富士山の歴史は宮下文書にある

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富士山の歴史は宮下文書にあるのです。宮下文書については富士山噴火の記録や富士五湖誕生についての記述が詳しく正確に記録されています。神武天皇が即位するよりも前に「フジ」は存在していました。その痕跡は、宮下文書にあります。宮下文書の別名は、富士古文書です。超古代の日本の歴史、特に富士山麓の伝承が神代文字で記された古史古伝の一つです。

「フジ」の名の由来

世界のパワースポットとして知られている富士山は、静岡県と山梨県の県境にそびえる標高3776メートルの最高峰です。日本には古来より山岳信仰、富士信仰というものがありました。富士山は、和歌や芸術の題材にもなっていました。その歴史的背景もあり、2013年には富士山信仰の対象と芸術の源泉として世界文化遺産にも認定されています。
現在は、富士山と呼ばれていますが、過去には、「フジ」は他の漢字も使用されていました。また、何故「フジ」という名前がついたのでしょうか。
フジの由来については、諸説あります。富士山についての最も古い記録は、現存する風土記の一つである常陸国風土記に記された「福慈岳」(ふくじのたけ)だと言われています。
風土記は、奈良時代に朝廷が編纂を命じた日本各地の歴史や文化風土などについて記されたものです。
風土記とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす。正式名称ではなく、ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されている。 ウィキペディア
奈良時代から火山活動が活発化したため、その頃成立した万葉集では「富士山は永遠に命の尽きない山ということで「不尽山」と歌われています。
平安時代初期に書かれた「続日本紀」では、「富士山」という表記が見られるようになりました。平安時代の官人である都良香(みやこのよしか)により、著された「富士山記(ふじさんき)」には、当時の富士山頂の様子が詳しく記されています。富士山の歴史を語るうえで、非常に貴重な書物です。
『続日本紀』は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らによって延暦16年に完成した。文武天皇元年から桓武天皇の延暦10年まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀。 ウィキペディア
都 良香(みやこ の よしか)は、平安時代前期の貴族・文人。姓は宿禰のち朝臣。初名は言道。主計頭・都貞継の子。官位は従五位下・文章博士。
ウキペディア
「富士山記」によると富士山の名前の由来は当時の地名であった駿河国富士郡から取られているようです。ほかにも「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じたとする説もあります。古代においては、火が出る事を指した火出(ホデ)という言葉が転じて、富士となった説もあります。
他にも雪を被った富士山の形容として、山頂に積もる雪を表す「班白(ふしろ」)という言葉や器を伏せた状態を表す「フセ」という言葉が由来であるとも言われています。
続いてマレー語説マオリ語説、原ポリネシア語説などなど本当に様々な説があるようです。

竹取物語

富士山と関係の深い書物には、竹取物語があります。平安時代初期に成立した日本最古の物語です。「今は昔竹取の翁といふ者ありけり」という文頭は、大変有名です。物語の最高潮には、かぐや姫が天人(月からの遣い)と共に月の都に帰ろうとした時、かぐや姫は帝に「不老不死」の薬を残します。
しかし帝は、かぐや姫が月に帰ってしまったことで、生きる望みを失います。そこで、その薬を燃やすことに決めたのです。帝は兵士と共に月に一番天に近いと教えられた駿河の国の山に登りました。その山頂で、薬を燃やしたのです。その山こそが「不死の山」、つまり富士山だとされています。
燃やしに行く時に多くの行軍、兵士が山を登ったことから、士に富む山という意味に因んで「富士山」と名付けられたという説もあるのです

竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝くの中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。

『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあるように、日本最古の物語といわれる。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。現代では『かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されている。

ウキペディア

物語の最後は焼いた煙が今も立ち上っていると結ばれています。富士山に霧が立ち込めているのも万年雪が残っているのも不老不死の薬を焼いたためだとも言われているとのことです。

宮下文書

平安時代の頃には、既に富士という呼び名がついていたようです。それよりもはるか昔、神武天皇が即位するよりも前に「フジ」は存在していました。
その痕跡は、宮下文書にあります。宮下文書の別名は、富士古文書です。超古代の日本の歴史、特に富士山麓の伝承が神代文字で記された古史古伝の一つです。
宮仕家の棟梁によって秘匿されていた写の一部が明治時代に公開されました。宮下文書は、偽書とされる理由が多くあります。それは、正史とはかけ離れた出来事がたくさん記されているからです。その内の一つに、神武天皇が即位するよりもずっと昔の富士山麓には王朝が栄えていたという記述があります。この記録はあまりにも不都合な歴史になります。
宮下文書(みやしたもんじょ)とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)の北東本宮小室浅間神社(旧称阿曽谷宮守神社)、宮下家に伝来する古記録・古文書の総称。「富士古文書」「富士古文献」などとも称される。神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・秦から渡来した徐福が筆録したと伝えられている。だが、その信憑性については疑いがもたれており、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる。ウキペディア
その王朝は、富士王朝(富士高天原王朝)と呼ばれています。宮下文書では記紀よりも古い神々のことや、神々は現世の人物であったこと、そのルーツが、古代ユーラシア大陸中央部、阿間都州(あまつくに)で興った第一神朝にあること、第三神朝の時代であった7千年前、日本全土に移動定着してきたことなどが語られています。

