古代イスラエル人は日本に来ていた

古代イスラエル人は日本に来ていた

この記事の概要

古代イスラエル人は日本に来ていた可能性が非常に高いようです。イスラエルとの共通点は、神社と古代ソロモン神殿、鳥居の由来が過越の祭り、狛犬は、ダビデ王統を担うユダ族のシンボルであるライオン、種入れぬパンとお餅、祇園祭とローシュ・ハシャナの新年祭と関わり、契約の箱とお神輿、世界でもまれなヤップ遺伝子が挙げられます。


日本人のルーツ

日本人のルーツはどこにあるのでしょうか。歴史で学んだのは、日本人は、縄文人と弥生人が大昔に日本列島に辿り着いて文明を起こし、日本という国家を築いたと考えられています。
竹内文書によれば、人類の全ての起源は日本にあるとされています。太古の世界文明は縄文文化に覆われていて平和な暮らしをしていたようなのです。
ここでは、日本人のルーツが古代イスラエルにあるとする日ユ同祖論に基づいて考察してみます。ここでは、ユダヤ人とは、古代イスラエルの民を指しています。現代のユダヤ人は、ユダヤ教に改宗すれば、どの民族でもユダヤ人と認められます。その意味で、血統的な意味での古代イスラエル人をユダヤ人と呼びます。

イスラエルとの共通点

イスラエルは、日本から9000キロメートル以上も離れた中東の国です。日本人のルーツが、遠く離れた地にある理由は、日本と古代イスラエルには共通点が数多くあるのです。それらは偶然ではありません。
日本でには、どこに行っても神社があります。神社は、心の拠り所であり、文化に深く根付いてきました。日本の神社の構造が、古代イスラエルの神殿に非常に似ています。イスラエルの民は、約束の地カナンに向かって旅している途中、いつでも、どこでも、神を礼拝できるよう幕屋と呼ばれる移動式神殿を設置していました。
幕屋は、周囲を幕や板で囲み、その中で神に捧げる祭祀が行われました。囲むという概念は、日本の神社でも見られます。祭祀は極秘とされています。
幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれています。祭壇には、灯をともす常夜灯がありました。また古代イスラエルには水で身を清める風習があります。祭壇の脇には手を洗う水盤がありました。日本の境内には、手水舎と呼ばれる水を溜めた水盤があります。
日本の神社に置かれているお賽銭を入れる箱が、古代ソロモン神殿にも置かれていました。また神社内の構造だけでなく入り口にも共通点を見ることができます。

神社の前にあるもの

鳥居はヘブライ語で門という意味です。鳥居のほとんどは、赤い色が印象的です。この色は、旧約聖書がルーツと考えられています。モーセが、神の災いからヘブライ人を守るために、玄関口の2本の柱と鴨居にヒツジの血を塗って中で待つように指示しました
神社の入り口に欠かせないものは、狛犬です。狛犬は、中近東の古代神殿から日本と同じようなものが多数発見されています。狛犬の原型は、オリエントインドにおけるライオン像であると言われています。ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルです。日本の狛犬は、犬というよりは、ライオンに似ています。
「狛犬とは」:獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。 引用元:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 最終更新 2019年9月3日 (火) 20:06 (日本時間)現在での最新版を取得。

過越の祭りと正月

イスラエルでは毎年3月末から4月はじめ頃、過ぎ越しの祭りペサハと呼ばれる宗教的記念日があります。旧約聖書の出エジプト記に由来とする大きなお祭りです。
過越またはペサハ とは、ユダヤ教の宗教的記念日。家族が食卓につき、マッツァーやセーデル等の儀式的なメニューの食事をとって祝う。期間はユダヤ暦ニサン月15日から一週間である。ユダヤ暦は太陰太陽暦であり、初日のニサン月15日はグレゴリオ暦3月末から4月頃の満月の日となる。 引用元:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 最終更新 2020年5月3日 (日) 18:12 (日本時間)現在での最新版を取得。
この日は、ユダヤ教でいう新年の祭りで、日本の年越しと同じように家族で寝ないで夜を明かすとのことです。過ぎ越しの祭りの日に限って彼らは マッツァーと呼ばれる種無しパンを食べます。種無しパンとは、酵母を使っていないパンのことです。
マッツァーとは、過ぎ越しの祝いで食べられる、酵母の入らないクラッカー状のパン。イディッシュ語風の発音ではマッツォーという。 トーラーの出エジプト記によれば、イスラエル人がエジプトから脱出するとき、パンを発酵させ膨らませる時間がなかったため、マッツァーができた。 引用元:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 最終更新 2020年3月12日 (木) 13:30(日本時間)現在での最新版を取得。
過越の祭りでは、丸く平べったくしたマッツァーを祭壇の両脇に重ねて備えます日本のお正月にお餅を食べたり、お餅を重ねて鏡餅を用意する文化にとても似ています。
お正月にお餅のようなものを食べ、お供え物を用意するという文化との繋がりがあるようです。また過ぎ越しの祭りは全部で7日間と規定されています。日本のお正月も、7日間は、正月気分が続きます。お正月の松飾を飾る期間もこの松の内に言われるように松の内の期間内だけ飾ることになります。つまり1月7日ごろまでです。

シオン祭りと祇園祭り

古代イスラエルでは、シオン祭りというお祭りがあったと言われています。シオンとは、イスラエルのエルサレム地方の歴史的地名です。毎年7月17日の前後に3週間かけて行われていたようです。
日本には三大祭りの一つである京都の祇園祭があります。この祇園祭は、7月17日に行われます。そのため祇園はシオンがなまったものではないかとも言われています。山鉾巡行で飾られるタペストリーには、古代イスラエルとのつながりを思わせる絵柄でいっぱいです。
祇園祭は、日本の雰囲気を想像しますが、タペストリーの絵には、イラクのバグダッド神殿、旧約聖書に関する事などが描かれています。神道のお祭りとは、関係のないもののように思われます。
イスラエルには、シオン祭りのような名前の祭りはないと主張する人もいます。イスラエルで行われている行事の一覧を見てもシオンの文字はどこにもありません。
ティシュレーの月には約3週間にわたりローシュ・ハシャナと呼ばれる新年祭やヨム・キプールと呼ばれる贖罪日などの祝際日が続いているようです。ティシュレーば9月から10月にあたる月なので7月の話とは無関係に思えます。
過越の祭りも正月的行事になります。過ぎ越しの祭りはニサンの月太陽暦では3月から4月にあたる月に行われるのですがティシュレーの月にもローシュ・ハシャナという新年祭があるってどういうことなんでしょうか。
イスラエルでは、一年に二度も年越しがあるようです。ユダヤ暦には、春から一年が始まる宗教歴と秋から一年が始まる政治的の2種類があります。現在はユダ王国が使っていた後者に準拠しているということです。
聖書では第一の月は、過越の祭りのあるニサンの月とされていました。ティシュレーの月は第7月にあたります。つまり宗教歴で考えるとティシュレーの月は7月とも言えるのです。
そう考えると一概に無関係ともいえないのかもしれません。ローシュ・ハシャナの新年祭では3週間のお祭りの中でスコットという巡礼のお祭りがちょうどクライマックスになります。
ローシュ・ハッシャーナーはユダヤ暦の新年祭。年の頭という意味である。ロシュ・ハシャナとも表記される。ハショノはイディッシュ的発音である。 「主はモーセに仰せになった。 イスラエルの人に告げなさい。 第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、 聖なる集会の日としなさい。 引用元:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 最終更新 2017年8月11日 (金) 09:29 (日本時間)現在での最新版を取得。
これが祇園祭の山鉾巡行にあたるようです。7月17日は、旧約聖書の創世記で語られているノアの箱舟にも関係しています。聖書での7月17日は大洪水の後にノアを乗せた箱舟がアララト山に漂着した聖なる日です。シオン祭という名前は古代イスラエルの人々が呼んでいたのかは、定かではありません。第7の月に祇園祭に似たお祭りがあったことは確かなようです。

契約の聖櫃アークとお神輿

イスラエル王国には、契約の聖櫃アークという宝がありました。アークはモーセが神から授かった十戒石版、アロンの杖、まなの壺などを保管するための特別な箱です。ユダヤ教にとって、非常に神聖なものでした。
北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされた後、失われた十支族として行方が分からなくなりました。日ユ同祖論は、その失われた十支族の一部が日本列島にたどり着いたという仮説です。
イスラエル王国を滅ぼしたアッシリア帝国は、アークを探しましたが見つけることができませんでした。アークも十支族と共にどこかへ消えてしまったのです。西欧の学者たちは失われた十支族とアークの行方について世界各地へ赴き研究を行っています。
日本国内では、アークが眠っている場所として徳島県の剣山が挙げられています。修験道の聖地にして霊山である剣山です。ここにアークやソロモン王とその一族が持ち込んだ大量の金貨が眠っているという噂があります
アークの形は、日本のお祭りでもよく見られるお神輿にそっくりです。旧約聖書にはアークの作り方が克明に記されていますが、その作り方も日本のお神輿にそっくりなのです。
アークは、全体が金で覆われており、上部には2つの天使ケルビムの像が羽を広げて向かい合っています。日本のお神輿も金で覆われていて上部には鳳凰の像が大きく羽を広げています。アークには、日本のお神輿のように担ぐための2本の棒が貫通しています。この棒は絶対に抜いてはならないとされています。
実は、日本のお神輿の棒も祭りが終わったあとも抜かないままで保管されています。剣山では、毎年剣山本宮例大祭が開かれます。神輿を担いで山頂まで登るというものです。これもアークを運んでいた名残のように思えます。このお祭りの開催日も、7月17日なのです。

ヤップ遺伝子

日ユ同祖論は、風習の類似だけでなく遺伝子研究の観点からも注目を集めています。ヤップ遺伝子は、世界から見ても稀な変異遺伝子です。それは、日本人と古代イスラエルの民が顕著に持ち合わせている非常に珍しいものです。日本人の40%がこの系統樹のD系統だと言われています。
失われた十支族は東を目指し日本列島にたどり着いたのか、竹内文書の記述のように、もともと発祥が日本だったのかは、定かではありません。今後もこの考察は続けていきたいと思います。

参考文献:ユーチューブ:ハテナ見聞録【日ユ同祖論】日本人のルーツは古代イスラエル?驚くべき共通点の数々…

URL<https://www.youtube.com/watch?v=A2iPcJ6rIwo&t=614s>アクセス日:2020年6月16日


まとめ

日本人のルーツの仮説に、失われた十支族が日本に到着しているため、古代イスラエル人との繋がりがある。

神社と古代ソロモン神殿には多くの共通点がある。

過越祭りと正月には関係が深い。

祇園祭はローシュ・ハシャナの新年祭と関わりがある。

契約の箱と神輿は非常に似ている。

古代イスラエル人と日本人の40%の遺伝子は共通性がある。


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