この記事の概要
磔刑になった聖十字架が日本に持ち込まれていたのです。八坂神社や稲荷神社が日本で一番多いことが原始キリスト教を持ち込んだ秦氏が実在していたことの状況証拠です。彼らはエルサレムから消えてシルクロードを通って朝鮮半島を経由し大量のユダヤ人として日本に来た際に血染めのキリストの十字架を持ち込んでいました。
秦氏とは
キリスト教が日本に伝わるずっと以前から、秦氏という一族によってキリストの教えなどは、日本に持ち込まれていました。秦氏とは日本にとってどのような存在なのでしょうか。
邪馬台国があった時代の後ぐらいの時代です。3世紀から5世紀にかけてです。大陸や主に朝鮮半島を経由して、大量の渡来人がやって来ました。その人数とは、千人、2千人単位ではなく、何十万人という人々が一気に日本列島へやって来たのです。
その後、日本の文化の基礎を築いた人物こそが秦氏でした。秦の始皇帝の秦と書いて秦氏と呼びます。戦国大名で言うところの、「長宗我部元親」や「島津」もそうです。島津家は源氏と言っていますが、源氏ではありません。秦氏なのです。関東の武士でも「神保」や「高橋」も秦氏です。
特に得意だったのが絹織物でした。絹や織物などを税の代わりとして納めていました。
絹といえばシルクロードです。このシルクロードをさらに遡っていくとなんと朝鮮半島から中国、さらにはインドの方まで行き、最後はエルサレムへ辿り着きます。その為、秦氏はユダヤ人だったと言われていますが、これは、ほぼ確定しています。秦氏は、元々は秦の始皇帝の秦なのです。
ユダヤ人と言ったら白人だと思いますが、白人ではありません。白人はコーカソイドです。ユダヤ人は、アラブ人と同じです。だからモンゴロイドに近いのです。
どうしても日本人は、イラン人とアラブ人の見分けがつきません。イラン人は白人のコーカソイドです。アラブ人はユダヤ人と同じセム系モンゴロイドです。
いわゆる本当のユダヤ人が中東系の白人ではないユダヤ人が、シルクロードを辿って最終的に日本に来たのです。
その証拠がたくさんあります。それらは神社やお寺などにも見られます。あまりにも当たり前すぎて、みんな気づかないのです。秦氏はただのユダヤ人ではなく原始キリスト教徒でもありました。
ユダヤ人について知ったつもりの人がよくこのように言います。「ユダヤ人というのはユダヤ教徒のことであって、民族の名前じゃないよ」と。
ここで言われているのは民族のユダヤ人であり、ユダヤ人とは、血統のユダヤ人を表しています。もし、ユダヤ教徒=ユダヤ人だとしたら、ユダヤ人のキリスト教はおかしくなります。
原始キリスト教は残っていない
まさにユダヤ人キリスト教徒は、ユダヤ人でありながら、原始キリスト教徒なのです。重要なのは、2,000年前にキリストが直接解いた教えである原始キリスト教は残っていないのです。
「いやそんなことはない!」と反論する人がいます。「カトリックがある」、「ロシア正教会がある」、「ギリシャ正教会がある」、「プロテスタントがある」と言いますが、これは全然違います。
イエス・キリストの弟子は十二使徒と呼ばれました。彼らは全員ユダヤ人です。イエス自身もユダヤ人です。母マリアもユダヤ人です。父は聖霊によって身籠ったので父なる神です。
戸籍上の父ヨセフもユダヤ人です。その為原始キリスト教とは、全員がユダヤ人なのです。ルカによる福音書の著者ルカは、医者ですが、ギリシャ人キリスト教徒です。ルカが付き添っていたバリバリのパウロはユダヤ人です。パウロはヨーロッパに伝道します。それが後々のカトリック教になります。
エルサレムにずっと残っていた人々がいます。エルサレムに残っていた人々は、ほぼ全員がユダヤ人でした。ユダヤ人の風習を守ってエルサレムにいたのですが、イエス・キリストの死後、紀元66年です。イエスが死んだのが紀元33年ですから30年以上経った時に、ユダヤ人とローマ帝国による戦争が勃発しました。
ユダヤ人がローマ帝国に対して蜂起したのです。当然ながらボッコボッコにやられてしまいました。最後は集団自決して世界中に散って行ったのです。
戦争が勃発する直前に、エルサレムにいたユダヤ人原始キリスト教徒は、エルサレムから消えます。エルサレムにあるヨルダン側の東側は、当時はパルティアと呼ばれていまし。ここのペラという街に移住します。(通りで法隆寺付近から見つかる言葉がペルシャ語であれば理解できる内容とは、彼らがイランから日本に渡来して来た証拠なのでしょう。)
パルティアは、古代イランの王朝。王朝の名前からアルサケス朝とも呼ばれ、日本語ではしばしばアルサケス朝パルティアという名前でも表記される。古代中国では安息と呼称された。
ウキペディア:最終更新 2022年2月19日 (土) 21:18
そこに原始キリスト教の教会が建ったとか建たないとかの痕跡はありますが、その後、行方不明になるのです。
彼らが戻って来て後に、初代カトリック教会が出来たとされます。しかしながら、戻って来るわけがありません。戦争があって、ユダヤ人が皆民族をあげて、ローマ帝国に反乱を起こしているのに、キリスト教徒になったユダヤ人は敵前逃亡した裏切り者です。戻ってこれるわけがないのです。
そしてこの時期を境に中国にユダヤ人が大量にやって来るのです。今ではキリスト教と言いますが、彼らユダヤ人達は自分がキリスト教徒であるという意識はありませんでした。
