鬼門の方角から鬼すなわち邪気がやって来ます

鬼門の方角から鬼すなわち邪気がやって来ます


この記事の概要

鬼門鬼門の方角から鬼すなわち邪気がやって来ます。邪悪な霊がやって来ると考えられているのです。このようなことが信じられていたので霊的に防がなければなりません。北東は、鬼が出るところなので鬼門を封じ、征伐してしまうという思想です。これは鬼門の謎です。


鬼門の方角

北半球の家というのは家を建てる時にはなるべく、太陽光が入るように窓や玄関は南の方に向いているようにします。家相という家の見方にタブーがあります。北側に居間が向いているとしたら太陽光が入ってこないので寒くなります。

地形や事情があって、できないケースもありますが基本的には南向、東北の方角、北側の方角、しかも東寄り、この方角に関しては、水回り、トイレ、お風呂とかいうものは作らないようにします。

作ると良くないという考え方、東北の方角というのは正に鬼門、鬼の門と書いて鬼門なのです。ここは、おろそかにしておいてはいけない、綺麗にしておかなければならない、という場所なのです。


鬼門の季節、時間、方角

元々は中国の神秘思想に十二支というのがあります。十二支というのは方角と同時に時間も関係しています。丑三つ時とか、子午線とか、午前午後とか、そのような方位と時間の中で、艮(うしとら)(=北東)の方角が北東になるわけです。ここが鬼門、と呼ぶのです。

鬼というのは牛の角にトラのパンツの姿です。これらは江戸時代にできた俗説であるとも言われていますが、元々は、インドにもあったので鬼のルーツは、インドなのだということです。

このような思想は、中国、インドのみならずユーラシア大陸全体にあるのではないでしょうか。何れにしても、艮(うしとら)、これは方角、もう一つは時間、時間の中でも1日の時間、深夜午前二時あたりが丑にあたり、丑三つ時と言われています。

子丑寅の時刻は、夜明け前であり、1日の中で一番暗くて、寒くなるのでが鬼が出る時間帯なのです。

これを一年で考えていくと、艮(うしとら)の季節が節分に当たります。一年を見ても、艮(うしとら)を表すことが出来るわけです。

節分の時に「鬼は外」「福は内」と言われるほどに、寒くて暗い季節に鬼が出てくるのです。日本では、鬼門についてかなり根付いているようです。

十二支の方角であったり時間であったりするところの東北の丑寅の方角が鬼門であるのです。


鬼門と桃太郎

中国の古典の中の山海経(せんがいきょう)という書物、紀元前3世紀頃にできた妖怪めいた本があるのですが、その中に北東の方向に桃の木が生えていた話があります。そこの枝の方角が鬼が出入りするとの記述があります。

これなんかも桃太郎の話に出てくる鬼退治にも似ています。

思想的に桃太郎も中国から来たのでしょうか。桃太郎の家来たちは、猿、雉、犬です。十二支で言うところの申、酉、戌なのです。方角で言うと西になるのです。

西というのは陰陽五行でいうと、金(こん)といって金属の属性があるのです。だからそれをもってして、「鬼と戦うぞ」、「鬼に金棒」、鬼は大体金属を持っています。

「鬼退治には桃をぶっつけろ」みたいな、鬼は桃に弱いみたいです。

桃というのは不老長寿仙薬なのです。昔話にはそのような要素が入っていました。方角で言うところの鬼門、北東の方から鬼はやって来て、かつ北東の方はおろそかにしてはいけないと言うことで色々な御呪いをやるわけです。


鬼門と神社

鬼門には、様々な神社が建っています。江戸や京都でもそうですが、土壌から見て北東の方角は、神社やお寺があります。それらは、鬼門封じだったりします。北東を守る思想は日本文化に根付いているのです。

逆に南西の方角は、裏鬼門と呼ばれます。これは羊申の方角です。東北から南西にかけての斜めの線が鬼門です。京都、江戸、大阪など重要な古い寺は北東から南西に並んでいると言われています。

都市計画のなかで、平城京では鬼門の方向に東大寺、裏鬼門の方向に植槻八幡宮があります。平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺、裏鬼門の方向に石清水八幡宮があります。

鎌倉幕府から鬼門の方向に荏柄天神社、裏鬼門の方角に夷堂 があります。江戸時代の江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺が置かれました。

鬼門には、沢山の神社が並んでいます。鬼門をそこまで恐れた理由とは何なのでしょうか。


鬼門を恐れた理由

その方角から鬼すなわち邪気がやって来ます。邪悪な霊がやって来ると考えられているのです。

このようなことが信じられていたので霊的に防がなければなりません。北東は「鬼が出るところだから鬼門を封じてしまえ」「そっちの方角にいるものを征伐してしまえ」という思想です。

そのため、平安時代には、京都から見て北東、東国、東北の蝦夷を成敗するために征夷大将軍が任命されました。

ちょうど日本列島は、北東、南西に伸びています。本州の最果てが青森です。この地域では、かなり成敗されています。

津軽平野の岩木山と言うのは、岩に樹木の木と書きます。この木を鬼、岩を厳しいと書いて、「厳鬼山」と書くことがあるようです。

近くには、厳鬼山神社があります。その近くに、鬼神社と呼ばれるものもあります。もともと岩木山は鬼だらけで鬼が住んでいるのです。鬼の住む地として封じられています。


裏鬼門

裏鬼門の南西の方角は、熊襲がいます。北東はアイヌがいます。

北東と南西に連なる日本列島の中央部に上陸してきた大和民族にとって、先住民は邪魔な存在です。日本の先住民と言われる方々が朝廷の側からしてみれば鬼として征服されてしまう対象なのです。

民族、国民が違えば人ではないのです。だから殺したり奴隷にするのが当たり前の時代でした。

丑寅で鬼を表します。では裏鬼門の未(ひつじ)と申は何を表すでしょうか。羊は日本にいませんでした。

古代の日本に羊がいたと言う説もあります。群馬県には羊の文字が使われています。群と書いて馬と書きます。群馬には羊と馬がいました。羊太夫がいました。

猿は鬼門封じとして猿があります。鬼門の方角に猿の置物があります。鬼門の方角の比叡山は猿なのです。十二支で鬼門(丑寅)とは反対の方角が未申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりしたと言われています。

京都御所であるが、京都御所の北東角には軒下に木彫りの猿が鎮座し、鬼門に対抗し(猿ヶ辻)といわれ、築地塀がその方位だけ凹んでいて、「猿ヶ辻」と称されてきた説があります。


参考文献:YouTube、鬼門の謎 MUTube(ムー チューブ) 2018年4月号 #3

URL<https://www.youtube.com/watch?v=VlTyvEGaXqo&t=372s>アクセス日:2018年9月9日


まとめ

十二支というのは方角と同時に時間も関係していて方位と時間の中で、丑寅の方角が北東になる

十二支の方角であったり時間であったりするところの東北の丑寅の方角が鬼門である

東北から鬼すなわち邪気がやって来て邪悪な霊がやって来ると考えられている

平安時代には、京都から見て北東、東国、東北の蝦夷を成敗するために征夷大将軍が任命された


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