7月5日大津波は来なかったが本当の崩壊の始まり

この記事の概要

7月5日大津波は来なかったが本当の崩壊の始まりなのです。これは私たちの価値基準、世の中、そしてライフスタイルが、もう後戻りのできない状況なのです。心が空っぽになった源は、学校の教室です。そこは奴隷性として育てるための場所であり、来るべき社会で、不当に利益をむしり取られることに対する高い忍耐力をつけさせるためだけの巨大な調教装置だったのです。


津波は来なかった

2025年7月5日は、大津波の予言がありました。これは、一般社会までに及ぶまでに日本中を震撼させました。ところが、その日の海は、非常に穏やかでした。「やっぱりか」と。安心した一方で、肩透かしを食らった気持ちだったかもしれません。

1999年第7の月、人類滅亡の予言、2012年マヤ暦人類滅亡の予言、もうすぐイランとロシアがイスラエルに攻め込み世界最終戦争になると、エルサレム東側にあるオリーブ山にイエス・キリストが再臨する予言など人類は、昔から、人類滅亡の予言が絶えませんが、今回の大津波の予言は、ただのデマだったのでしょうか。

どうして私たちは、科学的に証明もされていない漫画の作者の夢の予言にこれほどまでに、半分信じてしまったのでしょうか。その答えは、「もうこの世界と関わりを持ちたくない」と感じているからです。

大本教の出口王仁三郎は、世界の終わりを叫び、その予言は実現しませんでした。しかしながら、その直後、日本は類を見ない戦争という壊滅へと突き進んで行ったのです。予言とは、必ずしも未来の出来事を正確に当てるためだけではないようです。

これは予言を信じて受け入れたくなるほど、社会が「どうにもならない」という時代の空気そのものを反映する鏡なのです。7月5日の予言に囚われたのは、この社会が、いつ何が起きても「不自然ではない」と言う黙示録観点に覆われているからです。

津波は来ませんでしたが、本当の崩壊が始まっています。これは私たちの価値基準、世の中、そしてライフスタイルが、もう後戻りのできない状況なのです。


個別指導の勉強方式

寺子屋は、江戸時代に庶民の子どもたちが読み・書き・そろばんなどを学ぶための民間教育施設でした。先生となる人は、僧侶、武士、神官、医者など様々な人が務めました。

主に読み書き、そろばん(計算)などを学んだのです。寺子屋では、日常生活で役立つ知識や基本的な教養を身につけることができました。

幕末には、全国で15,000以上の寺子屋が存在したと言われています。寺子屋の普及により、江戸時代の日本人の識字率は、当時の世界でも最も高いレベルにあったと言われています。

寺子屋と学校の主な違いは、寺子屋が江戸時代に庶民の子どもたちが読み書き・そろばんなどを学ぶ私塾であったのに対し、学校は明治時代以降に国によって制度化された義務教育機関でした。

寺子屋は、庶民の子どもたちに教育の機会を提供し、社会の発展に貢献しました。年齢による一斉入学や進級は一般的ではなく、個人の進捗に合わせて学びました。

明治維新後、義務教育制度が導入され、寺子屋は徐々に姿を消していきました。


奴隷制度を作った義務教育の教室

なぜ私たちは、心が空っぽになったのでしょうか。なぜこれほどの息苦しさが、この国を覆い尽くしてしまったのでしょうか。その源は、私たちが標準的に受け入れてきた場所にあります。そこは学校の教室です。

私たちは子供時代から強制的に机に拘束されてきました。それは一体何のためだったのでしょうか。豊かな知識や教養を身につけるためだったのでしょうか。

実はそうではありません。それは不当な規則に従う奴隷性として育てるためです。そして、来るべき社会で、不当に利益をむしり取られることに対する高い忍耐力をつけさせるためだけの巨大な調教装置だったのです。その理由で、学校に行けなくなってしまう子供たちの方が心が純粋で間違っていないのです。

教室では、勉強にについていけない子供たちは、置き去りにされました。偏差値教育によってランク付けされ、出身校によってラベリングされ、個人のブランド化が行われたのです。

超一流の大学でに入れば、超一流の官僚である財務省に入り、庶民を金で縛る装置の監視者になります。大手マスコミに入り、情報をコントロールし、庶民には本当のことを伝えません。ごく一部の偏差値の高いだけでバカな奴隷の監視者を高い金で優遇し、一般庶民をコントロールするのに成功しています。

ところが、教室に行けなくなった人々や勉強から置いて行かれた人々は、間違った教育システムから受ける苦痛を敏感に感じ取ることができるだけの正常な感性を持っている証拠です。学校に行って、一生懸命勉強してきた私たちは、どうして、調教装置を有意義なものだと信じて来たのでしょうか。それは私たちの心が空虚だったからです。

全ての生き物、植物、自然は、人間のためにあり支配し、管理することが当然だと思い込まされて来ました。これは、弱肉強食が当たり前だと信じ込まされ、他者を傷つけ、自分も傷つけられることに何も感じなくなっていたのです。

こんな思考停止の加害者であり被害者だった私たち自身が、学校という支配装置を必要としてしまっていたのです。その空っぽの私たちを卒業させた先にあるのが大企業という次の巨大な柵でした。信じて登ってきたはしごは、初めから行き先などなかったのです。


参考文献:ユーチューブ、2025年7月5日、予言が外れた日に始まった「本当の淘汰」。AI時代に沈む人、覚醒する人。#ヴィーガン #糖質制限 #トラウマ

URL<https://www.youtube.com/watch?v=2wh9fA2Jy1M&t=1093s>アクセス日:2025年7月15日


まとめ

2025年7月5日は、大津波の予言があった。一般社会までに及ぶまでに日本中を震撼させたが、その日の海は、非常に穏やかだった。安心した一方で、肩透かしを食らった気持ちだった。

寺子屋は、江戸時代に庶民の子どもたちが読み・書き・そろばんなどを学ぶための民間教育施設。先生となる人は、僧侶、武士、神官、医者など様々な人が務めた。

なぜこれほどの息苦しさが、この国を覆い尽くしてしまったのか。その源は、私たちが標準的に受け入れてきた場所である学校の教室。不当な規則に従う奴隷性として育てるため。来るべき社会で、不当に利益をむしり取られることに対する高い忍耐力をつけさせるためだけの巨大な調教装置だった。


紹介欄

日本国民をつくった教育:寺子屋からGHQの占領教育政策まで

江戸の教育力 近代日本の知的基盤

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