富士高天原王朝

富士山麓に辿り着いた神々によって、富士高天原王朝が開かれたとされています。高天原は、九州の高千穂ではなく富士山麓にあったというのです。
フジはその二つとない美しさから富士と名付けられた説もあります。そこには「不二阿祖山大神宮」という日本最古の神社が存在し、代々の天皇即位式は、ここで行われていたとも記されているのです。
山梨県富士吉田市大明見に鎮座致します不二阿祖山太神宮は、富士山信仰の中心として知られる浅間神社の元宮、日本最古の神宮です。
不二阿祖山大神宮
火山活動が活発化していた奈良時代山霊を静めるために、浅間の大神(火山神)を奉納祭祀する浅間大社が設立されました。この社は、不二阿祖山大神宮をモデルにつくられたとの説もあります。
不二阿祖山大神宮には、宇宙神「天之御中主神」を生んだとされる元主一大御神大神が祀られています。宮下文書については富士山噴火の記録や富士五湖誕生についての記述が詳しく正確に記録されています。このすべての内容が偽りであると断定するのはいかがなものでしょうか。
真実を守り続けるためには、荒唐無稽と呼ばれる内容を混ぜ込んで、真実を隠してきたかもしれません

宮下文書と徐福

宮下文書は、どのような経緯で記されてきたのでしょうか。もともとは、神代文字で残されていた古代記録を徐福が、漢文で書き写し、宮下文書の原本を作成したと伝えられています。
その理由で、宮下文書は、徐福文献とも呼ばれています。徐福は秦の始皇帝が派遣した人物です。どうして中国の人物が、富士山麓の歴史についての古文書を残すことになったのでしょうか。徐福は今から、2200年前、(縄文時代から弥生時代へ変わろうとしていた頃)の人物です。
徐福は秦の始皇帝に東方の三神山にあるという不老不死の妙薬を探してくるように命じられました。
中国の古伝説で、東方絶海の中にあって仙人が住むという蓬莱(ほうらい)・方丈・瀛州(えいしゅう)の三つの山。
コトバンク
徐福は大勢の若い男女と技術者を連れて旅立ちましたが最終的には秦の始皇帝の元に戻りませんでした。平原光沢の王となって中国には戻らなかったと中国の歴史書にも書かれています。
徐福がどこに到着したかについては様々な考察があります。一つの説では、平原光沢は日本のことを指していると言うのです。徐福は、熊野(新宮市)に上陸し、そこから富士山麓を目指したと言われています。
徐福伝説は、富士山麓を中心に日本各地で伝えられています。徐福の墓とされる祠は新宮市と富士山麓に存在しています。そのため富士山を蓬莱山と見て永住したのではないかとも伝えられています。
滋賀県大津市の蓬莱山は比良山地中部に位置する日本三百名山で、標高1,174mは比良山地の中では武奈ヶ岳(標高1,214m)、コヤマノ岳(同1,181m)に次ぐ高峰。「蓬莱」とは元来中国の伝説で仙人が住む霊山を意味し、比良山地も修験者の霊山であったことに由来していると言われている。
YAMAP
徐福は、富士王朝の歴史に感銘を受け、古代日本の歴史を書き残し、学問を教え養蚕などに従事し、織物も伝えたと言われています。
実は中国においても徐福は長い間伝説上の人物とされてきましたが、1982年に江蘇省において、徐福が住んだと伝えられていた村が存在することが判明したので、現在では実在した人物だと認められるようになったのです。
最初の不二阿祖山大神宮は富士山の噴火で消滅してしまいました。再建しようという動きがありますが、完成はしていないものの神宮は存在します。
三柱の鳥居がそこにはあります。通常は二柱です。三柱は、聖書と関わりが深いようです。神と御子と聖霊の象徴です。当然訪れると力がみなぎってきます。この場所は、パワースポットとしても有名です。
実は今も昔も重要な場所である富士山は、日本の正史とされる古事記・日本書紀には登場しません。不二阿祖山大神宮は、源頼朝や聖徳太子によって再建されようとしたもののそのたびに消失してしまいました。明治や大正になってからも同じことが起こっているとのことです。
富士王朝の実在が、ある人々にとっては、不都合なのでしょうか。宮下文書は、大正10年、三輪義熈(みわよしひろ)氏によって、神皇紀として編集されています。

参考文献:ユーチューブ:ハテナ見聞録、書物から読み解く富士山の歴史と由来


まとめ

富士山についての最も古い記録は、現存する風土記の一つである常陸国風土記に記された「福慈岳」(ふくじのたけ)だと言われている。

神武天皇が即位するよりも前に「フジ」は存在しており、その痕跡は、宮下文書で別名は、富士古文書。
神代文字で残されていた古代記録を徐福が、漢文で書き写し、宮下文書の原本を作成したと伝えられている。

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