出雲系神社は津波を知っているのです

出雲系神社は津波を知っているのです

この記事の要約

出雲系神社は津波を知っているのです。津波の最高到達地点のギリギリのところに古い出雲系の神社が多くあります。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治は、災害の比喩ではないかと言われています。治水をすることが王様の重要な役割でしたので水害には詳しのです。


津波の最高到達地点

2011年の東日本大震災において、被災地を調査したところ津波の最高到達地点のギリギリのところを調べていくと、ことごとく到達した線のそばに古い神社があります。

津波にやられた神社もあるのですが、それは新しい神社なのです。本来はそこに神社はありませんでした。または他から神社を移して来たものがことごく津波にさらわれています。

古くからある神社は、全部残っています。だから震災の時の映像、津波が来た時のシーンというのはよくよくみると、撮影している人たちは、神社の境内にいたりするのです。神社の境内に避難して、そこから撮影したのです。

被災地に行くと津波がここまで来たと言うことがわかります。

経験的に津波が何度も来ていることがわかっているので、津波が到達した地点よりも下に建てた祠(ほこら)というのは、流されたという記憶があれば、もっと高いところに建てることになりますが、ただ不思議なことにギリギリのところにあるのです。


神社の直ぐ目の前が全滅

実際に現地に行って調べると、神社の建物がありますが、本殿拝殿の30cmくらいまで、津波が来ているのですが、社殿は問題ありません。神社があるところから見て、直ぐ目の前の海側の地区は全滅していたました。

家が一軒もありません。神社の名前は、津神社とか津波を想起させるような名前です。特に仙台の神社は、浪分神社と言います。

そこで波が分かれて、波がギリギリまで来たのです。浪分神社はそれほど高台ではありません。津波の最終到達地点は、平野なのですが、ここまでギリギリであり、神秘的力とみなすのですが、そもそも神社はそのような場所に建てられていました。

三陸の方に行くと津波石というのがあります。津波が来て最終到達地点のところに石碑を置いたのです。そこには、「ここから下には絶対に家を建てるべからず」と書いてあるのです。激烈な文書です「絶対」なのですから。「どんなことがあってもダメだ!」と非常に強い言葉で書かれています。

これは子々孫々末代まで語り継がれて行くのです。今回の津波もその石碑までは来ていないのです。津波石から下に建ててしまった家は、数十年、100年経つと忘れてしまうのでしょう。建ててしまうのです。

平成の世の津波の石碑が建てられました。「これだけの人が死んだんだぞ!」昔の人は、石に刻むことで残るという思いで石碑を建てました。


出雲系の神社

神社もそのような役割があるのではないでしょうか。そこで科学的に都市防災の観点から、これらの神社のことを調査しました。御祭神について調べたところ、かなりの割合で、出雲系の神社、出雲系の神様が祀られているところが非常に多かったのです。

これは一体なんだったのだろうと研究してみました。

スサノオノミコトは古事記の神話の中で、ヤマタノオロチ退治を行いました。その尾っぽから天叢雲剣 (アマノムラクモノツルギ)を取り出したのです。

龍を退治する神話は世界中にあるのですが、日本のスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治は、ある種の災害の比喩ではないかと言われています。

出雲という場所、湖があって、河川があって、斐伊川という川があります。斐伊川というのがヤマタノオロチではないかというのです。川というのはしばしば龍に例えられます。暴れ川というのは龍が暴れているのに例えられます。

常々斐伊川は氾濫して平野部をぐじゃぐじゃにしていたので治水をすることが王様の重要な役割でした。大阪もそうです。淀川がすぐに氾濫して、大変なことになるので治水を行うことがとても重要でした。


川がヤマタノオロチ

八つの支流が八つの首に見立てられてヤマタノオロチと言われたのではないのだろうかという説があります。

出雲山陰地方の川というのは、砂鉄が採れるのです。砂鉄が川底に溜まります。その砂鉄を持って製鉄して、剣とか武器とか作ったのです。

これがヤマタノオロチの退治によって、尾っぽから出てきた天叢雲剣 (アマノムラクモノツルギ)の伝書になったのではないかと言われています。

スサノオノミコトは治水を象徴しているのです。だからこそ津波の最終到達地点に鎮座する神社でスサノオノミコトを祀っているのではないでしょうか。

海岸線のスサノオノミコトを祀る古い神社があったならば、特に地震が来たらその神社に逃げ込むべしということなのです。海の見える家を建てたかったら出雲系の神社があるかどうかチェックして建てた方がいいのでしょう。


民俗学的な伝承

ある種、都市工学の防災の観点から、古い神社とか寺があることには意味があります。もう一つは地名です。地名を分析することが大事になります。

広島で川が氾濫して下流域の住宅は、全て土砂崩れで飲み込まれて、何人もの方がお亡くなりになった大惨事がありました。

あそこの濁流、谷というのも昔は悪谷と呼ばれていました。そういう意味が地名にあるのです。新しい住宅を建てるとイメージが悪いということで、最近は地名を変えてしまう傾向にあります。

何でもかんでも光が丘、桜ヶ丘になってしまいます。本来その土地、地形が持っている性質が災害が起こりやすいのかがわかるのです。

その理由で、昔から伝承されている性質が篭った名前をむやみやたらに変えてはいけないのです。それでも住宅を開発する場合は、自然災害を見越した上で建てるべきなのです。

治水を含めての都市設計は大切です。ハザードマップに昔ながらの神社や寺を強調してあげるのも必要なのかもしれません。

理工系の人たちからすると民俗学的な伝承を軽視しがちになりますが、そうではないこともあるのです。民俗学的、地元の人の伝承とは防災学的にはとても有効なのです。ブラタモリは正にこの視点ですね。


参考文献:YouTube、津波が来たら、出雲系神社へ逃げろ!! MUTube(ムー チューブ) 2017年10月号 #5

URL<ttps://www.youtube.com/watch?v=oKRwfufkfes>アクセス日:2019年4月4日


まとめ

被災地を調査したところ津波の最高到達地点のギリギリのところを調べていくと、到達した線のそばに古い神社がある

科学的に都市防災の観点から、かなりの割合で、出雲系の神社、出雲系の神様が祀られているところが非常に多かった

八つの支流が八つの首に見立てられてヤマタノオロチと言われたのではないのだろうか

ある種、都市工学の防災の観点から、古い神社とか寺があることには意味がある


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