この記事の概要
大麻で走る車がありました。フレームからオイルまで大麻の素材で全て作られた車が昔走っていました。その名は、「ヘンプカー」と言います。1940年代ヘンリーフォード社は、大麻で作った車を発表しました。軍事関係の製品に金属を使用されていたので、車を作るための金属が不足していたため、12年を経て世界で初めての植物から作った車を完成させました。植物性プラスチックは、鋼の10倍以上の強度を出せました。
大麻で走る車があった
大麻で走る車が昔ありました。フレームからオイルまで大麻の素材で全て作り、走ることができる車が存在していたのです。しかしながら、その車は、権力者によって闇に消されてしまいました。
大麻から作られたその名は、「ヘンプカー」と言います。ヘンプとは大麻のことです。1940年代アメリカの自動車企業ヘンリーフォード社は、ヘンプすなわち大麻で作った車を発表しました。
1940年代は世界大戦が行われていた時代でした。軍事関係の製品に金属を使用されていたので、車を作るための金属が不足していました。そこでフォードは、12年を経て世界で初めての植物から作った車を完成させました。
フォード社の研究チームは強度の高い植物性プラスチックを開発していました。植物性プラスチックは、鋼の10倍以上の強度を出せました。鋼の20倍の強度があると言われるカーボンナノチューブなどの素材がありますが、80年も前にこのような素材があったのです。
カーボンナノチューブは、炭素によって作られる六員環ネットワークが単層あるいは多層の同軸管状になった物質。炭素の同素体で、フラーレンの一種に分類されることもある。 単層のものをシングルウォールナノチューブ 、多層のものをマルチウォールナノチューブ という。特に二層のものはダブルウォールナノチューブ とも呼ばれる。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2023年3月12日 (日) 04:16 での最新版を取得。
当時の紹介記事では、「これがフォード社が発表した土から育った車です。大麻の繊維からできた植物性のプラスチックがパネルに使われており、これは鋼の10倍の強度があります」と。このように実際に鋼の10倍と述べていました。
金属不足から大麻樹脂が開発された
金属が足りないために車体を大麻で作ったあとは、ガソリンを使用して走らせると思っていましたが、フォード車は、大麻からオイルを作りそれを燃料にして走らせる車を完成させたのです。
ヘンプカーは、ガソリン、電気、化学燃料などが不要なクリーンな車として注目されています。ヘンプオイル自体を素人が簡単に製造できるらしのです。酸性雨の原因となる硫黄酸化物も出しません。
しかしながら、ここで重要なのは、大麻から作るオイルは、法的には作ることができないのです。大麻が闇に消されたように、ヘンプカーが普及しなかった理由もここにあるようです。
石油への移行
19世紀半頃農業国のアメリカに、工業化の波が迫ってきました。燃料は石炭から石油へ移行しました。アメリカは、農業国だったので大麻は、大規模に栽培されていました。
その繊維は、イギリスに輸出し、衣服などに加工され全世界に販売していたのです。石油の時代は、石油を原料とする化学繊維を使った産業で世界の覇権を握らなければと考えるようになります。
石油化学工業の中心を担うことになったのが、アメリカの巨大財閥です。アメリカの巨大財閥には、デュポン家の他にロックフェラー財閥、モルガン財閥、メロン財閥があります。
死の商人にとって邪魔な大麻
現在では、化学メーカーとして有名なデュポンですが、大戦では火薬や爆弾を供給し、莫大な利益を得たことで「死の商人」と呼ばれ、秘密結社イルミナティー13血流の一つだと言われています。
デュポンは「死の商人」と呼ばれるようになった由来である武器商人から、石油化学産業へ事業転換しました。しかしながら、石油化学産業の壁は大麻産業でした。
大麻は万能で石油化学製品、建築材、タバコ、薬などに使用されたため石油化学産業ができることは全てできると言っても過言でないものなのです。
