禁断の書宮下文書は徐福が書いた

禁断の書宮下文書は徐福が書いた

この記事の概要

禁断の書宮下文書は徐福が書いたとされる説があります。漢字を知っている徐福は富士王朝と交流して歴史を描いたと言う見方もあるのです。宮下文書は、もう一つ高天原に関する概念があります。越えてきた海(あま)を天と読み替えて物語を作ったとされています。高天原は中央アジアにあるタガーマ・ハランなのです。


宮下文書

宮下文書は、偽書と言われています。アカデミズムの世界において、宮下文書は、後世の人間が作ったものであって本当のことが述べられていないと言われているのです。

古史古伝のトップは竹内文書であり、古事記と日本書紀とは違う内容が記載されているのが偽書と扱われている最大の理由です。ところが、古事記と日本書紀自体も神武天皇以前の食い違いが沢山あります。

神様の名前もたくさんあります。そのような意味では、日本の記紀と古史古伝を同列に扱ってもいいのではないでしょうか。

古史古伝はそれぞれ全く違うはずですが、共通したものがあるのでつながってきます。初代天皇の神武天皇の父は、ウガヤフキアエズです。古史古伝によっては、神武以前に何代か続いた王朝の始祖とされています。(鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと、うがやふきあえずのみこと)は、日本神話の神。地神五代の5代目、日向三代の3代目。神武天皇の父。)

ウガヤフキアエズは一人とされています。ところが、ウガヤフキエズは、本当は70何人いるとか、50何人続いたと言われています。いわゆるウガヤフキアエズ王朝があったと語るのが、竹内文書、ウエツフミ、九鬼文書、それから宮下文書です。、共通している点があると言うのは、同じ資料をもとに書かれていると言うことなのです。


他の古史古伝との違いは高天原にある

竹内文書などの古史古伝と宮下文書の違いは、高天原にあります。高天原とは神々が住んでいる世界です。古事記や日本書紀では、上からの世界観から言うと、天空の上にあってそこから地上に降りてくることを降臨と言います。これが天孫降臨です。降臨するということは、上に存在していたことを意味します。

しかしながら、宮下文書の場合には、もう一つ高天原に関する概念があります。神話の話を現実の歴史として解釈しようとする時に、唯物論的な歴史観からすると神話に出てくる高天原は、朝鮮半島です。

そこから海を越えて渡来した話なのです。越えてきた海(あま)を天と読み替えて物語を作ったとされています。まさに北から南下したのです。上から下って来たと言うことです。


高天原は西アジアにあった

特に韓国の学者は、日本の島々における神々は全部朝鮮半島から来たと述べるくらいです。そのような概念の一つとして宮下文書の場合には、天上の世界の神々を高天原と認めつつも、もう一つは、ユーラシア大陸の向こうにある中央アジアかつ西アジアに高天原があり、そこから日本にやって来たと書いています。

これは非常に特徴的です。他の古史古伝にはありません。つまりシルクロードを通って神々は、日本列島にやって来て、大和朝廷と富士王朝を作ったと言う主張なのです。

シルクロード史観みたいな言い方をする人もいますが、明確に渡来人の歴史、しかも渡来人は朝鮮半島だけではなく、中国をさらに超えた西アジアから来ているのです。


タガーマ・ハラン

まさに日ユ同祖論的な神話構造になっています。しかしながら、ユダヤと言う言葉は出て来ません。高天原の場所を特定するにはさまざまな条件があります。

そこがシベリアの地域にあるのかもしれません。または、中国、インドよりも西の中央アジアもしくは西アジアであろうとされています。高天原と特定する条件とは何なのでしょうか。

日ユ同祖論の研究家小谷部善一郎氏は、高天原はタガーマ・ハランだと述べています。これはタガーマと言う地名があるのです。中央アジアのアルメニアにハランと言うところがあります。

ちなみにハラン出身は、旧約聖書に登場してくるアブラハムです。それゆえに、タガーマ州にあるハランなのです。そこが高天原です。確かに中央アジアであり、アルメニアはノアの方舟が到着したアララテ山があるところです。


蓬莱山(理想郷)を探し求めて

宮下文書によると、中央アジアのその場所に王朝があり、王朝が何代か続いていた時に、その王様が東の方に蓬莱山(理想郷)があると言います。そこに行って新たに国を作ろうと言う決意をするのです。

息子たちが何人かいました。その中で優秀な息子が2人おり、王様は、年上の兄に「東の蓬莱山をとって来るように」とミッションを伝えたのです。

「分かりました」と言って、長男は、兵隊を連れて行きました。行ったはいいのですが、帰って来ません。そこで弟の方を呼びつけて、「兄が戻って来ないので、東に行くように」と言いました。

そこで弟は、「お父さんも一緒に行きましょう」と言うのです。そこで次男と父が旅立ちましたが、後から行った弟たちの方が先に日本列島に辿りつたのです。


富士王朝

最初に出発した長男は、シルクロードの北陸路の方を回って行ったのです。その北陸路のあたりは、様々な国があり、色々な抗争があるために問題解決して進まなければなりませんでした。

一方で南の方は海路で行けたので、後から出たにも関わらず先に着いてしまったのです。先に日本列島に来て、蓬莱山と思っていた静岡の富士山を見てここに都を作る決心をしました。

宮下文書では、富士山の麓のところから富士王朝が発見されました。遅れて兄が来て、九州から畿内に入ります。これが大和朝廷に発展したのです。

富士山の辺りにいた弟たちの勢力も後から来て機内のあたりが大和になったのです。遅れて西日本を抑えて、再会するのです。大和朝廷と富士王朝が並立することになります。


富士山の噴火

ところが、ウガヤフキアエズ朝の時に、富士山が噴火し、だんだん衰退してしまいました。 最後には、藤原不比等によって、政治的に封印したのではないかと陰謀論が出て来ました。

いわゆる古事記・日本書紀で言うところの孝霊天皇の時代に、中国大陸から徐福がやって来ました。徐福は、富士王朝のところに来て交流して、また帰ります。その理由で、宮下文書を書いたのは、漢字知っている徐福が歴史を描いたと言う見方もあるのです。

言ってみれば徐福文献という言い方もします。今でも、富士山周辺行くと、徐福にまつわる神社があります。徐福は、不老不死の薬を求めて秦の始皇帝から派遣され旅立った一行の代表者です。紀元前3世紀後半です。


URL<https://www.youtube.com/watch?v=_gsIx0CTcj8>アクセス日:2024年3月8日


まとめ

  • 宮下文書の存在により、日本の古代史に関する見解が変化しており、古事記や日本書紀とは異なる内容が記されている。
  • 宮下文書では、「ウガヤ朝」という王朝の概念が言及され、日本の神話的な起源や王朝の歴史が記されている。
  • 宮下文書には、高天原という神々の居住地としての概念があり、ユーラシア大陸から日本列島へ神々が渡ってきたという主張がある。
  • シルクロードを通じて、渡来人が日本に渡り、大和朝廷や富士王朝を築いたという説がある。
  • 宮下文書には、藤原 不比等の政治的な封印や陰謀論が述べられており、古事記や日本書紀では語られていない要素が含まれている。

紹介欄

日本とユダヤの古代史&世界史 – 縄文・神話から続く日本建国の真実

正統竹内文書「武内宿禰が語る宮下文書」第七十三世武内宿禰と行く日本全国秘授口伝ツアーVol.2静岡県・富士山本宮浅間神社

 

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