聖徳太子が忍者、志能便(しのび)を組織した

聖徳太子が忍者、志能便(しのび)を組織した

この記事の概要

聖徳太子が忍者、志能便(しのび)を組織したのです。聖徳太子が物部氏との戦い(丁未の乱)で、配下の「大伴細入」に情報を収集させたり、敵をかく乱させたりする任務を与え、彼に「志能便」という称号を与えたという伝説が残っています。これが日本最古の忍者の原型の様です。


忍者を最初に組織した聖徳太子

ソ連崩壊まで続いた「KGB」も日本の忍者のことを勉強しました。日本の諜報機関は陸軍中野学校が有名です。そのルーツが忍者だったのです。

日本には、忍者は今でもいます。忍者とは、忍者服部くんみたいな格好をして手裏剣を投げるばかりではありません。忍者には、「上忍」、「中忍」、「下忍」があります。

その「上忍」「中忍」「下忍」は、江戸時代の忍術書『万川集海』(江戸時代前期、伊賀の忍びの子孫に著された最もくわしい忍びの秘伝書)などに記された役割分担や階層を指す言葉です。上忍は組織の指導者や企画者、中忍は現場の指揮官、下忍は実際に任務を遂行する実行部隊として分類されます。

日本書紀に「しのび」と出て来ます。日本書紀に「しのび」という言葉や概念に関連する記述は存在しますが、世間一般に知られている「忍者」のような専門的なスパイ活動を指す言葉ではありません。主に「敵を偵察する」「隠れて行動する」と言った任務の表現として登場します。

ところで、忍者を最初に組織した人は誰なのでしょうか。「しのび」を組織したのが聖徳太子なのです。この字は、志能便(しのび)と書きます。「忍」ではありません。志能便(しのび)の称号を与えたのが聖徳太子です。

聖徳太子が物部氏との戦い(丁未の乱)で、配下の「大伴細入(おおとものほそひと)」に情報を収集させたり、敵をかく乱させたりする任務を与え、彼に「志能便(しのび)」という称号を与えたという伝説が残っています。これが日本最古の忍者の原型の様です。


忍者

忍者で有名なのは 服部半蔵す。 服部半蔵の出身は伊賀です。伊賀とか甲賀とか言われますが、ともに同じです。元は同じ伊賀なのです。漢字の「伊」とは、「甲」の字を崩すと伊と全く同じになります。伊賀の忍者には服部氏族の子孫である「千賀地」「百地」「藤林」の三家がありました。この人々はすべて秦氏です。

伊賀流忍者の「三大上忍」とされる服部氏、百地氏、藤林氏は、一般的に秦氏の一族であり、その末裔なのです。これらの氏族は、渡来系氏族である秦氏のルーツを持つとされ、伊賀の地で土着して忍者(上忍)の家系となりました。

三重県には、伊賀の上野があります。その出身の俳人に松尾芭蕉がいますが、彼は秦氏なのです。京都の松尾大社を創建した秦氏がユダヤ系であるという説に基づいています。

松尾大社は、古代の渡来人である秦氏(秦都理など)によって創建されました。秦氏は技術や文化に優れた一族で、彼らが古代イスラエルから渡来したネストリウス派キリスト教徒(ユダヤ系)でした。秦氏は松尾大社の背後にある松尾山の周辺に定着しています。


松尾芭蕉の使命

服部とは秦氏です。その理由で、松尾が忍者でもあるのです。「奥の細道」とは何だったのでしょうか。何のために行ったのでしょうか。すべて行った場所は、キリシタンのところだったのです。キリシタンがいるところへ調査に行ったのが本当の目的でした。

秦氏は、ユダヤです。「反乱分子を探す」意味で日本を巡ったのです。その「反乱分子」とはイエズス会です。イエズス会の目的は、日本侵略です。侵略しに来ていました。

奥の細道は、東北のキリシタン遺跡巡礼でした。芭蕉の旅は、仙台伊達藩や米沢上杉藩など、幕府からキリシタンに対して取り締まりが不十分と睨まれていた大藩の動向を探る「隠密」の役割があったのです。その道中で、特に仙台〜尾花沢間にあるキリシタン伝承地や隠れキリシタンが使ったとされる「日繰り」(ひぐり)の情報を探ったと言われています。

(「日繰り(ひぐり)」とは、主に長崎地方で、江戸時代の禁教下においてキリスト教の祭日(イースターやクリスマスなど)を密かに把握し、信仰を維持するために使われた太陰暦ベースの独自の教会暦)

山形県(現・酒田市)の「旧有路家住宅「封人の家」(「封人」とは国境を守る役人を意味)への宿泊の目的は、周辺は隠れキリシタンの里として知られていたからです。


忍者も八咫烏

呪術はみんな修験道であり陰陽道が基本です。全部使えたと言われる忍者の背後にいる修験道や虚無僧も含めた忍者の衣装は黒です。黒の象徴は、「いるけど存在しない」です。 例えば「黒子」です。それは「カラス」です。忍者も八咫烏に当たり脈々と現在も続いているのです。

八咫烏、忍者、秦氏は、日本の歴史や伝承において「裏側の守護者」や「渡来系の技術・知識集団」として深く関連付けられています。秦氏は大陸から渡来した技術者集団です。その一部が忍者のルーツや修験道に関わったとする説や、八咫烏を信仰する賀茂氏と秦氏が血縁関係にある(賀茂氏系の秦氏)という説などが存在します。

そうなってくると、秦氏、八咫烏、忍者、聖徳太子までが全部繋がって来ます。


参考文献:ユーチューブ、マジでヤバい内容です。これまで語られなかった〝この世界の秘密〟を暴露していただきました。

URL<https://www.youtube.com/watch?v=PMozPyzI5-Y&t=156s>アクセス日:2026年4月23日


まとめ

忍者を最初に組織したのが聖徳太子。忍者の字は、志能便(しのび)と書きます。「忍」ではありません。志能便(しのび)の称号を与えたのが聖徳太子。

伊賀の忍者には服部氏族の子孫である「千賀地」「百地」「藤林」の三家があり、すべて秦氏。彼らは、伊賀流忍者の「三大上忍」とされ、秦氏の一末裔。秦氏のルーツを持ち、伊賀の地で土着して忍者(上忍)の家系となった。

奥の細道は、東北のキリシタン遺跡巡礼だった。芭蕉の旅は、仙台伊達藩や米沢上杉藩など、幕府からキリシタンに対して取り締まりが不十分と睨まれていた大藩の動向を探る「隠密」の役割があった。

八咫烏、忍者、秦氏は、日本の歴史や伝承において「裏側の守護者」や「渡来系の技術・知識集団」として深く関連付けられている。


紹介欄

伊賀の人・松尾芭蕉 (文春新書)

八咫烏 ヤタガラス 日本神話 ピンバッジ ピンズ バタフライクラッチ 合金製 C0058

本当は女系で万世一系だった 八咫烏(ヤタガラス)の「超」日本史 皇后を輩出し続けた一族「賀茂氏と三輪氏」で全ての謎が解ける

聖徳太子が忍者、志能便(しのび)を組織した
最新情報をチェックしよう!
>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG