日本ではキリスト教は1%で神という言葉が曖昧

日本ではキリスト教は1%で神という言葉が曖昧

  • 2024年10月22日
  • 2024年9月5日
  • 歴史

この記事の概要

日本ではキリスト教は1%で神という言葉が曖昧であり一神教の神は必要ないのです。日本に移住してきたユダヤ人たちは一神教の神を捨て日本に同化するほどででした。日本において、自然が全てを創ったと言うことを暗示しているのです。一神教の世界では神がいます。ところが、日本人にとって神と言う言葉は、ピンとこないのです。


国家の成り立ち

国家はいつできたのでしょうか。国家には、ステートやネーションのような近い言葉があります。国家を作るときには、外来の人が来ていたようです。

外来の人が来ていたというと朝鮮や中国人ではありません。外来の人々とは、国家の概念を持っていたヨーロッパあるいは中東の人々です。地域国家が一体何なのか、民族国家とは何かと言う経験がある人でないと国家と言う概念を作る必要がないのです。

首都を置いて、そこに一番偉い人である王を置きます。そして各地にその中心地から国士あるいは地方の役人を派遣して統一国家を作り、税金を徴収して、警察を置くというような国家を作ると言うのは日本では必ずしも長い間必要としなかったのです。

それとは違って、日本では、緩やかな国家がずっと続いていました。ヨーロッパや中東のようにまとまらなくても、地域で十分生活もできたのです。

他の国では、魚が取れるところから魚を運んで、市場で買うことをします。そうするためには、一つの国家である必要がありました。地域だけでは成り立ちません。 海がない国家は、魚の市場ができません。草原がないところは農耕ができません。

そうなると何処かから運んで来なければなりません。交換の場所を作る必要があったのです。そうすると自ずから地域と言うものが、作られていきました。

そこに一つの地域の長である偉い人が出てきて、それをまとめることになりました。そこで国家を必要とすることになったのです。


地理的条件が整った日本

いずれしても、日本という国は、必ずしもその他の国と比較できない地理的条件がありました。同時に、信仰というもので来た人たち、つまり「太陽が登る国」にやって来ることによって、初めて日本の島国としての完結した場所となったのです。

縄文土器が発見された年代である1万6500年からずっと神武天皇つまり国家がきちっとできたという時です。やはりそこにある意味での国家があったのです。

それは日の出る国であったと言うことです。少なくとも90数%が、関東、東北にいた時の国家が日高見国でした。それが、どのようにして神武天皇以後、日本の大和という国家を作っていくかと言うことになるわけです。

要するに縦穴住居を見てると、そこでお父さんが、山に入ってイノシシを狩り、お母さんが、いろんな木の実を採取して来ます。おばあさんが、子供をあやすというようなことがあって、家族を中心に生活していれば十分生活できたのです。これが日本でした。

日本は自然が豊かだった

ところがそうではないところが大陸です。水がないとか、そこに魚がいるわけでもありません。何か採るにしても、場所が無限定に広がっていますので、そう簡単に食べ物を採取するのは難しかったのです。

だから、どうしたって人々が都市というものを作らざる得なくなったのです。そこで大きな運河を作り、水を引いて、そこで一緒に住むということになりました。

日本は、自然が非常に豊かですからか、各地にただ部落を作っていけばいいわけです。例えば、山内丸山は1999年に発見されましたが、非常に大規模な小都市があることが分かって来ました。このことが分かってくると日本には、小都市が連合してあったのです。

それは、必ずしもそこに中央集権がなくても、 生活ができた日本があったと言うことが理解できます。中央集権がなかったのは、国家が長い間遅れていたことを感じさせます。その後国家が形成されますが、国家にも、中心地がありました。

関東には二大神宮があった

それは何かっと言うと、鹿島神宮、香取神宮といった関東には、二大神宮がありました。江戸時代以前には、神宮と呼ばれるものは三つしかありませんでした。それは、鹿島神宮(紀元前660年創建)、香取神宮(紀元前643年創建)、伊勢神宮(紀元前4年創建)と三つしかありませんでした。