石油化学産業とっては、非常に邪魔なものでした。その時に万能な大麻に目をつけたのが1903年に自動車会社を設立したフォードでした。
フォードの強みは組み立てラインを導入して大量生産を始めたところです。それによりコストを大幅に削減でき、自動車の価格も下げ、自動車を一般家庭に普及させました。
1920年代のアメリカは、5人に1人が自家用車を所有するくらいに車が普及していました。日本と比較すると日本がその水準に普及したのは1970年代でした。アメリカでは、50年も進んでいました。
車のシェアの70%も占めていたフォードが、大麻を使った車を完成させました。その頃のデュポンは破綻寸前でした。ゼネラルモータースを買収し、大衆車に飽きていた国民に高級車やスポーツカーなどを販売する戦略でフォードを追い越していきました。
一方フォードの方は、コスパだけがメリットの大衆車を作ることを止めず、方向転換をしなかったことでイエスマンだけが残り納得できない従業員の多くが退職していったことで低迷していきます。
ヘンプカーが普及しなかった理由
この背景によって、フォードは大麻を使った車を普及させる体力がなくなり、政府も大麻を規制していったことと、規制に乗じて石油を支配していたロックフェラー財閥がデュポンと協力して、大麻のネガティブキャンペーンを新聞広告に載せたり、映画広告で出したりしたことで国民は大麻に対しての嫌悪感を増幅させてしまいました。
ロックフェラーは、大麻オイルを使われるよりも、ガソリンを売りたいという思いが強いのです。1937年に大麻課税法が成立する、際ルーズベルト大統領は、「石油や石炭からできた合成プラスチックが天然のものから作られていた多くの製品にとって変わっていくだろう」と演説しました。
政府としても力を失っていたフォードよりも国際金融資本のロックフェラーとデュポンの意向に従ったのです。これによって石油産業は拡大し大麻産業は縮小していきました。フォードが力を失っていなければ世の中は変わっていたかもしれません。
日本が関わっていた生糸産業
日本は戦前、世界最高品質と言われた生糸をアメリカに輸出し、アメリカからは原油を輸入していました。日本と対立を深めていたアメリカは、石油化学産業発展させ、日本の生糸の代わりになる化学繊維を作ることで日本から輸入しない方針に転換します。
デュポンが完成させたのがナイロンです。ナイロンの完成により日本の生糸を輸入する必要がなくなったのです。日中戦争の結果、日本に対する制裁として原油の輸出を規制しました。このことが日米開戦のきっかけの一つになったとも言われています。
これらの出来事が、ヘンプカーが普及しなかった理由です。現在まで世界的な法規制によりヘンプカーを普及させるのは非常に難しい状況です。自動車メーカーはヘンプカーを作ろうとしておりません。
ヘンプカーに関する規模の小さいプロジェクトはいくつかあります。そんな中でも一番話題になったのがアメリカのフロリダ州に住む元デルの役員であるブルースリエンツェン氏です。この方の会社リニュースポーツカードが大麻を使った車を制作しました。この車はマツダロードスターのシャーシを用いているようです。
ディエンツェンは、日本円で約2100万円ほど投資して、プロトタイプを作成したのですが、その後数多くの注文が入るようになり、今ではグレードによって約410万円から2000万円で販売しているとのことです。
アメリカは産業用のものは合法のようです。日本でも衣服などの産業用では使えるようなので、車でも作れるのかもしれません。車は、ばガソリン車、電気自動車、水素自動車などが公道を走っています。
今後はガソリン車が市場から消えるとしたら、どのような車が一番普及するのでしょうか。
参考文献:ユーチューブ、闇に消された車の真実【都市伝説】
URL<https://www.youtube.com/watch?v=8ioYlYSdfsw&t=10s>アクセス日:2023年8月31日
まとめ
今だけ金だけ自分だけの社会では環境に優しく安価で耐久力のあるものが邪魔になる。常にサブスクできるものが正しいもので利権の邪魔になるものは法的に悪とされる。