失われたイスラエルの十支族と聖徳太子の関連とは

失われたイスラエルの十支族と聖徳太子の関連とは

この記事の要約

失われたイスラエルの十支族と聖徳太子の関連とは系統樹をたどると判明します。聖徳太子は皇族です。失われた十支族の王はエフライムの支族です。その支族が天皇家をつくり日本に定住したと考えられています。


聖徳太子

聖徳太子は、教科書においては実在しない人物だったという扱いになっています。

もともと日本史における聖徳太子は、ほとんどが史実ではなく脚色されていたものだと昔から言われていました。

大山誠一氏の説は、学者が触れなかったところにメスを入れました。その結果、日本書紀の編纂時に、聖徳太子を創作したことになっています。これが伝説のような史実ではないことになりました。そのため、最近では「聖徳太子はいなかった」という説になったのです。

教科書では、用明天皇の子として厩戸の御子または厩戸皇子は実在したとのことです。ただし日本書紀が語るような、聖人ではなかったようなのです。

聖徳太子は、日本仏教の祖です。6世紀から7世紀にかけて仏教が日本に伝来しました。物部氏と蘇我氏の争いが起こり、戦いの中で先陣を切って戦ったのがこの若干14歳の聖徳太子でした。最終的には勝利し、仏教が導入されたのです。

いろいろな聖人伝がありますが、史実ではないというところから始まります。

仏教の聖人ではないというのが大山誠一氏の説です。中国から帰ってきた僧侶の道慈というお坊さんが聖徳太子伝説をつくったとも言われています。


四天王寺

仏教における三宝とは、「仏・法・僧(僧伽)」(ぶっぽうそう)のことです。

この三宝に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされるのです。

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の本の中では、三宝の解釈が違っています。三宝とは、仏教、儒教、神道です。この三つの思想は平等だったのですが、つくり方が仏教寄りになったのです。

大阪の四天王寺と法隆寺は聖徳太子が建立しました。法隆寺は木造建築の中では、最も古い建物です。このような歴史的な背景から、日本において聖徳太子は、大工さんにとって崇拝の対象となっています。

大阪の四天王寺に行くとちょうど参道のところに、鳥居があります。何故寺なのに鳥居があるのでしょうか。

四天王寺は元は、寺ではなく神社だったのではないかと推測されています。伝承によりますと、四天王寺から離れた鎮守の森である鵲森宮(かささぎもりのみや)に隣接する森之宮公園の位置に元四天王寺があったのです。

その一つが玉造稲荷です。これは神社なのです。神社なのに元四天王寺とは何故なのでしょう。玉造稲荷とは、蘇我氏と物部氏の戦いの時に若い聖徳太子が、拝んだところとされています。

聖徳太子は、「この戦いに勝利させてください」と四天王に誓ったのです。

もしこの戦に勝利したならば、「四天王を祭る(四天王とは4つの包囲を守る)」と願掛けをします。

神社に行って仏教の天部(仏教において天界に住む者の総称)に祈るのは、どうしてなのでしょうか。神仏習合の時代だったらそうあってもおかしくありませんが、これから仏教にするか神道にするかの戦いの時に、神社に行くとは普通であれば考えられません。

このことは、四天王寺はもともと神社で、聖徳太子は神社信仰に理解があったとが理解できます。

天皇は神道の家元です。聖徳太子が信じていた神道とはどこから来たのでしょうか。


神道はどこから来たのか

「葦原中国」(日本)=葦・原(ヘブル語)=カヌ・ナー=カナン

「高千穂」=タカチホ=タカ・ツィヨン=シオンの丘

宗源道を伝えた「天児屋根命」(ニニギに随伴)=コヤネ=コヘネ=祭司(ヘブル語)

古代の神道は現代の神道とは違っていました。神道にもいくつかあり、近代における国家神道や古神道と言われているのもあります。

仏教と集合した伊勢神道のようなものもあれば、さらに古い奈良時代以前の神道のようなものもあります。

古代神道は、現在のような八百万の神のような自然崇拝ではなく、もともと一神教だったのです。

現在も一神教を伝える神社もありますが、特に聖徳太子の時代には、聖徳太子が信仰していたのは、唯一神の一神教だったと言われています。

自然崇拝でないとするならば、ただ一人の神を信仰する唯一神のオリジナルは、日本だったのでしょうか。または、渡来したものなのでしょうか。

シルクロードを通って日本人の祖先がやって来ましたので神道のルーツも中東にあるとも言われています。そのような理由で、聖徳太子の神道はイスラエルの唯一神教だった可能性があります。


天孫降臨

天孫「ニニギ」が「高天原」から「葦原中国」に降り立った

「邇邇芸命」=ニニギ=ナ・ナギ=麗しの君(ヘブル語)

「高天原」=タカマガハラ=タカマノハラ=タガーマ州のハラン=ヤコブがいた場所

シオンは英語でザイオンですが、ヘブライ語では、ツェオンと言います。シオンの丘とは今のエルサレムのことなのです。エルサレムのことをシオンの丘と言います。高千穂がエルサレムなのです。

