この記事の概要
ヒットマン山本の恫喝で真珠湾攻撃が始まったのです。真珠湾攻撃は亡国の将軍であり暴走ヒットマンによる人類最大級の愚策です。真珠湾攻撃は、国際金融資本とルーズベルトの意向に沿ったものでした。連合艦隊司令長官山本は甲板に幹部を並べて「固い信念」を表明します。「俺は真珠湾奇襲をやる。嫌なら出てけ!艦を降りろ!」と言ったのです。
国際金融資本の目論み
「アメリカは自衛に徹しろ!」から「日本討つべし!」に向かわせるために真珠湾攻撃が起こりました。戦艦アリゾナをはじめとした多くの戦艦が大破したのです。
この衝撃的な真珠湾攻撃によって国際金融資本の思惑が完成しました。近衛文麿のシナリオもルーズベルトシナリオもウオール街のシナリオも同じだったので、アメリカの世論が真珠湾が攻撃されたことにより「日本討つべし!」に変わりました。
真珠湾攻撃の目的は米国の参戦です。その時「キル・ザ・ジャップ」になり、日米総力戦の突入となりました。日本のシナリオは、「フィリピンを占領しても返す」というものでした。アメリカの国民や議会はその程度だと戦争に突入する可能性はなかったのです。日本は対米は思想戦でした。
山本五十六の固い信念
南進して石油を取りに行って、西へ行ってインド洋を封鎖するとイギリス・チャーチル政権が陥落することが予想できました。西進の戦略を阻止したのが真珠湾攻撃でした。
この真珠湾攻撃は、歴史的役割でした。真珠湾攻撃は亡国の将軍であり暴走ヒットマンによる人類最大級の愚策でした。真珠湾攻撃は、国際金融資本とルーズベルトの意向に沿ったものだったのです。
彼らの意向には沿っていました。直接命令書が降ったということではなく意向には沿っていました。この信条は、ハーバート大学留学組にしっかりと植え付けられました。
留学組とは、永野修身と山本五十六です。山本五十六の亡国の「真珠攻撃準備」とは国際金融資本の仕掛けだったのでしょうか。
山本は昭和16年の秋に連合艦隊を人質にとり、陸海軍全体を脅迫し、実質的に真珠湾奇襲を勝ち取ったと言えます。昭和15年11月下旬には山本司令長官が海軍大臣に真珠湾奇襲を口頭進言しています。
連合艦隊の中で「12月に決定」と手紙で書籍が残っています。11月には海軍大臣宛の手紙で「ハワイ真珠湾を奇襲したらアメリカ国民アメリカ海軍は、『ギャフン』となって日本と戦う気力がなくなり、日本は勝つ」と主張していたのです。
事実と真逆の手紙を書いていました。これは、わざとでしょうか。米国駐日大使のグルーは、真珠湾奇襲の噂を本国に報告しています。
真珠湾攻撃の準備を本格化していきますが、山本は軍令部、海軍省、陸軍省、参謀本部に正式な討議で真珠湾奇襲について測るこをしませんでした。正式で大きな会議に測ることなく固い信念と恫喝で空気を醸成し追い込んでいきました。
その状態の山本を8月に再任しています。任期が切れているのに再任しています。これは米内や永野の影響力によって再任の後押しをしたのです。
9月12日、山本が近衛首相に「1年や1年半は存分に暴れてご覧に入れます。しかしそれから先のことは全く保証できない」と述べました。その通りです。勝つべき戦略をぶっ壊したのですから。
勝つべき戦略がぶっ壊された
勝つべき戦略をぶっ壊して東に行くわけですから。1年か2年の短期戦で勝つべき戦略をぶっ壊すわけですから、山本の言った通り1年や1年半の間は、「暴れてご覧に入れます」が実現しました。しかしそれから先のことは全く保証できないということです。9月中旬には真珠湾奇襲計画を図演を行いました。その時ゾルゲはモスクワに報告します。真珠湾奇襲について。
この時スターリンは、「すぐに信じなかった」という説もありましたが、日本の暗号を全部解読して、その裏付けによって真珠湾奇襲を分かったと言われてます。そこで、シベリアの軍事力を満州国境を睨んだ軍事力を対ドイツ戦に回すことができたのです。
