この記事の概要
契約の箱によって伊勢神宮が空襲から守られたと言われています。昭和20年7月29日の深夜、アメリカ軍B29爆撃機が伊勢神宮に3往復もの空爆を行いました。その爆撃でその地域には何も残らないはずですが全ての正殿が無傷で残るという奇跡が起こったのです。終戦を迎え米軍は伊勢に新兵器を隠しているのではないかと疑問を持ちました。それが実は契約の箱だったと言われる要因です。
契約の箱
そこには、イスラエルの民が、エジプトからの脱出とシナイ山での契約という二つの大きなテーマとなっています。その出来事は、およそ紀元前13世紀頃でした。
その物語の登場人物にはモーセが登場して来ます。モーセは古代イスラエルの民を率いる指導者です。この物語は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など多くの宗教において最も重要な預言者の一人なのです。
モーセが神との契約で神から授かったものが十戒です。その十戒の書かれた石板を納めた聖櫃のことを契約の箱と呼ばれいます。それは、ユダヤの秘宝の一つと言われているのです。
古代の書物を調べてみると、契約の箱すなわちアークは確実に存在していたようです。紀元前のヨシヤ王の時代に関する聖書の記述を最後に比喩的に用いられる以外には、直接言及される記録がないため行方は分からなくなっています。
その失われた経緯については、不明です。そのために、失われた聖櫃と呼ばれるようになりました。人類が直接神から授かった石版がどこに消えたのか、今も探し続けられています。
契約の箱の中には
現代においても、この契約の箱の存在を探し求めている組織が存在しています。それが政府組織であったり、または、政府や国などという枠組みを超えた世界統一政府を目指す地下組織であるのかもしれません。
国際金融資本が絡んでいることには間違いないでしょう。彼らは世界をユダヤ化しようとしているからです。
その契約の箱には、何が収められるのでしょうか。契約の箱の中身は十の戒めが刻まれた三枚の石版、アロンの杖、マナの壺が収められています。
アロンの杖とは、イスラエルの民を迫害し奴隷にしていた古代エジプト人に対して十の災いをもたらしたとされる神が、モーセに与えた杖です。
その杖を使ったのは、出エジプトにおいてモーセと一緒に民を牽引したモーセの兄アロンによる十の災で知られています。出エジプトの際にモーセの一団が、エジプト軍に追い詰められた時、モーセは、紅海を割き、逃げ道をつくりました。その時、天に掲げられたのがアロンの杖だったのです。
マナの壺は、モーセたちが、エジプトを脱出した後、40年荒野をさまよい続けることになります。全員が飢えた時、壺を用いたモーセの祈りに応じて神は、空からマナという食べ物を降らせたのでした。
契約の箱には、十戒の石版、アロンの杖、マナの壺が入っていました。神から授かったものを入れたのがただの箱ではなく神の力を秘めていた箱であるとされています。
神がイスラエルの民にメッセージを送る時には、契約の箱の上に雲が現れメッセージが与えられました。モーセの後継者ヨシュアの時代以降、契約の箱は敵と戦う際の強力な武器にもなりました。
エリコの町を壊滅させた時には、契約の箱自体の重さが数百キロあるにも関らず宙に浮いて敵めがけて飛んだという伝説もあります。
その後に、契約の箱は、イスラエルの民と敵対していたペリシテ人に奪われることになりました。しかしながら、伝染病などの災厄がペリシテ人を襲ったため、イスラエルの民のもとに送り返されることになったのです。これらの意味でも、契約の箱自体に強大な力があったことが理解できます。
契約の箱の行方
契約の箱はイスラエルの民のもとに戻ったのですが、エルサレム崩壊後には、どこに行ったのかが分からなくなってしまいました。イスラエル王国第三代のソロモン王がエルサレムに神殿をつくりそこに契約の箱を安置したと言われています。
石川県羽咋郡宝達志水町(はくいぐんほうだつしみずちょう)にモーセの墓だとされる場所があります。
ここは宝達山山麓の三ツ子塚古墳群を整備した公園です。町おこしとして利用し、整備され1993年に開業しています。しかしながら、この場所がモーセの墓であるという伝承や証拠はありません。著作が唯一の根拠であると言うのです。
(山根キクの著作:「竹内文書」の影響を受けており、自分は「キリストの遺言状」を知っていると主張し、十字架の上で死んだのはキリストの弟で、キリストは日本で死んだと述べた。そしてキリストの墓やモーゼの墓を日本に「発見」した。)