エルサレムから人々がやって来た一つの証拠が、御柱の鳥居です。それがあるのは、京都太秦にある蚕ノ社(かいこのやしろ)という神社です。

正しくは木島座天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社と言い略して木島神社とも呼ばれています。

(木嶋神社は、アジア大陸から渡来した秦氏との繋がりが深く、養蚕、機織、染色技術の中心であったため通称「蚕の社」とも呼ばれるようになりました。境内の中には、世にも不思議な三本脚の鳥居があるのです)

池に三盆足の鳥居が立っています。これを建設したのは、古代豪族の秦氏です。渡来系の人々で一説にはユダヤ人であったのではないかと言われています。

奈良の※大神教会(大神神社(おおみわじんじゃ))があります。大神教会にも同じ様な三本柱の鳥居があるのです。

※大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社。

三本足の鳥居は、三人の神様を表しています。三人の神様は古事記の一番最初に出てくる三人の神様、これを造化の三神と言います。

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)です。

実は御柱鳥居の象徴なのです。ということは、秦氏も太秦の御柱鳥居も造化の三神を表しています。

ぞうかのさんじん【造化の三神】古事記神話で、国土・人間・万物を創造したという三柱の神です。

この造化の三神は、キリスト教の神界に似ているのです。それは次の通りです。

天御中主神あめのみなかぬしのかみ(=ヤハウェ)

高皇産霊神たかみむすひのかみ(=タカン・マシャハ(ヘブル語)=メシアなる仲介者)

神皇産霊神かみむすひのかみの三神(カム・ムシュハ(ヘブル語)=霊を注ぐ始原者)

木嶋神社と関わりが深い渡来人の秦氏はとても怪しい人物となります。秦氏が分かれば日本が分かるようになると言われているくらいです。

秦氏は、朝鮮半島を経由してやって来たのですが、ルーツは、中国大陸のシルクロードのはるか彼方にあります。素性はほぼ分かっています。彼は、ユダヤ人です。

ユダヤ人でかつ原始キリスト教徒だったのです。新約聖書に書かれているイエス・キリストが語った天の父なる神であり、お祈りをする時に呼びかける父なる神です。父と子と聖霊の三体なのです。

この父と子と聖霊が造化の三神ではないかとも言われています。三位一体と言う意味にも見えますが、三柱はこのことに関係があるに違いありません。

三本柱の鳥居は三角形なのですが、このことがお結びが三角になったとも言われています。

実は、知らずにお結びを握っている間に祈りを捧げているのです。三角形のおにぎりに梅干しを入れると、ピラミッド・アイになります。他の具を入れるのは、邪道ということになります。

丸い梅干しをお結びに最後に入れることによってフリーメイソン になるのです。

高皇産霊神(たかみむすひのかみ)(=タカン・マシャハ(ヘブル語)=メシアなる仲介者)タカミムスビには別名があります。

古事記に出てくるタカギノカミです。「高い」に木を圧縮して草冠を入れると「藁」という漢字になります。「藁の神」です。藁人形なのです。

藁人形というと御神木に藁を打ち付ける恐ろしい呪術的な行為があります。五寸釘三本を使います。これはイエス・キリストを十字架に張り付けにしていることと同じことだったのです。

藁人形を丑三つ時に打ち付けてる行為がイエス・キリストの十字架への張り付けと関わっているのでしょうか。

新約聖書の中には、木に張り付けられたと書いてある箇所もあります。藁人形の呪術を行う時は、キリストを張り付けにすることなので、それはとんでもなく危ないことなのです。特に丑三つ時は、エネルギーが増幅する時間帯です。


伏見稲荷大社の元宮(船岡山)

西洋絵画のキリストの十字架の絵では、十字架に上には、罪状が掲げられています。聖書では、そこにはギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語で書かれています。

次のように「ナザレのイエス・ユダヤの王」と、

稲荷=INaRI

=Iesus

Nazarenus(ナザレのイエス)

Rex(王)

Iudaeorum(ユダヤ人)

INaRI=ユダヤ人の王ナザレのイエス

よく西洋絵画では単語の頭文字だけ取って、INRIもしくはJNRIと書いたりしています。略字にするとINRIとなります。ラテン語の場合は、母音を補ってINaRIと書きます。

稲荷神社は日本のものだと思っていましたが、ユダヤ人の王ナザレのイエスに繋がっていたのです。

藁人形をTの時に張り付けにしたことが、平安京に秘密が隠されていました。

平安京は秦氏が建造した都ですが、人型になっていて、頭の部分に山があります。

平安京造営に際して、北に山「玄武(亀)」、東に川「青龍(龍)」、南に池「朱雀(鳥)」、西に道「白虎(虎)」に守られた都市は繁栄するので風水の占いから、北の起点である玄武として「船岡山」が選ばれたのです。