9月、10月になっても海軍機動部隊内で反対多数であったということです。にもかかわらず、連合艦隊司令長官山本は甲板に幹部を並べて「固い信念」を表明します。「俺は真珠湾奇襲をやる。嫌なら出てけ!艦を降りろ!」と言ったと言われています。
そう言われると誰も降りていけないものです。そして真珠湾攻撃が企図されている真っ盛りの中に、連合艦隊旗艦長門が横須賀に停泊しました。そこに山本司令長官は、朝日新聞論説委員を含む昭和研究会主要メンバーや元NHK会長など12人の左派言論である学者グループを招待していたのです。
機密情報が非常に大事な時期です。しかし、そこで「進歩派的な山本長官」というイメージを持たれてたのです。ところが、これは、まずいのです。これは風見章や共産主義者尾崎秀実の共産主義者たちと通じているグループです。秋丸期間、日本の戦争戦略を作った共産主義者と通じています。非常に危ないグループであり昭和研究会のど真中なのです。
要するに日米戦争に巻き込みたい人たちの集まりです。彼らを旗艦長門に招待して、この時期に何を語ったのかということです。あるいは何を匂わせたのかっというのが非常に危惧されます。
危惧されているというよりも、すでにシナリオ通りなのかもしれません。そのシナリオが実行されているという感触を持ったのかもしれません。
9月末には有名な航空艦隊参謀長大西瀧治郎氏(特攻の生みの親)が「日米戦では武力で米国を屈服させることは不可能である。対米戦に突入する以上、当然戦争の早期終結を考えねばならない。その終結に向けで妥協する必要がある」と述べています。
更に、「そのためにはフィリピンをに攻めても他を攻めても構わないが、ハワイを攻撃するようなアメリカを強く刺激する作戦だけは避けるべきだ」と述べています。
その通りなのです。
自存自衛の戦略大東亜戦争
石油を取りに行く経路にあるフィリピンは一旦占領しても、親米政権はそのままにして返還するのです。アメリカからはるばるアメリカ艦隊がやってくることはないでしょう。
それでもきた場合は、硫黄島の南方あたりで迎え撃ったら合理的です。これが海軍の伝統的な戦争戦略思想なのです。
戦争に勝つ作戦は南へ行って、インド洋へ行くのです。アジアを占領していたのはイギリスです。ドイツと共にイギリスを叩くのです。そのためには、食料資源の輸送ルートであるインド洋を封鎖・陥落するということです。合理的です。
東へ行ったら、地図からはみ出してしまいます。それほどハワイ遠過ぎるのです。こんなところを攻めては「ダメだ」ということを誰もが分かっています。戦略的にも意味がないのです。
大東亜戦争は資源の自給自足であり、大東亜共栄圏は、絶対国防圏なのです。これを守り切ることが可能であり、守りきるという戦争戦略です。
ハワイ侵攻は、自存自衛と関係がないのです。ハワイ中部太平洋ではなく、西太平洋で日本が覇権を取るという戦争戦略なら別ですが、太平洋をアメリカと二分するような今の共産中国が夢見てるような戦争戦略なら別です。
開戦時にはっきり自存自衛の大東亜戦争であると陛下もおっしゃられていたのです。自存自衛とは「南に行って西へ行くこと」を守り切ることです。ハワイを占領するというのは、大東亜戦争の目的を作り直してからでないとできない話なのです。
まとめ
どんな手段を使ってでも日本を追い込み戦争を仕掛けた側にしなければならなかった。その結果が大義名分となりアメリカを参戦させることになった。これは国際金融資本すなわちユダヤ勢力が世界の覇権を握るために、日本を永遠の隷属国家にするためでもある。
もっと深いところを探れば、他にとんでもない理由が出てくる。日本の凄まじい軍艦だ。マッドフラッド同様全文明の建物が政治、銀行、宗教の建物として世界中で利用されている。または夥しい数の荘厳な建物が破壊された。当時の技術ではできなかった船が軍艦に利用されたということ。そしてそれらを破壊するために、海軍は、アメリカ軍に差し出したり自ら破壊したということだ。