聖徳太子が教科書の歴史から抹殺されようとした

聖徳太子が教科書の歴史から抹殺されようとした

この記事の概要

聖徳太子が教科書の歴史から抹殺されようとしたのです。その裏には皇室を消したい人々の陰謀が渦巻います。世界統一政府を樹立しようとしている国際金融資本にとっては、日本の皇統は邪魔です。2千年以上も続く皇統の仕組みを作った聖徳太子の存在は、なおさら歴史から消し去りたいのです。


なぜ聖徳太子は教科書から消されかけたのでしょうか。聖徳太子が教科書から消されかけようとしていました。なぜ聖徳太子は教科書から消されかけたのでしょうか。実は、その裏には皇室を消したい人々の陰謀が渦巻います。
聖徳太子は飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。 「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子、厩戸王という名が本名とされることも多いが、戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見えない。
ウキペディア:最終更新 2021年10月31日 (日) 05:53
ほとんどの人々には、聖徳太子について知られていないことがあります。聖徳太子は、日本の皇統が2000年以上続くある仕組みを考案し、実用化した人物でした。
そのため皇室の存在が好ましく思わない人物は、聖徳太子を消すことを画策しました。聖徳太子が作った日本人にとって必要不可欠な仕組みの存在そのものを消す必要があったからです。
その隠された陰謀とは、聖徳太子が生きていた飛鳥時代に起こったある事件まで遡る必要があります。それは、日本国が建国された2681年の歴史において、唯一天皇が暗殺された事件でした。
この事件の背後を知ることで聖徳太子が教科書から消されかけたことの全貌が見えてきます。

蘇我馬子の野望

今から1500年前の飛鳥時代、日本を手中に収めようと画策している豪族がいました。
飛鳥時代は、日本の歴史の時代区分の一つ。広義には、飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年から和銅3年にかけての118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年にかけての102年間。飛鳥時代は古墳時代、大和時代の終末期と重なるが、今日では分けて捉えるのが一般的である。発生年:西暦592年
ウキペディア:最終更新 2021年10月30日 (土) 10:17
その名は蘇我馬子です。彼は、「将来、この蘇我の手中に日本を収めてみせるぞ!」と彼にはこのような野心がありました。しかし、蘇我馬子には物部守屋(物部 守屋は、古墳時代の大連。物部尾輿の子。死亡日: 西暦587年7月)というライバルがいました。
蘇我 馬子は、飛鳥時代の政治家、貴族。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。 敏達朝で大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。
ウキペディア:最終更新 2021年9月18日 (土) 03:12
聖徳太子が存命中、飛鳥時代には、蘇我氏と物部氏が権力争いを繰り広げていましたところが、西暦587年、蘇我馬子が物部守屋に攻撃を仕掛けたのです。これによって、その均衡は崩れ、蘇我馬子は勝利し、豪族の中で格別に権力を手にしたのでした。
蘇我馬子の権力欲は、物部守屋を討ち滅ぼしただけでは止まりませんでした

天皇暗殺事件

当時の日本には、豪族の蘇我馬子よりも強い権力を持つ存在がいました。
その存在とは天皇です。蘇我馬子は、天皇の権力すらも我が物とするために、謀を練っていました。それは、自分の言いなりになる人物を次の天皇に皇位を継承させて、裏から政治を牛耳ることでした。
当時次の皇位を継承する天皇の有力な候補は2人いました。蘇我馬子はそのうちの1人を抱き込み、もう一人の天皇候補を殺害したのです。こうして、蘇我馬子は自分の息のかかった人物を崇峻天皇として即位させることに成功しました
蘇我馬子は崇峻天皇に指示して法興寺を建立しました。まさに天下は、蘇我馬子のものとなったのです。しかしながら、蘇我馬子にとっては一つ誤算がありました。それは、彼が操り人形にした崇峻天皇が蘇我馬子に刃向かう様になったことです
皇位継承した頃、崇峻天皇は自分が天皇に即位するのに貢献した蘇我馬子を慕っていました。時が流れて、彼は自分よりも権力を持つ蘇我馬子を目障りに感じ始めました。
そのことを噂で聞いた蘇我馬子は危機感を募らせ、殺される前に崇峻天皇を殺してしまおうと画策しました。崇峻天皇を偽りの儀式で呼び出し暗殺してしまったのです。

聖徳太子があえて天皇にならなかった理由

この暗殺事件によって、聖徳太子は深い悲しみに暮れていました。なぜなら、暗殺された崇峻天皇は聖徳太子の叔父だったからです。聖徳太子は皇室の血統であり、生まれながらのエリートでした。暗殺された崇峻天皇の次の天皇の候補には、聖徳太子の名前が挙がっているほどだったのです。
まさに彼こそが次の天皇になるべきだと皆の者たちが思っていました。しかし、聖徳太子は天皇になりませんでした。聖徳太子は、天皇になることを切望されていたにも関わらず、あえて天皇にならなかったのです。
それには自分の叔父である崇峻天皇の暗殺事件が深くかかわっていました。聖徳太子は二度とこのような悲劇を起こさないようにある戦略を立てました。
聖徳太子が考えた戦略こそが、途切れることなく現在まで皇統が続くためになくてはならないものだったのです。

聖徳太子の戦略とは

聖徳太子は、「なぜこの暗殺事件が起こったのか」その原因を考えました。そこで一つの結論に達したのです。それは一人の人間が絶対的な権力を持つ構造が、暗殺事件の原因であるということでした。
崇峻天皇が殺されてしまったのは、「一人の人物が絶大な権力を握ると、その権力をめぐって闘争が起こる」ことでした。その結果、暗殺事件が起こってしまったということです。いつの時代でも、一人の人間が絶対的な権力を握ると絶対的な権力の座を奪おうと企む者が現れます。
君主は絶対的な権力を誰にも奪われたくないものです。その摩擦や軋轢が生じ、権力闘争が起こってしまうのです。
実際に、崇峻天皇までの天皇陛下は、天皇の血を引いているという伝統の権威があることはもちろん、政治のトップに君臨し、絶対的な権力を握っていました。
このような権威と権力を握った一人の人物がいると必ず闘争が起こることを歴史が証明しています。例えば海外の王様の一族は権威はもちろん絶対的な権力を握っているために、権力の奪い合いが頻繁に起こりました。
スペインの王の座をフランス人が奪ったり、イギリスの王の座をドイツ人が奪ったり、熾烈な戦争が絶えず起きてしまっていたのです。実際に、欧州では14世紀から18世紀の間だけで、20回以上も王位継承権を巡って戦争が勃発し、権力闘争が繰り返されています。
この様な権力闘争は欧州だけではありません。中国でも今まで80回以上王朝が入れ替わりしました。平均すると25年で王朝が変わり、そのたびに権力闘争が起こっています。一人の人間が絶対的な権力を持つ構造の国では、その権力を巡って何度も争いが起こってきています。
この権力争いの構造を理解した聖徳太子は、彼以前も以後も世界中の誰も考えつかなかった戦略を見出したのです。日本だけが万世一系の皇統2千年が続くメカニズムを聖徳太子が考えました。
その戦略とは、権威と権力を握っていた天皇から権力を切り離すことでした。
つまり権威と権力を持っていた天皇から、権力を切り離すことによって、天皇は極力政治の表舞台には立たない構造にしたのです。次の皇位継承者として聖徳太子は備わっていましたが、あえて自分は天皇の座を捨て政治のトップとして権力を握ることにしました。
そして、推古天皇を天皇に推挙し、自分は日本初の摂政(幼帝・女帝に代わってすべての政務をとった職)となったのです。つまり聖徳太子が政治の表舞台に立ち、推古天皇は政治に関わらず、権威として日本を支える存在となりました
推古天皇は、日本の第33代天皇。 在位期間は36年、『古事記』では 37年で、歴代天皇の中では最初の女性天皇。最も在位期間が長い女性天皇、最も長生きした女性天皇である。また、女性君主は当時の東アジアではまだみられなかった。諱は額田部皇女。和風諡号は豊御食炊屋姫尊。炊屋姫尊とも称される。
ウキペディア:最終更新 2021年9月21日 (火) 14:42
実際推古天皇は隋の使者の接見すらしませんでした。聖徳太子に任せていたのです。これで政治の表舞台に立たない天皇は権力闘争に巻き込まれることはなくなりました。
日本の歴史を振り返ると織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者は次々と変わりましたが、政治の表舞台に立たない天皇は倒されることなく現代までその皇統をつなげてきています。
このような権威と権力を分ける構造をとっている国は日本以外にはありません。どの国も権力闘争を繰り返し、同じ国民同士で多くの血を流してきたのです。
まさにこの権威と権力を分ける聖徳太子の創意工夫こそが、世界で日本だけが万世一系の2000年以上続く皇統を持っている大きな要因の一つです。

