明治天皇のすり替え説の真相は鍋島藩

明治天皇のすり替え説の真相は鍋島藩

この記事の概要

明治天皇のすり替えの真相は鍋島藩と長州藩の力関係にありました。南朝の血統であるの大室寅之祐が睦仁親王とすり替えられたと言う説は、佐賀鍋島藩の計画により寅之祐ではなく本物の皇太子がすり替えられたのです。


大室寅之祐と田布施システム

日本の政治を裏で牛耳って来たのは平安時代から続いています。南北朝時代ではなく、平安時代からなのです。飛鳥時代にはすでに確立されていました。

山口県田布施の地域では、「大室寅之祐がうまいこと明治天皇にすり替わることができた」と今もなお信じられています。実際に、ここには大室寅之祐の家が残っています。

大室寅之祐の弟の系統は生きています。大室寅之祐が明治天皇だということを皆さんは、信じているのです。

昔長州が、大室寅之祐を明治天皇とすり替えようとしたと言う「噂」がありました。その「噂」の通り、実際にすり替えようとしたのです。

しかしながらそれは阻止されました。すり替えが失敗したのです。


本当の実力者

明治維新の時に、薩摩と長州が、倒幕を計画していました。本当はうまくいくはずがなかったのです。

薩摩、長州は貧乏藩でした。ろくにお金もなければ、力もない外様の最悪な藩でした。あるのは不満だけだったのです。

この二つが、一緒になって戦っても幕府に勝てるわけがありませんでした。

ところが裏で糸を引いていた藩がありました。お金持ちの藩です。そう佐賀の鍋島藩です。鍋島の当主がとても頭の切れる人物でした。鍋島は長崎も抑えていました。

唯一日本で、外国に門戸を開いていたのです。当時、香港と鍋島藩の間に、海底ケーブルが敷かれていました。モールス信号で通信できる情報網がつながっていたのです。

海図が残っています。当時の海底ケーブルとは、銅線を麻で包んだものを海底に這わせるだけです。この程度ですが、「ツートン」を使うモールス信号はできたのでした。

香港と佐賀湾の間、すなわち鍋島の間ですが、大陸間通信ができていたのです。香港とイギリスもインド経由でつながっていました。

そのため、佐賀の鍋島藩とイギリス王朝は、「ツートン」でやりとりをしていたのです。

佐賀の唐津から輸出してイギリスからアーム・ストロング砲を輸入していました。

江戸時代に、佐賀港には黒船のドックがありました。これは今はないことになっていますが、実際にはありました。

佐賀の鍋島藩は、これだけ裕福な藩だったのです。貧乏藩だった薩摩と長州にアーム・ストロング砲やお金を出し、黒船を出したのは佐賀の鍋島藩でした。

佐賀の鍋島藩が裏でお金を出していたので薩摩・長州は、言いなりだったのです。

倒幕する時に、鍋島藩は天皇家を守らなければならないという立ち位置でした。鍋島の当主は、滋賀にいました。滋賀県の大津で、京都の本願寺と結託して天皇を守っていました。


皇太子救出

どうも長州が大室寅之祐を替え玉にしようとしている情報が流れて来ました。「これはまずい」と思い、鍋島藩は大博打を打ったのです。

当時幕末には新撰組が、京都御所を取り囲んでいました。さらにその周りを長州の部隊が取り囲んで睨み合っていたのです。

その中から皇太子殿下を連れ出しました。どのように連れ出したかというと、当時、伯家神道(はっけしんとう)を行っていた白川家がありました。白川家はお公家さんのところへ出入りできていたので、白川家の学徒で書生頭である高濱清七郎(たかはませいしちろう)がいました。高濱は岡山出身です。

孝明天皇が、高濱清七郎に次のように命じました。

「皇太子をお前の小姓として、岡山に連れ帰ってくれ。あとは、鍋島藩から連絡が行くから」と。

高濱は「わかりました」と言って連れて行くことにしました。高濱は、自分の小姓として皇太子殿下を連れ出したので、皇太子殿下と気づかない新撰組も薩長もそのまま通してくれました。

その後、岡山に無事に到着してしばらく、岡山で暮らすことになるのです。

高濱は、生きて行くためには、岡山で飯を食わなければなりません。高濱は、伯家神道の秘伝の巻物を持っていたので、金光教、黒住教の教祖に売りました。(大本教の出口なおは金光教の宣教師でした)

