明治天皇が入れ替わった謎について

明治天皇が入れ替わった謎について

この記事の概要

明治天皇が入れ替わった謎については、徳川家茂が20歳で急逝し、その半年後、孝明天皇が崩御したことから始まります。南朝の天皇に入れ替わったという説は、長州寄りの睦仁親王が明治天皇になったことも一因です。南朝の血を匿っていたと言われる西郷隆盛の存在も陰謀論に拍車をかけています。


天皇入れ替わり説

「幕末から明治にかけて天皇が入れ替わったのかもしれない」と言う説があります。入れ替わったとしても、天皇家の血筋は守られているのです。

総理大臣や大統領であれば、交代することもありますが、総理大臣とは違って、天皇だけは血筋で引き継がれます。一般の男性が天皇になることはできないのです。

この時代において、誰がどんな顔をしていたのかということについて、実際に会ったことがある人しか知り得ませんでした。天皇に会える人は、一般大衆には、ほぼいなかったのです。

1866年8月、第14代将軍、徳川家茂が20歳で急逝しました。その半年後、1867年1月30日、孝明天皇が崩御したのです。たった半年の間で日本のトップの二人である天皇と将軍が同時に亡くなっているのです。

これは、偶然かもしれませんが、非常に恐ろしくも思えるタイミングです。騒然とした中、14歳の若さで皇位継承したのが睦仁親王でした。この方が、明治天皇です。幼少期はどちらかというと線が細く、細身な体でしたが、大人になってからは写真を見ても分かるようにガッチリとしたたくましいタイプになっていると言われています。

フルベッキ写真に写っている青年と明治天皇の顔が似ていると言われています。天皇は日本の現人神ですから、天皇に代わることができる人は、本来いるはずがありません。

徳川家康、織田信長、藤原氏、源頼朝、足利尊氏といった天下を取った人物でさえも、自分が天皇になることはできないことを知っていました。

天皇が二人いた時代がありました。南北朝時代です。鎌倉から室町にかけて、日本には南朝と北朝の朝廷が存在した時代がありました。


南北朝時代

当時、後嵯峨天皇が崩御した際に、息子兄弟が後継者問題で対立しました。それが、やがて収拾がつかなくなった時に、北条時宗によって南朝と北朝を交互に天皇にするというルールを決めたのです。

ところが、幕府が北条から足利に変わった際に、足利尊氏によって光明天皇が擁立され、後醍醐天皇が、奈良の吉野に追い出されてしまいました。

ここで重要なことは、その時に後醍醐天皇についた武将が新田義貞、楠木正成でした。それによって南朝と北朝の両方に天皇がいる時代ができてしまったのです。

後醍醐天皇の崩御後、南朝の力が弱まり現在まで天皇家はずっと北朝で来ていると言われています。しかしながら、もし実は南朝の血筋がずっと生き残っていたとするならば、明治維新のタイミングで南朝と北朝が入れ替わることは可能だったことが考えられます。

南朝系の血筋が続いていたとしたら、かなり支援力がある協力者がいたことになります。その時まで南朝の血筋を持つ人物は、匿われて、隠されて来た可能性が高いのです。


南朝の血を守ってきた人々

西郷隆盛の祖先は、もともと南朝に使えていた天皇の側近だったと言われています。西郷自身が南朝の子孫を匿っていたと言う逸話も残っています。

南朝の後醍醐天皇についていた楠木正成という男が、かなりカリスマ性があったとも言われています。兵庫県に港川神社がります。これこそが楠木正成を祀った神社です。

この神社を創設するために声を上げた人物こそが、西郷隆盛や伊藤博文、大久保利通です。吉田松陰や坂本龍馬もここを訪れています。湊川神社のホームページにも書かれています。そして何より、楠木正成の神社を作ることを決定した人物こそ明治天皇なのです。

先ほど現在の皇室までずっと北朝と述べて来ました。なぜ北朝のはずの明治天皇が楠木正成を祀る神社を作ったのか、または楠木正成の銅像が今もある場所に立っています。

その場所というのが皇居です。古くは陰陽師の時代から現代に至るまで、日本には表と裏があると言われています。日本には都が2つあります。それは東京と京都です。日本の首都は東京だと思っている人が大勢います。

ところが歴史上、正式に日本の首都を東京にするという法律が作られたことはないのです。日本の都にも表と裏があるということは、昔から日本では、天皇がいるところが都とされていました。

昔なら京都が都です。今は東京が都になっています。しかし見方によっては現在、表の都が東京で裏の都が京都とも言えます。ということは今も両方に存在すると考えられます。


八咫烏

八咫烏のトップもまた血筋で受け継がれて来たと言われていることから、神の血筋、八咫烏は、昔から日本の裏で神道や陰陽道などの呪いを行っていたとされています。

裏天皇の力は、表の天皇に匹敵するかそれ以上だったとも言われています。現在の天皇に至るまでずっと血は受け継がれて来ています。その理由としては、昭和天皇の心力が、歴代天皇の中でも突出していることから、何か受け継がれているとしか思えないのです。

海外でもエンペラーウェザーと呼ばれているように、天皇には「天皇晴れ」という天気を変える力があると言われています。昭和天皇の力というものが、明治天皇から受け継がれていたものだとするならば、南朝の系譜が八咫烏として数百年間、身を隠しながら少しずつ霊力を磨き続けてきた結果、天候や時空を歪めてしまうほどの呪術を使えるようになったのかもしれません。


参考文献:ユーチューブ、日本史上最大の禁忌!?明治維新の真実とは。【ある一枚の写真】

URL<https://www.youtube.com/watch?v=CiqJO4OyY1M>アクセス日:2025年8月30日


まとめ

幕末から明治にかけて天皇が入れ替わったのかもしれないが、天皇家の血筋は守られている。

後醍醐天皇の崩御後、南朝の力が弱まり現在まで天皇家はずっと北朝で来ているが、もし南朝の血筋がずっと生き残っていたとするならば、明治維新のタイミングで南朝と北朝が入れ替わることは可能だったかもしれない。

明治維新の立役者の西郷隆盛の祖先は、もともと南朝に使えていた天皇の側近だった。西郷自身が南朝の子孫を匿っていた可能性もある。

南朝の系譜が八咫烏として数百年間、身を隠しながら少しずつ霊力を磨き続けてきた結果、天候や時空を歪めてしまうほどの呪術を使えるようになったのかもしれない。


紹介欄

京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史) 

もう一人の「明治天皇」箕作奎吾(みつくりけいご) 

明治天皇が入れ替わった謎について
最新情報をチェックしよう!

都市伝説の最新記事8件

>聖典をかける少女

聖典をかける少女

地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

CTR IMG