GHQが日本人に仕掛けた2つの洗脳

学校で習う教科書のたった1、2行の中にはこれだけの物語が詰まっているのです。聖徳太子こそ日本の礎を築いた英雄でしたしかしこのような聖徳太子の功績は戦後、教科書から消されていったのです。
それはなぜでしょうか。その原因は戦後に行われたGHQの検閲と教職追放でした。戦後、GHQは、占領期間に日本が二度と立ち上がれないように、日本人の精神を破壊し、日本の歴史を消し去るために検閲と教職追放を行いました。
GHQの検閲によって教科書、新聞テレビをはじめ国民の目に触れるすべてのものがGHQにとって都合のよいように書き換えられました。さらに日本政府内の1万人に及ぶ検閲従事者が、電話での盗聴、私信の開封も公然と行い違反した者には、沖縄での重労働3年なる刑罰が科されていました。まさに全体主義の共産党政権そのものです。
日本を内側から滅ぼしたのもアメリカという外側から滅ぼしにきた存在も、全て国際金融資本の手段である全体主義・共産主義だったのです。
教職追放とは、日本の歴史を教えていた多くの教員教授を戦争協力者として追放するものでした。このGHQの検閲と教職追放によって、12万1000人の教員が職を奪われてしまいました
残念なことに、その間、空いてしまった教職員のポストに戦前の犯罪者や共産主義者が大量に流れ込んだのです。この思想を受け継いだ先生が生徒を教えました。先生たちの多くが気持ち悪い教えをしてくれましたね。共産主義は暴力的でもありました。表向きは平等の様に見えても、格差社会を築きました。偏差値狭域を作りました。できない子達を置いてきぼりにしました。

歴史学者にねじ曲げられた日本の歴史

こうして、小学校から大学に至るまで戦後の歴史学会歴史教師は戦前の犯罪者や共産主義者で満たされました。歴史学は反日、左翼の巣窟と化していったのです。
教科書では、十七条の憲法など、当たり障りのないことしか学ぶことができませんでした。2017年には、聖徳太子の存在そのものまで消されそうになりました。
特に聖徳太子の時代のような古い時代は、近代に比べて客観的な証拠が少ないために、反日教育を刷り込むための格好の材料とされてきたのです。
その結果、歴史の教科書ですら嘘が書かれてしまいました。歴史を学べば学ぶほど愚かになるようになるのです。古い日本の歴史でねじ曲げられたのは聖徳太子だけではありませんでした。
ここまでするのかと思われるほどの愚行を犯したのです。天皇の祖先は朝鮮人、神武天皇から開化天皇までは架空の天皇、騎馬民族が日本を征服し、大和朝廷を立てたなどと日本を貶めるような嘘が、現在もはびこっているのです。
このような嘘を刷り込まれることで日本人の子供たちは自虐史観に染まり、自らの存在を軽視し誇りを持てなくなってきています。
最新の科学と客観的なデータをもとに歴史を読み解いていくと、日本の歴史教育は、いかに嘘まみれだったのかということが判明してきました。
データに基づかず根拠のない反日教育を事実と思い込んで受け入れ続けていると、世界最古かつ最長の文明、そして世界に誇るべき2000年を超える皇統を持っているのにもかかわらず、日本を受け継ぐ子供の代や孫の代には古来から続く日本民族としての一体感と誇りを失い日本人としての魂が完全に消えてしまうのを危惧します
日本人の尊厳を根本から否定する反日組織に対して、日本人のルーツに関する嘘を見破り、日本人としての自覚を取り戻し、日本に蔓延する嘘を真実に置き換える必要があるのです

参考文献:ユーチューブ、唯一の天皇暗殺事件から読み解く〜聖徳太子が教科書から消されかけた謎(三橋貴明)
<https://www.youtube.com/watch?v=PoxNtXQMKrg&t=393s>アクセス日:2021年11月10日

まとめ

日本皇統は世界から見ても最も誇れるものであり、また妬まれている存在でもあります。世界統一政府にとっては、皇統を早くなきものにしようとしているのです。


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