この記事の概要
中央構造線の行き着く先が鹿島神宮でした。日本の中央構造線は、最初が阿蘇から続いています。中央構造線を歩いて、とうとう一番東の海にたどり着いた時に、そこから昇る朝日を拝みたくなるものです。そこが鹿島神宮です。ここから日が昇るのが見えました。それが日本人の精神になっていったのです。
一宮神社
人々は、中央構造線を歩いて来ました。どんな人でも、歩いていく先に何があるかと思います。日本には昔六十六の国に分かれていました。例えば、常陸の国、武蔵の国、信濃国と言って、それぞれの国の一番大事な神社を一宮と言います。これは世界遺産レベルです。
一宮神社が、中央構造線に並んでいます。 当時の人は、地的なとこで、断層が、ちょっと出ているところありましたが、分からないわけです。
例えば縄文時代には、道路がなかったと思います。人間は、歩きやすい所を選んで歩きます。平で真っすぐなところと言うと、断層なのです。断層の一帯が、超古代のメインストリートだったと思っています。
そこには、たくさんの人々が往来します。そして、そこの要所要所に、巨石や大きな滝や断崖絶壁や変な半島があります。それを神と崇めると、それが神社の始まりです。ところが、まだ建物はありません。
ただその巨石や滝に縄を張って拝んだのが、神道の起源に思えます。これは、おそらく縄文時代から始まったのではないでしょうか。
現在は、それぞれの神社がいろんな神様を祀っていますが、それは後で分裂したものです。おそらく、本当は縄文の神は、自然そのものだったに違いありません。これを古神道というのでしょうか。
阿蘇から鹿島に続く中央構造線
神様の名前がはっきりしてくるのは、弥生時代からです。と言うのは、農耕民族になり、特定の場所にずっと定住するようになります。そうすると、その土地を初めて切り開いた「祖先のことを祀る」と言う考えが出て来ます。だから自然崇拝が、徐々に祖先崇拝に変っていったのです。
阿蘇山はかつて、富士山以上に大きな山でした。日本の中央構造線は、最初が阿蘇から続いています。当時の人から見たら、本当に神も山そのものではないかと思ったかもしれません。
映画「君の名」にありましたが、あれも中央構造線上のルートを辿どった映画です。素晴らしい映画です。要石もテーマになりました。この中央構造線の最後が鹿島です。
鹿島神宮の現在の入り口は、山道に入ってすぐにお宮がありますが、山道の先にお宮がないのです。脇なのです。なぜでしょうか。お宮は北を向いています。「あれ?」と思います。実は、お宮ができたのは後の話であり、元々この山道に意味があったのです。
お参りしたら後戻りしないで、まっすぐ奥まで突っ切っります。そうすると 、森に入ります。これは「奥山道」と言って、まっすぐな道で、この先が海です。この方角が、昼間が一番長い日である6月の下旬すなわち、夏至の日の太陽がこの海から昇る日です。だから本来、これは太陽崇拝だったのです。鹿島神宮には、太陽信仰があったのです。
要石
その奥の森の中にある要石です。きちんと案内板が立っています。鳥居があって囲ったのです。そこだけで覗くと 、地面にぴょこっと出ているのです。
これが金石と言います。言い伝えでは、この地下に「ナマズ」がいるとのことです。ナマズが暴れると地震が起こるので、暴れないようにこの石で抑えてあると言う設定になってます。
それで江戸時代に水戸班の殿様に水戸光圀と言う有名な人がいました。この方は学者です。だからそんな迷信は信じないと言って、この要石の正体を暴くために、人夫を伴って要石を掘ったのです。 これは罰当たりです。
すぐに掘り出せると思ったのでしょうか。7 日間掘っても下まで行かなかったで、怖く なって止めてしまいました。実はこの下に巨石があるのです。
ナマズは電磁波を感知できるそうです。大きな地震の前には、電磁波が乱れます。だから鳥が気づいて泣くとか言われます。電磁波が乱れて、ナマズが暴れることがよくあります。それが誤解されてナマズが地震を起こしているという誤解が生まれました。ナマズが悪者にされてナマズを抑え込めるようになったのですが、そうではなく、本当はナマズは 教えてくれたのです。
鹿島神宮は、夏至の太陽崇拝と巨石のお祭りが元々ありました。後でここにやってきた武甕槌を合わせて祭り始めたと思われています。これが中央構造線上、日本で一番端に当たるところです。
日本は、地震列国ですからそれを抑えるための要石には、深い意味があり、古代の方々はそういうのが分かって、何かしらは祀っていたのではないでしょうか。
日本人の背骨の場所
東の海から日が昇る場所は、どこもあります。人々は中央構造線をずっと東に向かって歩いて行った先の一番先に「何があるのだろう」と誰もが思います。
中央構造線を歩いて、とうとう一番東の海にたどり着いた時に、そこから昇る朝日を拝みたくなるものです。そこが鹿島神宮です。ここから日が昇るのが見えました。それが日本人の精神になっていったのです。
不思議なことに中央構造線が、神話の始まりなのです。イザナギプレートが寄ってきて、矛のようなラインができ、そこに多くの人が集まって来ました。
イザナギプレートは、後期白亜紀に存在したプレートの一つ。日本列島の原型を作ったため、日本神話で日本列島を作った神伊弉諾尊に由来した名をつけられた。 1億3千万 – 1億年前に、現在の北西太平洋に相当する地域に存在した。アジア大陸に衝突しながら北東に運動したため多くの横ずれ断層を発生させた。中央構造線もその一つである。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2022年9月4日 (日) 21:13での最新版を取得。
そこに神を感じ自然を感じます。 プレートとプレートが合わさったところは、やっぱり摩擦です。そこに電磁波が出る所になります。人々はそこで、磁場を感じていたのでしょう。そこに大きな巨石も現れ、ここに手を合わせって人が集まり、人の思いも集まっていく日本の背骨みたいな所なのです。
【鹿島神宮の謎】なぜ縄文人は鹿島を目指したのか?|小田真嘉×茂木誠
<https://www.youtube.com/watch?v=YvSSlH0oZhs>
まとめ
縄文時代には、道路がなかった。人間は、歩きやすい所を選んで歩き、平で真っすぐな所は断層だった。断層の一帯が、超古代のメインストリートで、この中央構造線に一宮神社が並んでいた。
鹿島神宮の現在の入り口は、山道に入ってすぐにお宮がある。脇なのです。お宮は北を向いている。お宮ができたのは後であり、この山道に意味があった。まっすぐ奥まで突っ切ると 、森に入り「奥山道」と言って、まっすぐな道の先が海で。この方角が、昼間が一番長い日である夏至の日の太陽がこの海から昇る日。これは太陽崇拝だった。鹿島神宮には、太陽信仰があった。
中央構造線を歩いて一番東の海にたどり着いた時に、そこから昇る朝日を拝みたくなる。そこが鹿島神宮。そこに神を感じ自然を感じる。 プレートとプレートが合わさったところは、摩擦が起こり電磁波が出、磁場を感じていた。ここに手を合わせって人が集まった。