この記事の概要
リンカーンの本性は巨大なバイデンだったのです。リンカーンの人格とは、バイデン+ウィルソン+岸田首相+石破首相を4で割ったようなものです。この4人が示す通り、現職の時は全く人気がありませんでした。マルクスと親交があり、全体主義的なグローバリストでした。黒人差別主義者であり、南北戦争の真の目的は、黒人奴隷解放ではなく、南部を合衆国から脱退させないためだったのです。
明治の時期にウォール街の傘下
日本人は失われた30年を超えて、明治以降と終戦を克服しなければなりません。その30年は、バブルに戻っても仕方ありませんし、中曽根に戻っても何にもなりません。それは本当の日本ではないからです。
明治維新で日本は半分を失いました。戦後の保守はその視点が足りません。
アメリカ人は、バイデンを超えてリンカーンを克服しなければならないのです。日本もアメリカも共に160年間失われています。すなわちウォール街は、同じ時期に日本にペリーを送り、半植民地化したのです。アメリカも同様にウォール街の傘下に置いたのが、リンカーンの時でした。
またマルクスの時代も一致しています。160年前です。マルクスはロスチャイルド家です。それらは共にマルクスでありマルクスを克服しなければなりません。
労働者の革命によってソ連を作ったということは、ニューワールドオーダを作ったということです。本当の革命ではないのです。これは偽の革命です。
リンカーンとマルクスは同時代の人物だけではなく、友人だったのです。会ってはいませんでしが書簡のやりとりをした友達です。
マルクスが書いたものをリンカーンは熟読して、非常に良い評価をし、絶賛しました。マルクスは、ヨーロッパにおけるニューヨークトリビューンの記者でした。社説も書いて給与をもらっていたのです。
ニューヨークトリビューンが、普通の議員だったリンカーンを持ち上げました。ニューヨークトリビューンで、リンカーンとマルクスは繋がっていました。
アメリカ大統領人気ランキング
進歩派にとって第1位は、リンカーンで、2位は、フランクリン・ルーズベルト、3位にワシントンです。保守派にとっても1位はリンカーンなのです。2位にワシントン、3位にはフランクリン・ルーズベルトが入っています。
これは日本人の感覚でも一番は、リンカーンが来ることが予想できます。小学生の伝記シリーズで出てくるのは、野口英世とリンカーンです。
リンカーンを悪く言う人は、アメリカ人では滅多にいません。人気ランキング最下位は、ハーディングです。なぜならば、この人物はロスチャイルド家に逆らっていたからです。
ジャクソンは国際連盟に加入することを阻止しました。ベルサイユ条約にも調印しませんでした。まるでトランプみたいな人でした。当時は「ハーディングほど偉大なアメリカの大統領はいない」とまで言われていました。グローバリズム候補をコテンパンにやっつけるほどの人気でした。就任後、全米公演を行なっています。ところがその途中で食中毒で命を落としたのです。
大手メディアによって身に覚えのない汚職など書き立てられ、挙句のはてに妻がハーディング大統領を殺したことにしてしまいました。
史実と違うリンカーン
リンカーンの偉大さは史実とは逆なのです。実は伝記に書かれる英雄ほど悪人で、日本のことを本当に考えた帝国陸軍の将官たちは悪人として伝えられてしまうのです。
リンカーンを史実に基づいて調べてみると、巨大なバイデンだったのです。リンカーンの人格とは、バイデン+ウィルソン+岸田首相+石破首相を4で割ったようなものです。この4人が示す通り、現職の時は全く人気がありませんでした。
「早く辞めろ!再選なんかとんでもない!」と。そのような大統領でした。だから偉人になっているのです。教育機関、宗教界などに莫大な金をかけて神話化されたリンカーンの像を作り上げました。
ワシントンには、リンカーン記念館があります。リンカーンが腰かけて座っている椅子に両手を置いていますが、その肘掛けに見えるものはファルケスです。これはファシズムの象徴なのです。
ファスケス(fasces、ファスケース)は、「束」を意味するラテン語の名詞ファスキス (fascis) の複数形で、通常は斧の周りに木の束を結びつけたものを指す。 古代ローマで高位公職者の周囲に付き従ったリクトルが捧げ持った権威の標章として使用され、20世紀にファシズムの語源
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2024年10月31日 (木) 11:54 での最新版を取得。
