真珠湾攻撃をした山本五十六が日本を敗戦に導いた

真珠湾攻撃をした山本五十六が日本を破滅に導いた

  • 2020年11月1日
  • 2020年11月1日
  • 歴史

この記事の概要

真珠湾攻撃をした山本五十六が日本を破滅に導いたヒットマンだったのです。彼は結果的に日本国民の殺し屋になってしまいました。日本には戦争に勝つための研究(「英米合作経済抗戦力調査」)がされていましたが、近衛内閣の側近である共産主義者およびグローバリスト達が日本をぶっ潰す計画をしていたのです。ぶっ壊す計画である真珠湾攻撃を山本が実行しました。

「英米合作経済抗戦力調査」

「英米合作経済抗戦力調査」は、シンクタンクの一番大事な最終報告書です。戦争は経済抗戦力です。経済抗戦力とはすごいものです。大東亜戦争の開戦前、イギリスとアメリカは、恐らく一緒になって日本に襲い掛かってくるだろうとの予測がありました。実はその戦争のシミュレーションを行っています。
そのシミュレーションにおいて、来たる戦争は第一次世界対戦のおよそ2倍の規模だと予測できました。日本の研究機関はとても賢かったのです。
戦費がどのぐらいで、動員兵力がどのくらいで、その時の社会生産も国民総生産(GNP)もどのぐらいと予測していました。イギリスとアメリカはどの様に対処できるかをシミュレーションしています。年間の戦争の費用は、イギリスが800億円(当時の換算で)、アメリカが800億円、当時の日本の国内総生産(GDP)は200億円でしたので4倍です。この対戦のシミュレーションをしていました。実際は5倍だったのです。
第一次大戦の5倍というシミュレーションを行った結果、実はイギリスは、言われているほど経済力がないことが分かりました。それ故にこの大戦に耐えられないという結論でした。イギリスは、経済力が小さいからです。ドイツと日本を敵に回して戦い抜けないことを理解していました。
日本も経済力が及ばないという結論ですが、イギリスは経済力が脆弱の上に資源がないために、資源・石油・食糧をニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、東南アジア、ビルマ、インドそして中東へはインド洋を通ってイギリスへ運んでいました。
インド洋を通って南アフリカの南を通っていました。地中海は、ナチスのUボートが潜んでいるのでスエズ運河が使えません。アメリカからの物資も、大西洋を横断して運んでいました。
Uボートは、地中海や大西洋でも暴れていたので、あとは、インド洋を叩けばよかったのです。日本海軍の全てをインド洋に出撃させれば、制海権を取れるので、イギリスは陥落します。このことが研究結果で分かっていました。
この作戦は、理にかなっています。だから日本の連合艦隊が、インド洋へ出撃すれば、イギリスの海上ルートを封鎖できたのです。インドでは、ガンジーが独立を目指して日本軍を待っていました。全ての陸軍の大兵力と海軍の大兵力がインド洋とインドへ行っていれば、イギリスの封鎖だけではなく、連合国は蒋介石とソ連をインド洋から援助していたので、それらの援助ルートを封鎖できました。
これが研究結果から導き出せた戦争戦略でした。この研究結果から陸軍と海軍が合意した戦争戦略は、経済封鎖された日本が石油がなくなっていたため、南へ行って石油を奪ることでした。それで西へ行ってインド洋を通ってインドを独立させ、さらに西に行けば、南下してきたドイツと中東で合流できるわけです。さらにスエズ運河がも制することができたのです。
この作戦をとった場合、将棋でいえば、地球規模の定石です。この作戦を実行すれば勝てるし、研究結果から見れば絶対明らかなのです。広い太平洋には何も資源はありません。絶対に太平洋を越えてハワイを攻撃しても得るものはありませんし、ただアメリカを怒らせるだけです。戦争をする気がないアメリカ国民を燃え上がらせるだけなので絶対にハワイやミッドウェー、ガタルカナルの様な島々を攻撃しないことなのです。
最初は、南へ行って足りない石油を奪り、西へ行くことが予定でした。日本が負けないことが分かったので、戦争を決断しました。南に行って石油を取り、フィリピンだけは、抑えなければなりません。南進する途中にあるからです。フィリピンを一旦占領しても中立化してアメリカに返す予定でした。フィリピンは、当時、アメリカの植民地でした。
植民地というよりも、自治国まではないですが、半自治国の状態になっていました。アメリカ議会も、フィリピンを日本が奪っただけだったら、大戦争に巻き込まれてはダメだと言う意見が大きかったはずです。「日本とアメリカが外交交渉になれば、フィリピンを返せばいいだけだ」と陸軍はそこまで先を見ていました。昭和16年秋にその結論を導き出せた研究だったのです。
「英米合作経済抗戦力調査」は、歴史的資料です。その内容は、日本はこうやれば勝てるということの基礎研究です。これを左翼の人は知っています。東京大学経済学資料室のホームページにも出ています。全ページが出されています。
なぜならば、これはアメリカの経済力が膨大なので「日本は、アメリカと戦争しちゃいかん」という研究書だと嘘を言ってるのです。左翼の人たちは、真逆の発想です。この報告書の目的は、どうやれば勝てるかの研究ですから。

報告書は定石の戦い方だった

南に行ってインド洋を西に行けば勝てることは「英米合作経済抗戦力調査」で述べているだけではありません。当時、戦争直後の回顧録で、アメリカ軍の最高司令官だったヘンリー・ルイス・スティムソン(陸軍長官、フィリピン総督及び国務長官を務めた)やチャーチル首相も、その他の英米の将軍たちも「定石通り行えば日本は勝った戦争だ」と思っていたのです。これを書き残しています。
定石通り戦えば、日本や枢軸国(第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国を指す言葉。ドイツ、日本、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ)が勝つ戦争だと分かっていました。
その定石を日本の研究者たちは見つけ出していたのです。だから陸軍がリスクを冒してでも開戦したのです。昭和天皇は、昭和16年になっても「外交で行け、戦争はリスクが大きいから」とおっしゃっていましたが、その昭和天皇も石油が入ってこなくなったことで、外交交渉も断たれるために、「南に行って西へ行く」とアメリカと本格的に戦争をしないのであれば、「それならしかけてみるか」ということになったのです。
当時の大英帝国であるイギリスは、インドと豪州、その他から原材料を輸入していました。アメリカからは、軍事の完成品を輸入していたのです。イギリス自体に資源がないためです。大西洋ではドイツがUボートで、輸送船を撃沈し、制海権を奪り、インド洋は日本が制海権を奪ることで戦争の勝利が見えていました。
ドイツは資源や食糧、石油などが足りないために、ソ連へ向けて占領に行きます。日本は東南アジアです。東南アジアに石油やその他の資源をいただきき、植民地から解放するのです。これは大東亜共栄圏という言葉です。
日本やドイツの敵の輸送船を沈める労力は、敵の輸送船の生産能力を上回っていたということを実証しています。様々な向こう側の秘密資料には、生産力の情報があり、科学的に分析して開戦を決断しました。
 例えばドイツは、昭和16年の12月になると戦争が厳しくなって来ます。その頃になるとドイツ自体の生産力もピークを迎える事は日本は冷静に知っていました。
更に見極めれば、日本が開戦をもっと待てば、ドイツの勢いも衰えて来たので、日本はその戦争に突き進まなかっただろうという言説もあります。
ドイツの勢いが衰えることも知っていたのです。それも織り込んででも短期間に、日本とドイツでイギリスを封鎖陥落させれば、その枢軸三国同盟がの活路が開けることまで見切っていました。とても合理的でした。
南に行って西に行けば勝てますが、他にも勝てる作戦がありました。それは、もっと容易に勝てる戦略でした。その作戦は理が通っていました。それはソ連を攻めることです。ドイツとソ連が激烈な戦争をしていたので日本がソ連を攻めればよかったのです。
中国共産党のバックには、ソ連がいました。蒋介石のバッグにもソ連がいたと言われています。世界的なグローバリズム勢力とソ連も一体でした。ソ連を落とすと日本は活路が開けるのです。陸軍は、昭和16年8月までは「ソ連を攻めろソ連を攻めろ」と言っていました。

定石をぶっ壊した近衛内閣

しかしながら、それをぶっ壊したのは近衛内閣です。

  • 第1次近衛内閣: 1937年(昭和12年)6月4日 – 1939年(昭和14年)1月5日
  • 第2次近衛内閣: 1940年(昭和15年)7月22日 – 1941年(昭和16年)7月18日
  • 第3次近衛内閣: 1941年(昭和16年)7月18日 – 1941年(昭和16年)10月18日
近衛首相は大日本帝国をぶっ壊したかったのです。日本がソ連を攻めて、ソ連が崩壊してしまうと困るわけです。近衛首相はその様な立ち位置でした。「南へ行って西へ行く」ことはソ連を攻めない理屈にもなったのでした。
研究機関の中にも共産主義者がいっぱい入り込んでいました。東大の教授の中には共産主義者が入り込んでいました。日本が勝てる戦略を立てたのは一面です。コインには裏と表があって、裏側は北侵させない、ソ連を攻めさせないということです。
もう一つの面は、共産主義者あるいはグローバル勢力は、日本を潰したかったのです。日本を潰すには戦争に負けさせなければなりません。敗戦すれば日本は潰れます。敗戦させるには戦争を始めさせなければならないのです。
しかしながら、天皇陛下をはじめ、物事の分かった人々は無謀な戦争を絶対しない方針でした。石油が一滴もなくなって日本は何とかしなければいけない時に無謀ではない戦争戦略が出て来ました。「南に行って西に行く」それを示したのです。共産主義者の教授たちは、コインの裏表なのです。
いずれにしても勝てる戦略に踏み込んで戦っていたらドイツと日本は勝っていました。あの戦争に、例え勝てなくても負けなかったのです。イギリスは、相当ギブアップ状況になったでしょう。チャーチル政権は崩壊しましたし、チャーチル政権が崩壊したらグローバリズム勢力の戦争計画は破綻します。だから、チャーチルは要でした。
そのためにも戦争戦略をぶっ壊して、シナリオも別途進んでいました。戦争戦略をぶっ壊すにはどうしたらいいのか、あの戦争戦略をつくる時にやってはいけないことがありました。

ヒットマン山本五十六

アメリカとハワイ、ミッドウェー、ガタルカナルを攻撃することです。これを全部やってしまいました。誰でしょうか。最初に行ったのは山本五十六です。あの山本五十六は、ヒットマンです。
それを使ったのは、参謀本部トップの永野修身です。そして海軍大臣で睨みを利かせた米内光政です。米内、永野、山本五十六が日本を負けさせ、かつ戦略をぶっ壊して日本を敗戦に追い込みました。真珠湾攻撃がなければアメリカは参戦しなかったのです。
ヒトラーにちょっかいを出しても、ヒトラーも物事は分かっていたので、アメリカと絶対戦争をしません。あらゆる国の国民で、戦争しようと思っていた人はいなかったのです。だから戦争はできませんでした。
しかし、それを全部ぶっ壊したのは真珠湾攻撃です。真珠湾攻撃があったから三国同盟と連合国の大戦争が起こった上で、アメリカを巻き込んだのです。ヒットマン山本は、原子爆弾を落とさせ、日本を滅亡させ、世界を破綻に追い込んだのです。この様に見てみると、ヒットマン山本五十六は世界の極悪人です。
本人から言わせると、そうは思っていないと思いますが、彼が行った行為は人類史上の大罪なのです。確信的に行ったのは永野修身であり米内光政であり近衛文麿でした。
山本五十六は、絶対にやては行けない真珠湾攻撃、ミッドウェー攻撃、ガダルカナルをはじめとした南の島々への攻撃を行ったことで、晩年悩んだに違いありません。
山本五十六は海軍に入隊してすぐに、ハーバード大学に留学し、その後駐在武官として再び渡米しています。海外駐在の間にアメリカの諜報部と接触して、スパイになったのかもしれません。当然帰国後は、アメリカの国益の為に日独伊三国同盟や対米開戦に反対します。後々の平和主義者と写った点でしょうか。
しかしながら、山本らに真珠湾攻撃をさせる計画を立て、それが伝えられたのです。「南に行って西に行く」途中のフィリピンの米軍を攻撃するという日本軍の意見を聞かずに、山本は真珠湾攻撃案を通す意思を曲げませんでした。
ミッドウェー作戦がアメリカにとって成功した後は、山本は不要になりました。その後、山本は暗殺を恐れ常に後方から指揮をとるよにしていました。しかし、信頼していた宇垣纏に裏切られたと思われます。兵士の慰労をするためにラバウルへ誘い出され、ブーゲンビル上空で撃墜されます。この時、「自分も裏切られたのだ」と思ったのでしょう。
実は、不時着時もまだ生きていたのです。ところが、帝国海軍には大勢のスパイがいました。同乗していた高田六郎軍医長もその一人と言われています。彼が銃で山本を打ったらしいのです。
参考文献:山本五十六はスパイだった<http://www.zerosport.sakura.ne.jp/cafe/html/art/00017.html>

陸軍の勝算をぶっ潰すプロパガンダの本

下記リンクの本をぶっ潰したいプロパガンダがあります。

日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書) (日本語) 新書 

ぶっ潰したいとは、埋もれさせようとしているのです。最近は、小泉純一郎元首相が推薦、石破前総裁候補が推薦、ホリエモンが推薦し、外資系の社長たちもどんどん推薦してる本があるのです。

