明治維新の過ちは立身出世とマネー主義

明治維新の過ちは立身出世とマネー主義

  • 2024年8月1日
  • 2024年8月9日
  • 社会

この記事の概要

明治維新の過ちは立身出世とマネー主義であり、個人と自由を追求し学歴を積んで出世し、たくさんお金を得て、自己実現を図っていくことがこれからの世の中だと思われました。この結果、人倫が破壊され、農村が疲弊していき格差が極端に拡大したのです。このままでは社会が滅茶苦茶になるので天皇の命令が明治から昭和初期にかけて4回も出されることになりました。


明治維新によって崩壊した日本文明

吉田松陰の思想が、近代日本においてどのような意味を持ったのか我々自身に何を訴えかけてきて、それはどのように生きているのでしょうか。

基本的にはこれまでの人民を軸にした日本文明というものが、明治維新によって崩壊したのです。個人と自由が全てにおいて優先される文明へと変化して行きました。

近代日本を儒教の文脈から言うと思想史的には捉えられるということです。人倫は基本的に君臣、父子、夫婦、長幼、朋友に代表されるような自分たちの親、兄弟や家族、夫婦あるいは職場における上司や部下といった人間関係を指します。

儒教は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2024年6月13日 (木) 03:24での最新版を取得。

人間というのはこうした重層的な社会関係の中でお互いに、それぞれの立場と役割というものを自覚し、それに沿って、それぞれの立場や役割を追求していくことによって、お互いの信頼関係が作られます。

つまり父は父らしく君は君らしくあってこそ子供や臣下は安心して、そこに背中を預けて、自分も自分 らしくあることで他の人と協力できることが儒教の基本的な考え方です。

また 江戸時代までの日本文明の骨格を作ってきたという流れがあるのです。しかしながら、明治維新によって、福沢諭吉に代表されるような欧化主義者あるいは欧化政策という当時の政府の政策によって、この様な人倫思想が否定され儒教というものが、封建的な人間を抑圧する、自由を抑圧する思想であると言われました。

この人論が破壊されたとで、その結果何が起こったかと言うと、その代わりに出てきた のが人間が個人と自由を追求する中で大事な手段となるのが「立身出世主義」すなわち学歴を積んで、出世して、たくさんお金を得て、自己実現を図っていくことでした。


欧米社会が人論を破壊した

こうして他の誰からも規制を受けずに、自己実現を果たすことが立身独立することであり、そのことによって 「一国独立するのだ」と始まったのはいいのです。

ところが、これは現在盛んに褒め称えられている渋沢栄一は、結局は「立心出世主義」というものを軸にして日本社会を作っていこうとしたのです。そこに日本の初期資本主義が誕生しました。

この結果、何が起こったかと言うと、人倫が破壊されたことによって、農村が疲弊していきました。それにより、格差が極端に拡大していく現象が起こったのです。


天皇の命令が4度も出た

あまりにも日本人のモラルの倫理が、おかしいということで、それを象徴するものとして、教学聖旨(1879)、教育勅語(1890)、戊申詔書(1908)、国民精神作興の詔(1923)といった詔勅つまり国民に、しっかりとしたモラルを持たせるための倫理を考えていかなければ「社会が めちゃくちゃになるぞ」という懸念から、天皇の命令が明治から昭和初期にかけて4回も出されるとこういう事態になったのです。

教学聖旨(きょうがくせいし:1879年8月、天皇の名で出された教学の根本方針) 元田永孚が起草。 洋風を競い智識才芸の末にはしる傾向を戒め,仁義忠孝の精神の育成を中心にすえた徳育が教育の基本であるとした。
教育勅語(きょういくちょくご:教育に関する勅語)とは、「大日本帝国憲法」が発布された1889年(明治22年)の翌年、1890年(明治23年)に出された、教育の基本方針・国民道徳の基準を示した122代明治天皇の言葉。
戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は、1908年(明治41年)10月13日に発布された詔書です。日露戦争後の混乱する社会を収めるため、国民道徳の強化の一環として、勤倹節約と皇室の尊重を国民に求めている。
国民精神作興詔書 (こくみんせいしんさっこうしょうしょ)関東大震災直後の1923年11月10日に出された詔書で,教育勅語と戊申詔書の流れをひき,当時の社会的・思想的激動にたいして国民精神の振興を呼びかけたもの。

農村共同体の再興

その間にも極端な格差拡大というのは止まらず、人々は農村を離れて帝国大学に入って、三井、三菱、あるいは官庁に務めて出世し、そして「お金をたくさんもらうことが偉い」と言うことを教本にしていく時代になっていったのです。

これに対する反発として、いよいよ1915年になる頃には、文化村農場と呼ばれる農場が建設されます。これを建設したのは橘孝三郎といういわゆる右翼に属する運動家でした。彼は、日本というのは農村を復興して農村の共同体を再興することによってのみ初めて人々は、お互いの繋がりを再度構築してモラルを復興できると考えたのです。

これは必ずしも右翼方面だけではなく、 1918年には武者小路実篤という文学者によって新しい村というもが作られるです。これも、やはり農村ユートピアによって、この格差あるいは「立心出世主義」によって機械化してしまった人間を救済しようというユートピア思想によって、ある種リベラル側から、こうした動きが出てくるのです。

面白いのは共通しているのがどちらも農村というものに解き、改めて人倫を作らなくてはいけないという点では、右も左も同じであったのです。

その流れの中で、物質文明というものを超克して、精神文明というものを作らなければいけないと、つまり人間があまりにも物質に囚われて利益ばかり追い求めるようでは、この国はダメになってしまうのです。

地位や収入であるとかそういうことではなくて、人々が自分それぞれの使命というものを自分で設定し、自分の頭で考えて、自分で行動して自分の人生生活というものを力強く作っていく中にこそ日本の復興があるのです。


URL<https://www.youtube.com/watch?v=Q-rbh2SdbrU&t=1629s>アクセス日:2024年6月16日


まとめ

明治維新によって、福沢諭吉に代表される欧化政策によって、人倫思想が否定され儒教が、破壊されたとで、人間が個人と自由を追求する中で「立身出世主義」、学歴を積んで、出世して、たくさんお金を得て、自己実現を図っていくことだった。

「立心出世主義」というものを軸にして日本社会を作っていこうとしたのです。そこに日本の初期資本主義が誕生しました。
人倫が破壊されたことによって、農村が疲弊し、格差が極端に拡大していった。
日本人のモラルの倫理が、おかしいということで、教学聖旨(1879)、教育勅語(1890)、戊申詔書(1908)、国民精神作興の詔(1923)といった詔勅を、天皇の命令が明治から昭和初期にかけて4回も出された。
「立心出世主義」によって機械化してしまった人間を救済しようというユートピア思想の動きが出てくる。農村というものに解き、改めて人倫を作らなくてはいけないという点では、右も左も同じであった。

紹介欄

橘孝三郎著 日本を救う日本主義 『日本愛国革新本義』『永遠なる義公』

書き換えられた明治維新の真実 (詩想社新書)

明治維新の大嘘 

明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫 は 112-1)

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