リンカーン神話が隠したもの
リンカーンは1847年〜1849年のイリノイ州下院議員時代を含め、1854年までは奴隷制廃止論者ではありませんでした。以降も、人種間の平等に断固反対し、黒人のアフリカ・ハイチ・中米への移住を狙います。
北部白人は一般に「自由黒人」を嫌い厳しく差別したのです。リンカーンは黒人を人間扱いをしていませんでした。
1861年、リンカーンは大統領就任前に、連邦政府が南部の奴隷制に干渉することを禁じる憲法修正案(コーウィン修正条項)を指示し、就任後に上下両院を通過させました。
リンカーンは、1849年に、当時米国トップクラスの大企業イリノイ・セントラル鉄道の社長に就任しています。全米での鉄道利権の中心人物です。現代では、自動車とネットと不動産業とロケット産業を足したようなものです。
いくつかの大手鉄道の顧問弁護士・代理人・ロビーストで鉄道利権の人物でした。北部を潤す大陸横断鉄道の建設は、南部が納める輸入関税が大きな財源でした。
連邦税入の90%が関税で、1861年3月4日の大統領就任2日前に、15%から30%に引き上げられた関税を実際に強制徴収するとともに、任期中に50〜60%に引き上げたのがリンカーンなのです。
南北戦争の本当の理由
奴隷制度は世界中にありました。アメリカ以外は内戦がありませんでした。1800年〜1860年、大英帝国を含む数十カ国のように、なぜ有償方式で奴隷解放をしないで、何故、南北戦争(死者死者70〜90万人、国家経済の40%破壊)に訴えたのでしょうか。
人道的な面もありますが、資本主義が発達していくと、奴隷よりも低賃金労働者の方が都合がいいのです。奴隷はそんなに働きません。南部の奴隷は、懸賞があったり、医療があったりとかなり手厚く扱われていました。奴隷福祉があったのです。
もし奴隷を解放するならば、有償で解放すればいいのではと。リンカーンは南北戦争が始まった時には、奴隷差別論者だったのに、急に奴隷解放宣言を出しています。
イギリスでは、1833年のグレイ内閣(ホイッグ党)の時に奴隷制度廃止法が制定されています。インドやアフリカを含む帝国全体における奴隷制度を廃止するもので、奴隷所有者に賠償金200万ポンドを支払う有償方式で、実施され、38年までに完了しています。
世間で言われているのは、奴隷解放と南北戦争が結びついていています。戦争した理由は奴隷解放ではありません。
南部は北部から非常に虐められていました。そのため南部を分離することを考えていたのです。合衆国から脱退する権利は憲法で保障されています。
ところが、リンカーンは、合憲的に脱退することを許さないとしたのです。中央集権的国家を作ると言うことでリンカーンは侵攻したのです。
北部の人々は、リンカーンの無意味なやり方に支持をしませんでした。北部の軍人は相当離脱しました。最初は南部の方が強かったのです。
そこで、リンカーンは南部の奴隷に反乱を起こさせようとして奴隷解放を訴えたのです。でも反乱は起きませんでした。何故ならば、白人の所有者と奴隷たちの人間関係ができていたからです。
壊滅的で不必要な南部侵攻の目的は、「州の自発的連合体」という連邦の概念と脱退権を破壊すること高度に中央集権化された帝国主義的国家を作ることだったのです。
URL<https://www.youtube.com/watch?v=GQS2bJXqJfU>アクセス日:2025年1月21日
まとめ
アメリカ人は、バイデンを超えてリンカーンを克服しなければならない。日本もアメリカも共に160年間失われている。ウォール街は、同じ時期に日本にペリーを送り、半植民地化した。アメリカも同様にウォール街の傘下に置いたのが、リンカーンの時だった。
進歩派にとって第1位は、リンカーンで、2位は、フランクリン・ルーズベルト、3位にワシントン。保守派にとっても1位はリンカーン。2位にワシントン、3位にはフランクリン・ルーズベルトが入っている。
リンカーンを史実に基づいて調べてみると、巨大なバイデンだった。リンカーンの人格とは、バイデン+ウィルソン+岸田首相+石破首相を4で割ったようなもの。この4人が示す通り、現職の時は全く人気がなかった。
リンカーンは差別主義社で黒人を人間扱いをしなかった。
壊滅的で不必要な南部侵攻の目的は、「州の自発的連合体」という連邦の概念と脱退権を破壊すること高度に中央集権化された帝国主義的国家を作ることだった。
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