公的に整備された場所の由来にいい加減なものが使用されることはなく何らかの根拠はある様です。説明にはモーセが天浮船に乗り能登宝達山にたどり着いたと書かれています。
では、契約の箱が最終的にどこに収められたのかが知りたくなるところです。日本の神輿は契約の箱を模したものだとする説は古くからあります。大勢に担がれた契約の箱は全国各地を巡ったとされています。
その神輿を担ぐ時の掛け声である「わっしょい」という言葉はヘブライ語で「主の救いが来る」という意味となります。この掛け声には、ユダヤ人が契約の箱を運んで日本に来たことが隠されているかもしれません。
契約の箱が徳島県の剣山に隠されているということは非常に有名な話です。その他には、伊勢神宮に収められているという話もあります。
伊勢神宮に契約の箱がある根拠
この根拠となる話は伊勢神宮に起こった奇跡から来ているのです。第二次世界大戦、昭和20年7月29日の深夜、アメリカ軍B29爆撃機、約40機もの編隊を組んで三重県、伊勢神宮に、3往復もの空爆を行いました。
三重県での本格的な空襲は、昭和20年1月14日の伊勢外宮への爆弾投下から始まります。当時の人々にとって、伊勢神宮への爆撃は大変なショックだったらしく、朝日新聞や毎日新聞の全国版にも当時の状況が記事となって載せらています。
次に県下での主な被害状況を見て見ましょう。
まず、県下で最初に本格的爆撃を受けた宇治山田市は、以降大きな爆撃を6回ほど受けますが、なかでも7月29日の爆撃はすさまじく、市内の約60%を焼失し、死傷者は 192名にもなりました。引用箇所:悲惨だった三重県の空襲URL<https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=43>
これだけの爆撃が行われればその地域には何も残らないはずですが、なぜか神宮内に数々存在します。全ての正殿が無傷で残るという奇跡が起こったのです。これは明らかに戦争犯罪です。アメリカ軍の有罪です。無抵抗の寺院・仏閣・教会などは攻撃の対象にしてはならないのです。
真珠湾攻撃を非難されますが、予告なしの先制攻撃は普通に行われていました。最近では、奇襲ではなかったことも明らかになって来ました。狙ったのは軍事施設だけだったのです。ハワイでは、「リメンバー・パールハーバー」の他に日本軍の正々堂々とした戦いぶりを讃えている面もあるほどです。
その後のアメリカ軍の日本に対して行った無差別攻撃、無抵抗な老人、女性、子供を殺戮したことはこれからアメリカという国、その黒幕だった国際金融資本の人々、その組織が怨霊の祟りに遭うことになるでしょう。
数百発の焼夷弾がすべて外されるということなど起きるはずはないのです。これは奇妙な現象として米国に報告されることとなりました。
終戦を迎えアメリカは日本が伊勢に何かシールドのような兵器を隠しているのではないかと疑問を持ち始めたのです。そのため大捜索が行われることになりました。
日本に到着したマッカーサーが調査隊に命じ、向かわせた先は伊勢神宮と仁徳天皇陵古墳でした。その後、マッカーサーは調査後、日本と天皇への態度を一転させました。
マッカーサーはそこで日本に古来から伝わる三種の神器の一つである八咫の鏡を見たと言われています。八咫の鏡は伊勢神宮の内宮に安置されていたご神体です。
菊花文を意味し縁取りが施された黒曜石でできた黒い石版の裏側には古代イスラエルの言葉で、「これを持つ者は神の代理人である」という意味の言葉が刻まれていたと言うのです。
さらにはご神体は一人では持てないほどの重さでした。これはまさしく十戒の石版だった可能性があるのです。
鍵穴のようにも見える仁徳天皇陵古墳ですが、逆に見ればマナの壺です。そのマナは、勾玉とも言われています。熱田神宮に祀られている草薙の剣はアロンの杖である可能性があります。
契約の箱とその中身である十戒の石版、マナの壺そしてアロンの杖は日本の三種の神器と呼び方を変えて全て日本に祭られているということになります。
実は、日本の三種の神器もどんなものかが公表されていないため、誰も知ることができないのです。三種の神器という名称はユダヤ社会にも同様なものが存在することも有名です。
契約の箱が日本に運び込まれていた可能性は高く、日本人より外国人特に、国際金融資本の方が注目しているのです。
参考文献:YouTube、仁徳天皇陵の地下に眠る世界の真実【衝撃】日本「三種の神器」の正体とは…
まとめ
モーセがイスラエルの民を率いて日本に来た際、契約の箱も持って来たという都市伝説。
紹介欄
失われたアークは伊勢神宮にあった (ボルトブック―エレメントASUKAシリーズ) 新書