表の天皇と裏の天皇

表の天皇と裏の天皇

この記事の概要

表の天皇と裏の天皇がいます。本来の天皇の働きは、国の安泰、日本の平和、国民の幸せを祈ることです。これが祭祀の務めだからです。一般に孝明天皇は、殺されたと言われてますが、実は殺されていません。孝明天皇こそ裏天皇を引き受けたのです。国家の安定と人々の幸せを願って、孝明天皇は祈りに徹するために京都に残りました。


天皇家は古代ユダヤ人

天皇家とは、古代ユダヤ人であり祭祀です。祭祀の職を全うするために天皇は、政治をしてはいけないのです。明治以降になりまして、明治天皇が政治あるいは外交、外国との儀礼、様々なことを行うようになりました。

しかしながら、本来の天皇の働きは、国の安泰、日本の平和、国民の幸せを祈ることです。これが祭祀の務めだからです。人々に代わってお祈りをするのが祭祀です。

明治以降、天皇は様々なことを始めました。実は、天皇には二人いるということです。一人は、表の天皇です。もう一人は、裏の天皇です。
東京においでになる天皇、現在は、令和天皇が表です。その前は平成天皇、その前は昭和天皇、その前は大正天皇といきますが表です。
裏の天皇は存在しています。その人たちはその取り巻き及びその裏の天皇は、もちろん古代のユダヤの流れです。ずっと京都にいました。今は、どこか移動したとも言われています。
その人たちは、国家の安泰のために祈り続けました。つまり本来の天皇、本来の祭祀をずっと行なってきました。明治になって外国に国を開きました。そうなると外交をしなければなりません。外国との付き合いができます。そのために、開国された頃、、本当の天皇は、裏天皇として地下に潜ったのでした。
代わりの人が表に出てきました。これが明治天皇で本名は大室寅之祐です。古代ユダヤは、日本に封印されてきました。明治天皇は、すり替えられました。

明治天皇のすり替え説を検証

大室寅之祐はどこにいたのでしょうか。山口県の田布施です。そこで南朝の天皇の血統がずっと守られてきました。明治天皇は、後醍醐天皇第11番目の皇子・満良親王の子孫にあたり、長州の毛利家によって守られてきました。
南朝の御正系をお立てして王朝復古することが目的であったようです。南朝正統論が根強く残っていたからです。
一般に孝明天皇は、殺されたと言われてますが、実は殺されていません。孝明天皇こそ裏天皇を引き受けたのです。
国家の安定と人々の幸せを願って、孝明天皇は祈りに徹するために京都に残りました。もう一方の表を司った天皇である南朝の流れの後醍醐天皇の子孫は、明治天皇となりました。
すり替わって東京に東京に奠都されて来ました。その後、大正天皇、昭和天皇、平成天皇、令和天皇と続きます。山口県へ明治の初めに天皇が巡幸されたとき、「大室の寅さんや」と言うのです。
ここまでが、大室寅之助が、明治天皇にすり替わったと一般的に言われている内容です。
ところが、この大室寅之祐は大室家の血を継いでいないのです。寅之祐の父親は、海賊の作蔵という人物です。この時、寅之祐は虎吉の名前でした。作蔵は、地家吉座衛門の養子となっています。母親は、スヘで京都浄土真宗の大谷家の出です。
その後、両親は離婚し、寅之祐は母方に引き取られました。スエが再婚したのが大室弥兵衛でした。これで大室姓になったのです。大室弥兵衛とスヘの間には子供ができましたが、早世し後継がいませんでした。ここで大室家の血は断絶しています。ところが、虎吉は、養父の早世した子である寅之助になりすましたのです。となると、南朝の後醍醐天皇の子孫ではなくなります。
その後、寅之助になりすました虎吉は、高杉晋作が組織した奇兵隊に参加したことで、南朝の末裔として注目されました。
実は、本物の明治天皇は、殺害されていません。生きていました。鍋島藩が長州から皇太子を守ったのです。この頃、長州が大室寅之祐を替え玉にしようとしている情報が流れて来ました。
当時、幕末には新撰組が、京都御所を取り囲んでおり、さらにその周りを長州の部隊が取り囲んで睨み合っていました。 その中から皇太子殿下を連れ出したのです。
伯家神道(はっけしんとう)を行っていた白川家は、お公家さんのところへ出入りできたので、白川家の学徒で書生頭である高濱清七郎(たかはませいしちろう)が孝明天皇から次のように命令を受けました。
「皇太子をお前の小姓として、岡山に連れ帰ってくれ。あとは、鍋島藩から連絡が行くから」と。 その後、高濱の故郷である岡山に無事連れ出し、しばらく過ごしました。 そして、鍋島藩から連絡が入りました。
状況が理解できたので、皇太子殿下を山口県の田布施にある石城山にお連れすることになりました。 そこには高杉晋作がつくった第二騎兵隊駐屯地がありました。その場所には、大室寅之祐もいたのです。
その時、佐賀の鍋島藩から長州に、「大室寅之祐ではダメだ!、こっちにしろ!」と命令がありました。
ここで、すり替えようとしていた大室寅之祐と本物の皇太子をすり替えたのです。 当時の力関係では、薩長が上のように思えますが、実際のところ佐賀の鍋島藩の方が力を持っていました。そのため、長州は佐賀藩の命に従ったのです。
これで、天皇家の血は万世一系で繋がったのです。南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に、三種の神器を渡しているので南北朝は合体したとも言われています。
落合莞爾氏史観によりますと、南朝の後醍醐天皇の子、護良(もりよし、または、もりなか)親王の子孫だけが天皇になれると國體(こくたい)が決めたと言われています。
その史観では、崇光天皇と御孝厳天皇がその子にあたり、北朝に受け継がれているのです。この時からすでに皇統は、南朝の代になっていました。大室寅之助にすり替える必要がなかったのです。
また、血統が断絶しないように海外にも皇統が残されています。それが、永世親王伏見殿(ふしみどの)です。

ヘブライ神社

祭壇のところで、人々の罪の贖いをした人たちが祭祀です。彼らは麻の着物を着ていました。亜麻布です。20年に一度の伊勢神宮の遷宮がありました。その時に、神官たちが白い衣を着ていました。

その祭祀達の一群の中に大祭司がいます。伊勢神宮は不思議です。20年毎の遷宮にあれだけたくさんの神官たちは、どこで生活しているのでしょうか。
どこで生活してるか分かりません。誰も知りませんし、誰も教えてはくれません。
そして神々に捧げるお米は、特別なお米です。神の田んぼと書いて神田で作られます。水も私たちが飲んでるような水道の水ではありません。全て特別です。
それが日本です。20年に一回の遷宮を見てみても、日本は、不思議なところです。アメリカやヨーロッパの人が伊勢神宮の遷宮のお祭りというか儀式を見てもさっぱり分かりません。
ユダヤ人は分かります。旧約聖書を読んでいるからです。ユダヤでかつて、行われていた儀式が日本でどうして行われているのか。日本の祭は、ユダヤの祭そのままのようなのです。かつて滅んだはずのユダヤの儀式が、なぜ日本へ来ているのでしょうか。

参考文献:YouTube、宇野正美 天皇の血統には表の天皇と裏の天皇がある。

<https://www.youtube.com/watch?v=Gt8vV7HyjE4>アクセス日:2021年10月7日

参考文献:YouTube:田布施システム すり替え説の真相 秘密喫茶 居皆亭(いるみなてい)vol.31 ~ 保江邦夫 × 三上丈晴 ~ 5/7

URL<https://www.youtube.com/watch?v=phJBJVcoGL0>アクセス日:2019年11月19日

まとめ

天皇には二人いて、一人は表の天皇で、もう一人は、裏の天皇。天皇の働きは、国の安泰、日本の平和、国民の幸せを祈ること。孝明天皇は祭祀の務めを全うするために裏天皇に回った。


紹介欄

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説

京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)

 

表の天皇と裏の天皇
最新情報をチェックしよう!
>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG