日本には外来種を作り替えてしまう力がある

  • 2025年4月22日
  • 2025年4月2日
  • 歴史

この記事の概要

日本には外来種を作り替えてしまう力があるのです。日本にはユダヤ・キリスト文明のような破壊する力ではなく「作り替える力」が伝統的文化として存続しています。「作り替える力」というのが、日本文明の力であり真髄なのです。日本はキリスト教ですら作り替えて、受け入れるようになると述べられていますが、実際に古代日本では、ユダヤ人が日本に同化し、キリスト教徒でさえも信仰を捨て日本に同化した歴史があるのです。


日本人が持つ力とは

日本人が持つ本当の力とは、我々が過去何千年に渡って、DNAの中に伝わっているのです。日本の力というものを再認識すると、それが今こそ、それを行わなければならない時期に来ています。

その力とは何かというと、日本の最高峰と言える作家である芥川龍之介の短編集の中に出て来ます。短編小説を芥川龍之介は数編書いております。その中の1つに「神神の微笑」があります。「神神の微笑」というのは、まさにザビエルが、キリスト教を日本に伝えて以来、日本をなんとか、キリスト教化しようと考えたのです。

日本にキリスト教の布教のために、次々と宣教師が来るのですが、その中の1人は、実在の歴史上の人物です。オルガンティノです。国籍的にはイタリア人ですが、オルガンティノという実在した宣教師の話です。

彼は、安土・桃山時代、日本で宣教した人物です。その当時、なかなかキリスト教の布教がうまく行きませんでした。そこで悩んでいるところに、古来から日本を守っている老人の霊が現れます。その老人の霊とオルガンティノとの対話形式で小説は進んで行きます。

結論から言えば、この小説は26ページですから30分もあれば読めるような短編です。しかしながら、「一番優れている」と言ってもいいぐらいの日本文化論であると思えます。

芥川龍之介は、この老人の霊とオルガンティノの対話を通じて、日本の古来の力、日本の伝統の力と言うものについて説明しているのです。

要するに、その2人の中でどのような会話がなされたかというと、オルガンティノに対して、その日本の古来の霊は、キリスト教は日本において、布教は成功しないと言うわけです。

それに対してオルガンティノは、「そんなことはない」と反論します。「今日も2、3人の侍が改宗した」と。

「だからキリスト教は必ず勝つはずだ」とこういうことを言うわけです。でもその先が面白いのです 。日本を守ってきた霊は、「何人でもキリスト教、キリシタンにはなるでしょう」と。

そこでオルガンティノは、「ただ単に、キリシタンになるだけの話なら、日本は、例えば、今やほとんど日本人が仏教徒にもなっていますよ。この仏教も異教の宗教じゃないですか」と答えます。

これに対して古来の老人は、「私たちの力である日本の伝統的な力というのは破壊する力ではありません。作り替える力なんです」という言葉を残して去るわけです。

この破壊する力とは何か、それは芥川龍之介は、明示的には言っていませんが、これはユダヤ ・キリスト教文明だと思っています。

そして、それを「作り替える力」というのが、日本文明の力なのです。これが真髄です。実は、「この日本はそのキリスト教ですら作り替えて、受け入れるようになるだろう」と。受け入れるとすれば作り替えて受け入れることになるだろうということを示しているわけです。


キリストでさえ日本人になる

ひょっとすると、キリスト自体も日本人になってしまうかもしれないということです。例えば、今我々のほとんどの日本人は仏教徒ですけれども、それは檀家仏教と言いますか色々な日本人が開祖の宗派に属している仏教徒がほとんどなわけです。

つまりいつの間にか釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が、何か日本化してしまったと言う意味では、日本人になってしまったという風にも言えるわけです。

同じように、「キリストも日本人になってしまう可能性がありますよ」と示唆しているわけです。しかしこの小説の重要なところは、そこで終わっているわけではありません。重要なところはもう1つあります。

日本の作り替える力とは、外来の文物を「日本的なものに作り替える」という力です。土着化する力と言うことです。

それと同時に、当時この小説が書かれたのは1922年、大正11年です。その段階で、まだこの「ユダヤ・キリスト教文明と日本文明との戦いの決着はついてない」ということを強調しているのです。

実はこの点が非常に重要なのです。芥川龍之介が生きていた時代は、まだ完全に日本がその「作り替える力」を発揮してキリスト教文明を日本的な文明に作り替えられていなかったということです。まだ完全には作り替えてないということを言っているわけです。


ユダヤ・キリスト文明と日本文明

その決着はどのようにつけるかというと、大正以降の日本人の授業は、我々の生き方と言ってもいいのですが、それによって決着がつく問題だという風に言っているわけです。

ですから今からほぼ100年前ですが、その時には、まだユダヤ・キリスト教文明と日本文明との間の決着が、実はまだついていなかったわけです。

芥川龍之介はいずれ、我々日本人が芥川龍之介に続く世代の日本人が、「その決着をつけることになるだろう」という言葉を残しています。

そこで、この短編小説は終わっています。実はそれが「そう簡単なことではなかった」と。

儒教の文献には、中国語の文献が入ってきたのですが、中国語読みせずに日本語読みして、儒教を日本語化してしまいました。

日本語化、日本化してしまったということから始まって、仏教が日本に伝来しましたが、仏教はいつの間にか神仏習合の元で日本的な檀家仏教に変られてしまったということを含んでいるわけです。

それでは、キリスト教もそうなるだろうと言うのが、芥川龍之介の想定でした。しかしながら、それはそう簡単ではないということは、彼自身も認めていたわけです。


国体の本義

ところが、それから15年後に、当時の文部省から国体の本義という小冊子が発行されたのですが、その国体の本義は何を書いているかと言うと、まさに芥川龍之介が指摘したもので、言葉は違っていますが、いわゆる「作り替える力」というものが十分に発揮されてないから、今の日本の思想会の混乱というのは、日本社会の混乱に繋がっているのです。

だから今こそ我々が国体の本義を発揮して、この外来思想というものを土着化しなければならない、つまり日本化ということです。それを取捨選択して、日本の国情に合うものと合わないものを取捨選択して、それを日本人にとって受け入れやすいように改良して受け入れる作業を 土着化、日本化するのです。

その作業がまだ十分できてないと言うことを、その国体の本義が指摘しているわけです。それは、当時の日本人に対する一種の警告でもあったのです。

1937年というのは、その年の7月からいわゆる支那事変が始まる年です。これについては歴史の問題として、価値のある問題で1937年の段階で日本の思想会は混乱していたということなのです。

それは日本が本来持っている土着化する力、芥川龍之介に言わせれば、「作り替える力」を発揮できなかったからだというのが、国体の本義で述べられている点です。

結局 、芥川龍之介の指摘から15年後に、国体の本義は発行されました。つまり15年経ってもその決着はつけられてなかったといえば、日本の思想会が以前として混乱してたということになるのです。


思想の混乱の中大東亜戦争に突入

それゆえ、大東亜戦争に突き進むかのように巻き込まれていくことになるのです。その1つの原因が日本国内における思想の混乱であったと言えます。

大正デモクラシーと言う形で我々は、学校では習っていますが、皮肉って言えば大正以来、明治から始まっていますが、外来思想と日本思想との戦いが、まだ決着がついていないということです。日本の思想が自由主義、民主主義あるいは社会主義、共産主義そういう外来の思想によって日本の思想会が混乱していました。

その混乱のまま大東亜戦争に突入したと言うか、その混乱故に大東亜戦争に突入してしまったと見ることもできます。

その混乱ゆえにということは、我が国の伝統的な思想という思想あるいは生き方あというものが十分発揮されなかったから、ある意味では、アメリカだけではありませんが、アメリカなどが仕掛けてきた日本への挑発に対して我々はその挑発の本質というものを見抜くことができなかったと歴史を解釈していくことも可能なのです。

まさに芥川龍之介が指摘したこの「作り替える力」を十分発揮できなかったゆえに、日本は大東亜戦争に突入し、それからGHQの占領期間を得て今日まで今日に至っているのです。


作り替える力は存続している

実のところ、古代ユダヤ人は、日本に数回に分けて渡来し、日本人に同化している。彼らの信仰捨て、日本の太陽信仰、自然崇拝を選んでいるのです。

キリスト教徒は蘇我氏にあるように「我蘇り」、蘇我氏が聖徳太子を厩戸皇子とさせキリスト教化を図ろうとしましたが、神道・仏教の方が精神的に優れていたので、皆日本に同化してしまいました。


参考文献:YouTube、【馬渕睦夫】世界中で日本人だけが持つ〇〇という能力。日本人の皆さん、たった12分ですので、馬渕先生のお話を聞いて日本人の底力に気が付いてください。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=VaTJCL_POVw&t=4s>アクセス日:2025年3月30日


まとめ

この破壊する力とは何か、ユダヤ ・キリスト教文明だと思っています。それを「作り替える力」というのが、日本文明の力であり日本の真髄である。

日本の作り替える力とは、外来の文物を「日本的なものに作り替える」という力です。土着化する力。芥川龍之介が生きていた時代は、まだ完全に日本がその「作り替える力」を発揮してキリスト教文明を日本的な文明に作り替えられていなかった。

100年前には、ユダヤ・キリスト教文明と日本文明との間の決着が、まだついていなかった。芥川龍之介に続く世代の日本人が、「その決着をつけることになるだろう」と言葉を残しているが、そう簡単なことではなかった。

国体の本義には、芥川龍之介が指摘したもので、言葉は違っているが「作り替える力」というものが十分に発揮されてないから、今の日本の思想会の混乱というのは、日本社会の混乱に繋がっている。

日本には全て意を受け入れあらゆるものを包み込み日本にどうかさせている。


紹介欄

神神の微笑

[新装版]国難の正体 ~世界最終戦争へのカウントダウン

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