風水の玄武にあたる船岡山に行くとやはりお稲荷さんがあります。

『玄武』:中国の神、四象の「太陰」、四神の一つ、霊獣。北の星宿の神格化。玄天上帝ともいう。宋代には避諱のため、真武と改名されている。清代には北極佑聖真君に封じられている。上帝翁、上帝公などとも呼ばれる。福建省では黒虎に置き換わっている。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2020年1月30日 (木) 14:49 (日本時間)現在での最新版を取得。

お稲荷さんは、京都稲荷伏見大社が有名ですが、その元稲荷がここにある玄武稲荷が稲荷の発祥地です。


聖徳太子のDNAについて科学的根拠

D系統 日本人とチベット人(日本人の約40%)

E系統 ユダヤ人

聖徳太子は、天皇家の一員として失われたイスラエルの10支族の王族「エフライム族」の血筋を持つ人だったというのです。

Y染色体 DE系統(YAP)

世界中の人たちの遺伝子の系統や民族の流れなどが、系統樹の解析がものすごい勢いで進んでいるので明確に分かるようになって来ました。

女性だけに伝わるミトコンドリア分析と男性だけに伝わるY染色体の分析の両方があります。特にこのY染色体は、性染色体の一つで、Y染色体があると男になります。

Y染色体があれば男なので、男系列で伝わっていくのです。系統を辿っていくと、綺麗に系統樹が書けます。

ABCDEFJHIJ〜の様に書いていけるのですが、日本人の約半分はOのハプログループです。Oは、東アジア系で朝鮮半島や中国大陸にもかなりの頻度で見られます。

残りの半分はD系統で、東アジアにはほとんどありません。朝鮮半島や中国大陸の漢民族や朝鮮民族の中からは今のところ見つかっていません。

このD系統は、日本人特有の遺伝子Y染色体であることが分かっています。この系統は不思議なことに、チベットやネパールの中央アジアの一部でも見られます。

この系統の特徴は彫りの深い顔、濃いひげ、二重まぶたであり日本固有の系統です。

ABCDEF〜とは近いところを並べているのですが、次に来る隣のE系統がユダヤ人にとても多いのです。DとEの系統は近く、同じ共通の祖先にDEというグループがあります。おそらくこの系統を遡っていくとたった一人の男から別れたことまで分かっています。

DE系統には特異なYAPがあり、YAPがあったら完全にDE系統だということが分かります。それほど明確な印があるのです。これを発見したのは日本人ですが、これがユダヤ人と日本人にあるのです。

日本人がもしユダヤ人と同系統だとすると、聖徳太子のDNAはどの系統だったのでしょうか。

聖徳太子は天皇家です。D系統とE系統は別れましたが、元は同じだったということです。

イスラエル民族が分かれた時には、12支族ありましたが今は2支族しか残っていません。

残りの10支族が消えてしまいました。これを失われた10支族と言いますが、この失われた10支族の流れが日本に来ているのではないかと言われています。

そうなると綺麗に対応するのです。考えてみると天皇家というのは男系なのです。常に男系です。正にY染色体を保持して来たのです。なので聖徳太子を含め、皇室、さらに日本民族の約半分は、この遺伝子を持っていることになるのです。

古代イスラエル王国は、ソロモンの時代に12支族が存在していました。

ソロモンが亡くなった後に、次の王になった時には、イスラエル民族は分裂し、南北に分かれてました。その分かれ方は、10支族と2支族でした。

2支族の方はユダとベニヤミンの支族です。このユダ族の方から王様が出ます。

ダビデとソロモンもユダ族です。もう一方の北イスラエル王国は、10支族ありますが、その中でもエフライム族が王家を担ってきたのです。

エフライムといえばイスラエルの代表ともいうこともありますが、正にエフライム族が古代天皇を含めて、日本に流れて来ている可能性があります。

引用元:Youtube 「ムー エフライム族と皇室の系図」URL<https://www.youtube.com/watch?v=pgcunXTS1mU>アクセス日:2019年11月27日

聖書、日本書紀、古事記を比較しながら日本の王家を書いてみると、聖書の家系図と一緒なのです。

イスラエルは北と南に分かれました。北の王はエフライム族であり北王国イスラエル族の紋章は一角獣です。

南はユダ族です。南王国ユダ王族の紋章は獅子です。

これらが神社にあるらしいのです。聖徳太子は古代イスラエルの信仰を持っていたのです。仏教ではありません。日本には、古代キリスト教徒が移住してきて日本という国をつくったのです。


参考文献:YouTube:WONDER OTSUKA 聖徳太子と失われたイスラエル10支族の謎

URL<https://www.youtube.com/watch?v=pgcunXTS1mU>アクセス日:2019年11月27日


まとめ

聖徳太子は用明天皇の子として厩戸皇子として実在した

四天王寺はもともと神社で、聖徳太子は神社信仰に理解があった

聖徳太子の神道はイスラエルの唯一神教だった

造化の三神は、キリスト教の神界

稲荷神社=INaRI=ユダヤ人の王ナザレのイエス

聖徳太子は失われたイスラエルの10支族の王族「エフライム族」の血筋を持つ


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