関東大震災は震度7が3回続き10分揺れた

関東大震災は震度7が3回続き10分揺れた

  • 2020年10月20日
  • 2020年10月20日
  • 社会

この記事の概要

関東大震災は震度7が3回続き10分揺れたのです。極めて異常な地震でした。この地震は、日本における史上最悪の自然災害だったのです。最初のマグニチュード7.9の地震は相模トラフ。二つ目のマグニチュード7.2の地震は東京湾北部。三つ目のマグニチュード7.3の地震は、神奈川県と山梨県の県境付近を震源とする場所でした。

史上最悪の自然災害

1923年9月1日、関東大震災が発生しました。この地震は、日本における史上最悪の自然災害だったのです。100年近く経過しているために、この災害について正確に知っている人が少なくなりました。
1923年の関東大震災とは、どれほどの災害だったのでしょうか。第二次世界大戦前を描くドラマでは、関東大震災の出来事が組み込まれていますが、具体的に表現されたものは多くありません。
1923年9月1日午前11時58分、相模トラフ(Trough:海溝)でマグニチュード7.9の巨大地震が発生し、最大震度7だったのです。この巨大地震が、近い将来に、また確実に発生すると言われています。(相模トラフ:関東地方の南方沖にある海底地形、及びそれに由来する現在活動中の沈み込み帯名です。)
関東大震災については、多くの人に知られていますが、この後にもマグニチュード7以上の地震が立て続けに発生していたのはあまり知られていません。
2度目の地震は、最初の地震から3分後でした。午後0時1分、東京湾北部を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生しました。この時の地震も最大震度7に達していたのです。
3度目の地震は、その2分後に起こりました。午後0時3分、神奈川県と山梨県の県境付近を震源とする場所です。その時は、マグニチュード7.3の地震が発生しています。この地震でも同様に、震源付近が震度7相当の揺れでした。
関東大震災は一つの地震だけではなかったのです。首都直下地震と同じような大きさの地震が3度続けて起きていました。
100年近く前、1923年は、震度の観測点が少なかったのです。そのため被害状況をもとに詳しい震度分布がつくられました。
  • 最初の地震:マグニチュード7.9
  • 二つ目の地震:マグニチュード7.2
  • 三つ目の地震:マグニチュード7.3
これら三つの地震の発生間隔があまりにも短かったのです。人工地震だったのでしょうか。1923年は、まだ第二次世界大戦前です。原子爆弾はおそらく開発されていません。数十キロ深く掘る掘削機もなかったでしょう。なければ、水を注入して水素核融合も起こせません。地震兵器ハープがこの時にあったのでしょうか。どう考えても自然地震だったと思います。

関東大震災は震度7の大地震が3度続いた

どの地震によって被害が出たのかを正確に特定するために分布図が作成されました。近年の研究によりますと、最初の地震が神奈川県や千葉県の南部に大きな被害をもたらしています。
2回目の東京湾北部で発生した地震は、東京都や埼玉県への被害の程度をより大きくしました。関東地方では、立て続けに大きな地震が発生したことで揺れが収まらない状況が続きました。強い揺れが続いた時間は10分間と言われています。
関東大震災とは、一つの地震ではなく震度7の大地震が3度起こり、10分間も激しく揺れていたということです。
関東大震災は、東京で起きた火災の被害が甚大だったため東京の真下で起きた地震と思われています。ところが、地震の揺れによる被害は神奈川県や千葉県の方が大きかったのです。
神奈川県の広い範囲と千葉県の南部を中心に全壊率は30%以上の場所に広がっています。横浜周辺の埋め立て地では、全壊率が80%を超えた所があるほどです。
住宅の倒壊による死者は、神奈川県が最も多く約6,000人です。次いで東京都が約3,500人です。千葉県が約1,300人となっています。住宅の倒壊による死者数だけでは、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の約2倍に達しています。

地震の倒壊よりも火災で多くの人が亡くなった

地震の倒壊による死者数よりも甚大な被害をもたらしたのは、火災でした。地震の発生時刻は、正午前後でした。通常多くの家庭が昼食の準備で火を使います。当時も使っていました。
これが原因で、現在の東京23区と横浜市で多数の火災が発生しました。東京都では136件、横浜では290件もの火災が発生したのです。運悪く、ちょうど接近していた台風による強風も火災による被害を大きくさせました。
東京都では6万人以上が、神奈川県では約2万5000人が死亡しました。痛ましいほどの被害者数です。火災発生件数が東京は、横浜より少なかったのですが、多くの死者を出してしまいました。それはなぜでしょうか。
考えられる要因の一つは、避難した人たちが燃えやすいものを持っていたかどうかが考えられます。東京都では陸軍被服廠跡(りくぐんひふくほんしょう:東京都王子区(現・北区))に多くの人が避難して来ました。ところが、多くの人が家財道具を持って非難していたのです。
燃えやすい木製のものが大量に集まっていました。そこに台風による強風や炎が渦を巻いて被害をさらに拡大させてしまったのです。そこは、火災旋風によって火の海となりました。その場所で、たった1箇所で4万人もの犠牲者を出してしまいました。この時の火災旋風では多くの人が巻き上げられ中には、数キロ離れた場所にまで飛ばされた人もいたほどです。
(火災旋風:竜巻状の空気の渦である巨大なつむじ風が発生して、甚大な被害をもたらすことがあります。この旋風は、人や物を吹き飛ばすだけではありません。その猛烈な風によって急速な延焼を引き起こします)
一方横浜市でも大規模な火災が発生しました。しかしながら、火災による死者は東京の半分以下でした。これは横浜在住の人々が、横浜公園に避難する時に、燃えやすい家財道具などを避難場所に持ち込まなかったことが分かります。
なぜならば、家屋の全壊率が非常に高かったため、家財道具を持ち出すことができなかったからです。また、避難所の管理も徹底されていたようです。公園の入り口で家財道具を捨てさせ、公園内に持ち込まないようにしていたため、燃えやすいものが避難場所にに溢れることはなかったようなのです。
倒壊が甚大だった横浜は、水道管が破裂し大きな水たまりができていたことで、火災から守られたようです。このような偶然が重なり横浜公園に避難した数万人は生き延びることができました。

津波と土砂災害による被害

関東大震災で津波が発生していました。津波による死者は200人から300人ほどと言われています。津波の発生場所が陸に近かったため、地震が発生してから、数分で津波が到達しました。早いところでは、わずか5分で津波が到達しています。
特に津波が高かったのは、伊豆半島の沿岸と千葉県南部です。津波の高さは10メートル前後に達していました。3.11も同規模の津波が発生していましたので、かなり大きな津波だったことが分かります。
山間部では土砂災害が発生しています。中でも現在の神奈川県小田原市に位置する根府川駅では土石流が発生し汽車が駅舎などの構造物と一緒に流され大破し、100人以上が亡くなりました。
地震の揺れによる犠牲者は神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県などの非常に広い範囲に及んでいます。また東京と横浜では火災によって多くの犠牲者が出たことが分かります。

参考文献:ユーチューブ、【震度7連発】関東大震災は恐ろしいほど異常な地震だった!史上最悪の被害をもたらした理由
<https://www.youtube.com/watch?v=VxKG0-jtB38>アクセス日:2020年10月18日

まとめ

関東大震災は日本史上最悪の自然災害だった。

関東大震災は震度7の大地震が3度続き10分間揺れた。

火災によって東京都では6万人以上が、神奈川県では約2万5000人が死亡した。

地震発生から5分で10メートルの津波が発生している。


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