神宮の格式を定めた延喜式(927年)では、この三社のみが神宮と表記されています。三つのうち二つが関東にあったことがある意味で大事だったのです。人口も関東の方が、多かったのです。

鹿島・香取を中心とした太陽信仰の国がありました。それが実を言うと、高天原だったと言うのが、新しい分析になるのです。

日本の神話を読むと、ここには歴史が混じっているのです。神話を読んでそこに歴史もあることを考えなければなりません。神話は、少しずつ歴史に溶け込んでいるのです。そこに日本文化が提起する基本的な問題があります。

江戸時代における、新井白石は、非常に有能な学者でした。日本の神は人であると言っています。神の名前で言ってる人は、誰かがいると言う言い方をしています。これは非常に優れた見方で、日本では天上の神などを考えることがないのです。


西洋と日本の神の違い

キリスト教は、天上の神でどこかの果てにいるか分かりません。バチカンのシスティーナ礼拝堂に行くと、ミケランジェロが天井画を書いて、そこに神がいっぱいいます。

それはもう本当に威厳のある神で万能の神ですが、天上のどこかにいるというのです。その方が全てを創造しました。自然も創ったし、太陽も創りました。全部創ったのです。

ところが日本の神話を読むと、どう見てもそういう神がいないのです。最初に混沌があり、その中に天土の混沌があって、その中から三柱の神が現れて消えたと書いてあります。

日本において、自然が全てを創ったと言うことを暗示しているのです。一神教の世界では神がいます。ところが、日本人にとって神と言う言葉は、ピンとこないのです。

なぜかというと、「自然が前にあるじゃないか」と「この日本列島が前にあるじゃないか」と。「もうそれ以外何があるんだ」と言うことです。


日本ではキリスト教は1%

今だってそれがあるからキリスト教は、1%もいないのです。それも1、2%と言われているのですが、それもインチキな話なのかもしれません。

統計上はいるのかもしれません。会員名簿だけ、会員になったと言うだけで信仰はしていない会員が実のところ非常に多いのです。ですから本当は分かってないのです。

これだけの考え、芸術を生み出したキリスト教とは、本当に神を信仰しないと分からないのです。しかしながら、日本はその神がいない芸術をたくさん生んでいるのです。仏教もそうです。仏教における仏は人間です。

まさに「人は神なり」で、インドにいたいゴータマ・シッダッダは初めから人間の存在です。それを日本が取り込んだことは、確かに重要なことでした。日本の神仏習合の非常に重要な選択だったのです。


URL<https://www.youtube.com/watch?v=l1dV0l-Mmgo>アクセス日:2024年7月2日

まとめ

日本では、緩やかな国家がずっと続いていてヨーロッパや中東のようにまとまらなくても、地域で十分生活ができた。

日本は、その他の国と比較できない地理的条件があり、「太陽が登る国」を信仰して移住して来た人たちによって、初めて日本の島国としての完結した場所となった。

日本は、自然が非常に豊かで、各地にただ部落を作っていけばよかった。

三社のみが神宮と表記され、そのうち二つが関東にあった。人口も関東の方が、多かった。鹿島・香取を中心とした太陽信仰の国があり、それが高天原だったと言うのが、新しい分析になる。
西洋には一神教の神がいるが、日本において、自然が全てを創ったと言うことを暗示している。日本人にとって神と言う言葉は、ピンとこない。
日本は一神教の神がいないが芸術をたくさん生んでいる。

紹介欄

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縄文文明 世界中の教科書から消された歴史の真実

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地球は乗っ取られている。それも、私たちが、神だと信じている存在によって。「聖典をかける少女」によりますと、創世記がどのように、誰によって書かれたか説明されています。「プレアデス+かく語りき」がモチーフになっているようですが、地球は、30万年前に聖書に登場する創造神たちによって乗っ取られていることが理解できます。

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