クリスチャンという言葉もないのです。単なるユダヤ人です。ユダヤ教の中で本当の教えを受け継いでいるという意識のみです。だから他のユダヤ人と見分けがつかないのです。
他所から中国に来た人々
当時、他所から中国に来ると、中国人は名前をつけたがるのです。「どこから来た?」と聞かれ「パルティア」と答えます。パルティアの国は、漢字で安心の安に、息と書くので、安息という所から来たので、「お前は安氏だ」と言われ、「安」という名字をつけられるのです。
名前をつける際、東洋の場合は、姓と名の組み合わせですが、当時の中東ユダヤ人は名字をつける文化はありませんでした。
中東には名字はありません。よくあるのは父親の名前をつけます。「なんとかジュニア」とかです。例えば、ヘブライ語で「ベン」とつけます。「ベン」とは息子という意味です。
映画の「ベン・ハー」とは、「ハーちゃんの息子」という意味です。映画の中で登場する「ベン・ハー」はユダヤ人の貴族という設定です。他にもアラビア語では、イブンやビンと名付けられます。
これはヨーロッパでは、「マック」もそうです。「マクドナルド」は「ドナルドの息子」です。しかし中国は違います。一族のファミリーネームを名乗らなければなりません。名字がない場合は、出身国から一時を取っていたのです。
パルティアだったら安心の安に息をつけて安息とします。
その中の一人が、唐の時代には、安史の乱(別名安禄山の乱)このように名前をつけてしまうのです。原始キリスト教のユダヤ人が中国に来たら、「お前はどっから来たのか?名前は?姓は?名乗れ」と問われます。これから中国で生きていくためには姓をつけなければなりません。
当時ユダヤは国としてはローマ帝国でした。ユダヤは属国で、国としてはローマ帝国だったのです。中国では、古代ローマ帝国の呼び名は、大きな秦、大秦と書いてたいしんこく、またはだいしんこくです。
当然ながらここから一字取るのです。「大」を選ぶとたくさんありますので仕方ないので「秦」を選ぶ他ありませんでした。そこで生まれた名字が「秦」だったのです。
血染めの十字架
民族としてのアイデンティティーがあります。ローマ帝国出身の人間が「秦」と名乗ったという記録も存在します。ただ自分達は民族として「ユダヤ人だ」という思いがあるので、「ユダヤだ」と言います。ユダヤというと英語では、”Jew”です。しかし、ヘブライ語だと「イェフダ」です。
そのために「秦」=「イェフダ」となります。「イェフダ」と言うと「秦」と名乗っていることになりますが、日本に来ると、ヤサカとなります。八坂神社の八坂です。もう一つ漢字の当て方があり、弥生の弥に栄える弥栄神社です。神道では弥栄の会があります。
同じように八幡があります。これは、「やはた」または「やわた」とも言います。
これも別の表記で弥秦です。これで「ヤハダ」と言います。「イェフダ」と言い換えることができます。その為、八幡信仰を日本に伝えたのは秦氏とされています。
日本の原始八幡信仰は秦氏が伝えたのです。日本で一番多い八幡神社と稲荷神社は秦氏が広めたものです。そのため神道は、基本的に神社の数では秦氏が実在したことを示す状況証拠です。
他にも証拠があります。これはまだ都市伝説レベルです。秦氏はエルサレムから持ってきているものがあるのです。それは木です。それも血染めの木です。縦木があって横木があるもの。それはT字をしています。T字の右と左と下のところに穴が空いています。それは十字架です。ガチの十字架です。
キリスト教の世界ではイエス・キリストが磔になった十字架は聖十字架と呼ばれます。バチカンの広場にもその木片があると言われていますが、本当でしょうか。
様々な人々、神学の先生に取材して聞いて行くと、世界中にそのようなものがたくさんあります。そのようなものを集めたら何十本も十字架ができてしまいます。本物は今も見つかっていないのです。
ところが、実は、日本に秦氏が持って来ているのです。物的証拠はどこに今あるのでしょうか。最近までは、歴史ミステリーと呼ばれていました。ところが現在は、証拠主義です。エビデンスの時代です。科学的証拠はあるのでしょうか。
それは遺伝子で分かります。DNAです。それですごいことが分かったのです。お医者さんが本を書いています。たまにテレビにもお出になられて、様々な病気や健康の問題についてコメントしています。
一石英一郎先生です。著書「日本人の遺伝子」と言う本を書いています。最新の研究もそこに書いてありますが、そこにしっかりと書いてあります。「日本人とユダヤ人の遺伝子は同じである」と。
遺伝子の最先端の研究をしている先生が「日本人とユダヤ人の遺伝子は同じである」と書いています。
都市伝説レベルを超えて、このようなことに関して一番調査しているのは当のユダヤ人です。ユダヤ人は知っています。
参考文献:ユーチューブ、日本人の秘密知りたくないですか?月刊ムー編集長が語る誰も知らない日本人のルーツ【 都市伝説 月刊ムー 編集長 コラボ 秦氏 日本史 日ユ同祖論 】
<https://www.youtube.com/watch?v=dbPW2uhDZfk>アクセス日:2022年2月23日
まとめ
紀元66年ローマ帝国とユダヤ国の戦争を境に原始キリスト教徒がエルサレムから消え中国に渡り最終的に日本に渡来して来た。