しか生きられないとなったら何をしますか?」と言われた時に、そうなったら、やりたくないことを我慢することがないと思います。

本当にやりたいこと、つまらない人と話を合わせて歩調を合わせて我慢して鼻つまんで 生きてきたという人もです。あと一週間の命となったら、「こんなことやっていられるか。本当に生きたと言えるものをやりたい」と。

本当に会いたい人と会いたいし、 本当に聞きたいことを聞きたいし、本当に知りたいことを知りたい。「あと一週間の命となったら」という風になるでしょう。

死を真面目に見つめることは、いたずらに暗く沈むことではありません。今日はあって明日なき命。いや、それどころか吸った息が吐けなくなったら死ぬ時なのです。

今の人生を限りなく明るくする最初の第一歩が、死を見つめるということが、生死の一大事ということと、「終末の日は近い」、カウントダウンが始まったというような キリスト教などとはこれ大きな違いです。


参考文献:ユーチューブ、世界の終末・ハルマゲドンを仏教から語る

URL< https://www.youtube.com/watch?v=5B3mM8mRSwI>アクセス日:2025年12月20日


まとめ

様々な宗教家が「終末は近い、カウントダウンが始まった」と言います。ところが、仏教思想にとって、ハルマゲドンとか終末論は、全く問題にしない。

「何のために 私たちはこの世に今人間として生まれてきたのか、何のために生きているのか」と言う人生究極の問に対して、そこに答えを見い出すヒントをフランスの哲学者パスカルは、「あと一週間の命となったら何をしますか?」と問うている。


紹介欄

親鸞に秘められた古寺・生涯の謎 宗祖聖人と辿る旧跡と浄土真宗

歎異抄 (岩波文庫 青318-2)

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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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