それは、猪瀬前東京都知事の書いた「昭和16年夏の敗戦」という本です。下記リンクをご覧ください。
この本で述べられていることは、「日米開戦陸軍の勝算」で述べられていることと真逆な発想です。
陸軍は空気ではなく、日本を守るということで研究に基づき合理的な選択をしたのです。陛下も含めてご決断されたということでした。しかしながら、猪瀬氏は「空気で日本が戦争に暴走した」と全く不合理だという本を書きました。彼の根拠はプロが集った秋丸機関ではなくて、昭和15年から16年にかけて官民の若者を集めた「総力戦研究所」の研修機関を支持しています。
この研修機関は、授業の一環でシミュレーションをさせています。若者たちなので、プロがつくった戦争戦略である「南へ行って西に行く」といった膨大な情報資料から導き出される戦略は思いつかないのです。研修なので、単に南に行って石油を奪りに行きます。そしてアメリカが参戦して来て、膨大なアメリカの国力の前に日本は負けます。それだけのシミュレーションなのです。
東條氏は、当時陸軍大臣でした。とても親切心があったので、その授業を見に行きました。そこで講評を述べました。「君たちは、よくやった。よく勉強してるね。でも本当の戦争は、こういうもんじゃないよ。意外な要素があるんだよ」と講評を述べました。
そりゃそうです。東條氏の頭の中には、秋丸機関の研究結果が入ってるのですから。あるいはそれを元にした戦争戦略の報告が入っています。単純に石油を奪りに行っただけだったら負けます。アメリカと総力戦になったら負けるわけです。
この様な丁寧な講評をしたところ、猪瀬氏は、そこを捉えて、「東條をはじめ陸軍首脳部は、この合理的な研修生のシミレーションを無視している。アメリカに負けるというシミレーションを全く無視している」という解釈をしたのです。
あの本を読んだ人は、暴走は真珠湾攻撃をしたというふうに読めてしまいます。イメージしてしまいます。
真珠湾攻撃は、東條英機も反対してるわけですから、軍首脳部も陸軍と海軍の合意した戦争戦略は、昭和16年の11月15日に政府と陸軍と海軍の大本営の連絡会議の合同の管理会議で正式に、大日本帝国は「英米合作経済抗戦力調査」に基づく国家戦争戦略として正式に決まっていたのです。
それを無視して裏ルートで、真珠湾攻撃はあの昭和16年の11月のドタバタの中で永野氏が陛下に奏上して通しただけです。裏ルートで。表の会議に表と言っても極秘会議ですが、表の国家機関の会議に乗せていませんでした。
裏ルートで行った12月8日の真珠湾攻撃は、陸軍にとっては、「何これ?」って感じです。「これどうなった」みたいな状態です。だから分かる人には、昭和16年12月8日の攻撃で、これで日本は負けと悟りました。分かっている人々にとって、負けるシミュレーションに基づいた作戦が真珠湾攻撃だったからです。
それを仕掛けた側は、近衛首相あるいは近衛首相の側近だった共産主義者の風見章が官房長官でした。この2人の周りの人が書き残していました。12月8日に世界が湧いている時です。真珠湾を攻撃し、南方の島々も攻撃して湧き立っている時に、「これで日本は負けた」と言ったのです。
これらのことを全部無視して猪瀬氏の本には、東京裁判史観の上塗りであり、ある思想へ誘導するプロパガンダがあるのです。間違えてしまいます。この本が、75年も経って売れているのは、猪瀬氏の個人の責任ではありません。使われてるのだと思われます。

恐らく、随分前に総力戦研究所の資料を見て、小説を書きました。いい題材だと思って純粋に書かれたと思いますが、その当時は、まだ歴史的背景があまり知らされていなかった時代だったのかもしれません。


参考文献:ユーチューブ、英米合作経済抗戦力調査 奪われた勝利への道 [三橋TV第305回] 三橋貴明・林千勝・高家望愛
<https://www.youtube.com/watch?v=L8UwW8gQmA8>アクセスび:2020年10月29日

まとめ

「英米合作経済抗戦力調査」は、シンクタンクの一番大事な最終報告書。

スティムソンやチャーチル首相も、その他の英米の将軍たちも「定石通り行えば日本は勝った戦争だ」と書き残している。

近衛内閣と側近の共産主義者やグローバリスト達は戦争に勝つ定石をぶっ壊した。

定石をぶっ壊すこととはハワイ、ミッドウェー、ガタルカナルを攻撃することであり実行したのは山本五十六だった。

「日米開戦陸軍の勝算」をぶっ潰すプロパガンダの本が「昭和16年夏の敗戦」


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