高濱清七郎は、皇太子殿下を食べさせるために伯家神道の秘伝の巻物を売ったのです。どのくらい経ったでしょうか、待っていたら鍋島藩から連絡が入りました。状況が理解できたので、皇太子殿下をお連れすることになりました。向かった先は、山口県の田布施にある石城山(いわきさん:山口県光市と熊毛郡田布施町にまたがる標高362mの山)でした。

そこには高杉晋作がつくった第二騎兵隊、駐屯地があります。その場所に皇太子殿下を連れて行きました。そこには、大室寅之祐もいたのです。


長州の計画が失敗に終わる

他の若い志士たちがいる中に、皇太子殿下をお入れしたのです。「単なるその辺の若い奴」という形で入れて一緒に訓練させていました。実際に長州が大室寅之祐を倒幕した時には明治天皇とすり替えようと計画していました。

その時、佐賀の鍋島藩から長州に、「大室寅之祐ではダメだ、こっちにしろ」と命令があったのです。

この時に、すり替えようとしていた大室寅之祐と本物の皇太子をすり替えてしまったのでした。

本物の皇太子であったという証拠が残っています。フルベッキーの集合写真の真ん中にいる人物こそが本物の明治天皇だったのでした。

そこで辻褄が合うわけです。中央の写真が、大室寅之祐であり明治天皇の顔と類似していると主張していることに関してです。その大室寅之祐と信じられていた人が、実際の孝明天皇の子である睦仁親王であり皇太子殿下だったのです。


東京奠都の理由

新政府が無理やり、京都御所ではなく、明治天皇を東京の御所に移されてました。一般には、明治天皇のすり替え説が広まっていて、顔がバレてしまうために東京に移したと言われています。

実のところ、本質的なところが問題でした。天皇に霊力を与える白川家が行っている伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を引き続き皇太子が行っていたら政治がしにくくなるのです。この霊力が、新政府にとって、非常に邪魔でした。

そのため、新政府は、白川家を東京へ連れて行かなかったのです。白川家と明治天皇の距離を遠ざけたのです。

(※東京奠都(とうきょうてんと)は、明治維新のとき江戸が東京とされ、都として定められました。京都と東京の東西両京としたことで、慶応4年7月17日(1868年9月3日)に江戸が東京と改称されました。同年9月に元号が明治に改められ、同年10月13日に天皇が東京に入り、明治2年(1869年)に政府が京都から東京に移されました)

※(伯家神道(はっけしんとう)とは、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派です。白川神道(しらかわしんとう)とも呼ばれています)


明治天皇が大室寅之祐ではない理由

明治天皇は、皇居に住まわれ、明治天皇と認められました。毎日のように身の回りの人たちに「高濱清七郎はどこに行ったのか」と問われたのです。

もし大室寅之祐であったら高濱清七郎を知らなかったはずです。これが記録に残っているのです。「高濱清七郎を呼べ」と言われて、みんなが苦労をしていました。

伊藤博文も高濱清七郎が学頭だということも知っていて、祝之神事(はふりのしんじ)、伯家神道(はっけしんとう)を引き継いでいた人物だったので、彼を明治天皇に一番近づけたくない人物でした。

それなのに明治天皇が「高濱清七郎を呼べ」と言うので困った記録がしっかりと残っているのです。

大室寅之祐がもし天皇になっていたら、高濱清七郎なる人物を知るわけもないし、必要ともしません。一緒に御所から連れ出してくれて、その間、岡山でひもじい思いはしましたが食べさせてくれた人物なのです。

高濱清七郎は、伯家神道(はっけしんとう)の様々なことを教えてくれました。明治天皇にとっては先生なのです。

明治天皇になってからも、もし自分のそばに高濱清七郎がいてくれたら助かるのにという思いで、毎日高濱清七郎を探していたほどの人物だったのです。

ところで大室寅之祐はどこに行ったのでしょうか。消されました。となると、南朝にすり替わっていないのです。

南朝こそが本物説は何だったのか、皇太子は、身体が小さかったと言う説、皇居に南朝方の楠木正成の像がある、孝明天皇は本当に暗殺されたのか、などこのことについては、次回まとめてみます。


参考文献:YouTube:田布施システム すり替え説の真相 秘密喫茶 居皆亭(いるみなてい)vol.31 ~ 保江邦夫 × 三上丈晴 ~ 5/7

URL<https://www.youtube.com/watch?v=phJBJVcoGL0>アクセス日:2019年11月19日


まとめ

政治を裏で牛耳っているのは平安時代から続いている

明治維新の本当の実力者は佐賀の鍋島藩だった

白川家の学徒で書生頭である高濱清七郎が皇太子を連れ出し大室寅之祐とすり替えた

明治天皇は北朝である


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